大震災から3年。生涯に三度はご免蒙りたい

東日本大震災から3年。月日は容赦なく過ぎ去るが、復興の足音は限りなく遠くからしか聞こえてこない。あの日のその時間、私は東京から姫路に向かう新幹線車中にいた。運よく、静岡を過ぎたところで、僅かに停車しただけで、程なく動き出した。後から知って驚愕した▲阪神淡路大震災のあった年は姫路の借家に。古い家屋は激しく揺れ動いたものの全く被害なし。つけたテレビを見て慌てたものである。あれから19年。今や阪神地域も淡路にも傷跡は見えない。「日にち薬」が見事に利いてはいる▲個人としては強運を感じざるをえない。しかし、現代日本社会の一員として政治家の一人として、大震災の教訓を今後の備えに十二分に生かす仕組みを作る責任が後の世の世代に大きく深くあることを自覚せねば、と思う。とりわけ、原発をめぐる被害は未だ続行中である。住み慣れた家をあとにし、避難生活を遠く離れた地での仮設住宅で今なお送っている人びとの心中や察して余りある▲原発からは出来るだけ早く、できれば2030年ぐらいまでに脱却すべきが、結論だ。即時撤廃とはさすがに言えない。再生可能エネルギーの開発も未だ途上で、深く広く社会全体に浸透しているものを直ちに捨てよ、とはかえって無責任だ。我々の世代に「二度あることは三度ある」ことは、ご免こうむりたいが、いざという時の備えだけは怠らぬ様にしたい。(2014.3.12)

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