「コロナ禍中の世界」を見極めることからの出発ー日韓関係の今を巡って(下)

●ある韓国専門家の落ち着いたまなざし

1960年代半ばに私は大学生活を送りましたが、当時は「中国文化大革命」華やかなりし頃でした。同級生に後に慶大教授になる小此木政夫がいました。彼は中国政治史の専門家である石川忠雄先生のもとで、学問の道に進むのですが、研究のテーマに「韓国」を選ぶように恩師から言われ、いささか面食らったと、後に述懐していました。正直言って我々クラスメイトの間でも「なんだ、小此木は中国じゃなくて、韓国をやるのか」と不思議がる雰囲気がないわけではなかったのです。所詮これも〝出来ない奴の嫉妬〟に過ぎなかったのですが、「地域研究」の分野でも差別意識がそれなりにあったことは認めざるを得ません。

彼はそんな状況のなか、大学院では大阪市大から招聘されたばかりの『朝鮮戦争』の著作で著名な、神谷不二教授の薫陶を受けます。しかる後、韓国・延世大学に留学し、その道の第一人者への道をひた走ることになりました。私が政治家への道に向けて悪戦苦闘している40歳台半ばには、もう押しも押されぬ韓国問題の専門家になっていました。当選後に外交安全保障分野の仕事をするようになって、しばしば勉強会に招いて講義をしてもらったり、情勢分析に耳を傾けたりしたものです。今から5年ほど前に二人で韓国をめぐる対談をして『隣の芝生はなぜ青く見えないのか』と題し、電子本として出版しました。手前味噌ですが、電子本の気安さもあって、二人とも個人的体験を大胆に述べて、興味深い内容になっていると自負しています。

小此木は、合意や約束を守ることが重視される日本と、その合意や約束の「内容が正しいかどうか」を問題にする韓国とでは真逆の対応をしばしば招くと指摘。その実例として、1910年の日韓併合を不法とする韓国は、1965年の「国交正常化条約」ではそれが認定されていないとして問題視し続けていることを挙げています。そういう文化を持つ国と、長きにわたって向かい合ってきたことを淡々と語るのですが、学者の真骨頂を見る思いでした。

●無視することの有用性

2019年に彼は『朝鮮分断の起源 独立と統一の相克』と題する著作で、第31回アジア・太平洋賞(大賞)を受賞しました。国際政治学者の五百旗頭真・兵庫県立大理事長も毎日新聞紙上で高い評価を下す読後感を述べています。単一の著作を殆ど彼は発表してきていないだけに、過去の研究業績をまとめたものにせよ、いきなりの大賞を得たことには、仲間と共に驚き、喜びあいました。日本での韓国を巡る論壇では、昨今、いわゆる保守派による韓国叩きが横行していますが、彼は中庸に位置する論考や分析をすることで定評があります。若き日より一貫して変わらぬ落ち着いた大人の佇まいで、韓国に対する見方もバランスの取れた位置を守っているように見えます。「反日」「嫌韓」の風潮が勢いを増す中で、彼のニュートラルな立ち位置が一層貴重に思えるのです。

「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」で始まる、李栄薫の『反日種族主義』ー昨今韓国内部からも厳しい批判の眼差しが向けられるようになりました。日韓関係も依然として真逆のスタンスのぶつかり合いが続いています。韓国に対しては「無視するのが一番」で「相手にしないのが最善」との見立てが通り相場です。しかし、それではことは一歩も進みません。ここは小此木がいうように、「リアリズムを土台にする外交が日韓の『戦略共有』を可能にし、創造的外交を促進する」ことになり、「それが定着すれば一世代後に日本人と韓国人の『意識共有』が可能になるかもしれない」(毎日新聞2020年10月8日付け『激動の世界を読む』)のです。朝鮮海峡を挟んで罵り合い、角突き合わせる状態が続くなかでの精一杯の展望予測に、楽観的に過ぎるとの評価は酷と言えましょう。

●韓国映画の凄さに驚く

日韓関係を思いやるにつけて、私が最近痛切に感じるのは韓国映画の凄さです。2020年のフランス・カンヌ国際映画最高賞などを受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観て、心底から感じ入ったのは私だけではないはず。日常的な格差と不条理という社会経済的課題を、ここまでエンタテイメント性を盛り込んで見事に描いた映画を今まで観たことがありません。要するに、笑いの中でどきどきハラハラさせるユニーク極まりない面白さです。韓国料理はいまいち苦手な私ですが、この映画の味には痺れました。後半の展開には首肯し得ないところ(無用な殺戮場面)があり、後味の悪さは否めないのですが、前半の痛快さ、面白さはずば抜けており文句なし。こんな映画を作れる国(他にもあげればキリないぐらいの秀作あり)を蔑んではいけないと思う次第です。

これより先に、日本の是枝裕和監督の『万引き家族』がやはり前年のパルム・ドールを受賞し、話題になりました。映画も勿論、人それぞれの好みで種々の見方があります。『万引き家族』への一定の評価はわかりますが、暗くじめじめした肌触りが特徴のこの映画に、私は高い得点を与える気にはなれません。「万引き」というテーマの選択に、生理的嫌悪感も感じてしまうのです。黒澤明、小津安二郎監督らから宮崎駿監督に至る、数多の感動的な作品を残してきた日本映画の歴史と伝統。これらを、真っ当に受け継いでいく作品が昨今極めて少ないように思われるのは残念です。

●コロナ禍への欧米と東アジアの対応から

新型コロナウイルスの突然の襲来で明け、蔓延する中で暮れようとする2020年は、後年恐らく人類にとって大きな転換の年に位置付けられるものと思われます。「破綻」への坂道を転がり堕ちるのか、「蘇生」へと濁流を泳ぎ切れるのか。その分岐の鍵を握るのは、「国際社会の連帯」です。人間相互の関係において、ソウシャルディスタンスをとり、密を避けることがコロナ禍を脱するための基本的対応ですが、今後の世界のあり様を想起すれば、皮肉にも相互に離れず接近することの重要性が求められます。つまり、コロナ対応は、個別、渦中には「分断」、全体、終焉後としては「連帯」の〝合わせ技〟しかないのです。

〝アメリカ・ファースト〟を呼号し「自国第一主義」を掲げたトランプ米大統領の登場から4年間、世界は振り回され続けました。その最終コーナーで、コロナ禍に足元を救われた感のするトランプ大統領は、政治的分断を煽る一方、マスクなしで〝密を容認〟するかのごとき振る舞いに見るように、〝合わせ技〟を取り違えてしまいました。

アメリカを先頭にヨーロッパ先進国家群が圧倒的な感染者数と死者数に喘いでいます。それに比し、中国、韓国、日本、台湾の東アジア各国は、内容に差異はあれ、比較的に被害数字は低い状態にあります。とりわけ、台湾、韓国はなかなか見事な対応ぶりだとの評価を受けています。先に述べた韓国映画の卓抜さに加えて、コロナ禍でのこの国の健闘ぶり(他にもAIの分野始め枚挙にいとまない)も特筆されるといえましょう。

赤と青に色別に区分けされた、米大統領選挙での獲得選挙人数分布図を見て、見事な〝分断の絵図〟に改めて驚きました。この国は南北戦争以来、表面上はともかく、隠れての分断が底流にあったのですが、それが中央部分の共和党の赤色によって、東西の青色の民主党が二つに分断されているように見えます。と同時に、東西ドイツの統一実現から30年経った今、38度線で南北に分けられた「朝鮮分断」の存在が際立っています。

福澤諭吉の「脱亜入欧」を挙げるまでもなく、日本は東アジアに位置し「極東」と言われながら、「極西」を志向してきたと言えなくもない近代史を持っています。視点を変えると、この75年、アジア大陸に隣接しながら、背を向け、目は太平洋の遠き彼方にあるアメリカに向け続けてきたといえるのです。そんな日本にとって、今回のコロナ禍直撃に唯一の効用があるとするなら、世界に対する目線を普通の状態に戻す必要を迫ったことかもしれないと、私には思われます。(2020-11-24一部修正 =敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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