新築か改築か増築か。それとも庭にプレハブか……「改憲と加憲のあいだ」➄

現役時代の憲法議論で忘れられないもう一つのテーマがある。それは増補型改正(アメンズメント)という問題である。これは今ある憲法はどの部分も一切削除しないで、必要な部分を足していくという改正のやり方である。つまり、1946年憲法は手つかずでそのまま残しておき、新たに付加した部分で、20XX年憲法として成立させるというものである。加憲と似てはいるが、原型を留めたままにしておくというところがいささか違う。これは家の建築に例えていうと分かりやすい。新たな憲法を作るー例えば、昭和憲法のようにーのが新築だとすれば、改憲は改築、加憲は増築といえ、この増補型改正というのは今ある家の庭に小さなプレハブのようなものを作るケースといえようか。古い家も使いながらこのプレハブへも行き来するといった使い方だ▼この改正方式については、法政大学の江橋崇教授を招いての勉強会の場でご本人から直接聴いた。今ではこれはすっかり忘れられているが、憲法制定当時は話題にのぼったという。建国直後の雰囲気を今に伝えるアメリカ合衆国憲法は、その方式を採用しているし、フランスの人権宣言も200年前を彷彿とさせる。またイギリスでは1215年のマグナカルタや1689年の権利章典がついこの間まで、この国の現行法の一部であったことも明記する必要がある。そういう各国と同様に、世界に冠たる「平和憲法」をそのまま残しておき、それに新たな条項を付け加えていこうというものだ。加憲が今ある憲法の中に書き加えていくのと違って、新たに補っていくものである▼実はこの辺りのことについては今からちょうど10年前の2007年3月22日の憲法調査特別委員会公聴会の場で、公述人として招かれた江橋崇さんに私があれこれと訊いている。その二人のやりとりのポイントは、江橋さんが加憲と増補型改正はあまり違わないといってるのに対して、私が二つは結構違うのではないかと主張しているところだ。ここで面白いのは、江橋さんが「日本は、法律を改正したりすると、それまであったすべての法律を新しい法律の中に吸収合併したものにしなければいけないという思いが強く」て、なかなか立法作業が追いつかないと言ってる。つまりそういった整合性を求めるために官僚主導の作業になってしまうのが日本の特徴だというわけだ▼アメリカやイギリスは前のものと後のものの矛盾など気にしない。「まあ、何とかなるだろう。その辺のいい加減さがあるから議員立法で行ける」という。江橋さんは「加憲でも増補型改憲でも、官僚主導の立法というものに対する風穴があくことになるかな」と述べ、あまり細かなことを気にせず政治主導でやって見ろとけしかけていたかのように思われる。結局は官僚主導に取り込まれてなんとも思わず、がんじがらめにされた日本の政治の姿ではないか。10年一日のごとくどころか、70年一日のごとく憲法の呪縛に陥ってるのは、官僚に負けている日本の政治家の惨状だと彼は言いたかったのだろう。引退して4年経った今頃になって、私はそれが一段と身に染みて分かる思いがしてくるのだから、悲劇を通り越してお笑いだといえよう。(2017・2・17)

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