クマと森をめぐる根源的な因果関係

先日私の住む地域でちょっとした騒動がありました。アライグマと思われる小動物が天井裏を駆け回ったり、ゴミ捨て場を荒らして困るという苦情が発端です。ほかのお家でも庭に出没するとか、いたるところに糞や足音が発見されると聞いていましたが、あまり信じられないでいたのです。住宅地のど真ん中でクマがいるなんて、とたかをくくっていたのです。しかし、親と子の三頭の写真を見せられ、クマが住みかにしていると思しき空き家の現場に足を運んで、ようやく納得せざるを得ませんでした。すぐに市役所に連絡を取り、農政課に捕獲のための仕掛け檻の取り付けを依頼しました。その後、猟友会の方が来てくれて、リンゴをぶら下げた檻をしかるべき場所に設置してくれました。数日後には無事に親グマが御用となり、一件落着と相成りました▼私が自治会長になって初めての仕事がクマ退治とは皮肉なことです。なんとなれば、私は日本最大の自然保護団体である日本熊森協会の顧問をしているからです。「森の荒廃はクマを見れば一目瞭然。クマや鹿、イノシシやサルなどが人里に現れるのはひとえに奥山が荒れているからだ」という主張のもと、クマを始めとする野生動物の殺処分に対して、森の復元や再生による棲み分けの復活を提言し続けている団体です。この団体にかかわって早いものでもう20年近くの歳月が流れます。アライグマはもとをただせば外来種のもので、ペット用に購入され日本に持ち込まれたものがやがて持ち主が手を離したことから日本中のいたるところで野生化してしまっているといいます。ツキノワグマを始めとする大型野生動物とは性格を異にする存在ですが、生き物に違いはありません。簡単に捕らえて殺してはならないというのがこの団体の精神であり、主張です。ただ、この動物は様々な病原菌を保有し、人間との間に介在するうえ、危害を加える恐れもあることから、地域住民の生活の安全を守ることを優先させざるを得ません。▼実は私はつい先ごろの日曜日(24日)に尼崎で開かれた日本熊森協会の年次総会に出席したばかりです。全国各地からクマを愛し、森をこよなく大切に思う人たちが100人余りも集まってきていました。この団体が運営してきた「NPO法人奥山保全トラスト」を公益財団法人化しようとする試みに、この一年私は尽力してきました。それがこの春に見事に実っただけにひときわうれしい総会でした。この日の催しで最も印象に残ったのは昨年の大阪府の豊能町で起きたツキノワグマの捕獲騒ぎとその顛末でした。熊森協会は会長の森山まり子さんを先頭になんとか殺処分せずに森に戻すように大阪府に掛け合い、それが無理だとわかると、これを受け入れてくれる施設、機関を探し回りました。結果、真言宗のある寺院がその広大な土地の一角に大きな檻を作ってそこで飼ってくれることになりました。この一部始終を映像で見ると、いかに「熊森」関係者と行政担当者の気分に隔絶したものがあるかを知り、愕然とせざるを得ませんでした。出席者の多くは、命は保ちえたものの、残された時間をこの狭い檻に閉じ込められたままのクマが(トヨちゃんと命名)かわいそうでならないとの声が専らでした▼その日から4日が経った27日のある新聞の文化欄を見ていると、たまたま「ツキノワグマとのすみわけ模索」という記事を発見しました。これは昨年度に本州で3500頭を超すツキノワグマが捕獲され、110人を上回る人身被害が起きた事実を踏まえて、今月の9日に日本クマネットワーク(JBN)とWWF(世界自然保護基金)ジャパンが主催して開かれたシンポジウム「2014年ツキノワグマ大量出没の総括と展望~クマによる人身事故ゼロを目指して~」の中身を紹介したものです。この原稿は、シンポジウムを素直に追っただけのもので、この問題の背後に横たわる大きな原因を探るには至っていません。日本熊森協会のスタンスからすると、クマの大量出没がなぜ起こっているのか、それはひとえに、奥山の荒廃にあり、戦後日本の森林行政の破綻がもたらしたもの以外にありえないということになります。人身事故ゼロは当然でしょうが、その背後に見え隠れするクマの殺処分はやむを得ないとする考え方への強い抗議をしてきているのがこの団体なのです。昨日私に電話をしてきた森山さんは、この記事に登場する学者や行政関係者らがいかに奥山保全を考えていないかを鋭く糾弾していました。この記事を書いた記者さんには「どれだけ奥山が荒廃しているかを実際に見て欲しいのです」ーと強い口調で述べていました。私自身、奥山の荒廃を見る前まではクマや野生動物の実態をいい加減に考えていましたし、今も「人間とクマや動物とどっちが大事なんや」と迫られると、たじろぐ気分は否めません。「どっちも大事や」と思うのですが、「棲み分け」はそう簡単には出来そうにありません。結局はクマなどの生き物を捕獲し殺処分するという対症療法に陥らざるをえないようです。真の問題解決には近代日本の誤れる思想にまで立ち入らねばならないと思われますが、その前に環境、森林行政の問題点を洗い出し、根気よくその姿勢の転換を求めるしかないと考えます。(2015・5・29)

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