「憲法改革」を探りつつ「予備的国民投票」へー「改憲と加憲のあいだ」➅

私が国会に籍を置いている時代の憲法をめぐる議論での最大の成果は「国民投票法」の制定であった。2007年5月に実現した時は、それまで欠落していたものが遂に補われたということでのそれなりの高揚感があった。当時の衆議院憲法調査会長の中山太郎氏、自民党の「議案提出」メンバーだった保岡興治、船田元、加藤勝信氏らと手を取り合って喜んだことが懐かしく思い出される。あれからもう10年が経つ。その間に民主党政権の誕生から破綻、「東日本大震災」による福島原発事故の大混乱などが起こったこともあって、その後に出来た憲法審査会における動きも殆ど見るべきものはない。10年一日のごとき議論の停滞はいかんともしがたい。今年は憲法制定70年、国民投票法制定10年の節目だけに一歩前進の足跡を期待したいものだ▼公明党はこれまで「環境権」の加憲を主張してきたことは周知のとおりだ。だが、一般的には「3・11」以降、まず急がれるべきは、緊急事態に対処する規定を憲法上に書き加えるべしとの主張が展開されている。主に自民党サイドからで、公明党はさほど関心を持ってきていない。そうした規定を置かずとも現行の法律で十分に対処できるとの判断を持っていたからである。この点に関連して私がかつて強く主張したのは、憲法の条文のどこを変えるか、あるいはどこは変えなくともいいかについて、徹底した議論が必要だということであった。予め「改憲ありき」や、あるいは「護憲ありき」の立場にこだわるのではなく、ニュートラルな(中立的な)立場から一つひとつ検証していくことが大事だというものであった。日経新聞による「憲法改革」(同名の著作あり)という立場がそれなりに共感できた。憲法の条文改正を必要とするマターと法律対応で済むものなら法律改正で、それも必要ないものは行政施行の対応ぶりでと、一つひとつ吟味し選別をしようという考え方であった。私は公明党がその作業をするのに最もふさわしい政党だと信じていたが、それをせぬまま引退をしたことは悔やまれる▼そういう意味もあって、私は国民投票のやり方として、いきなり憲法改正のための国民投票のときを迎えるよりも、予備投票の意味合いを込めて事前に実施してはどうかと提案をしたものであった。つまり、どの条項を変えるべきかについて、国民の考え方を予め問うておけば、唐突感は回避できるし、また初の国民投票のもたらす混乱をも免れるのではないかという思惑である。たとえば、緊急事態対応についての国民の考えや、環境権、教育の在り方などについて国民投票を実施して世論の動向を先に知っておけば、立法府の発議と国民の対応の双方の兼ね合いからもいいに違いないと思われる。当時はあまり賛意を得られなかったが、国民投票法制定10年を期して今の時点で世論を推しはかるためにも、やる価値はあるはずだ▼ところで、安倍自民党がこの3月に、同党の党規約を改正し、総裁任期を延長したら、憲法問題の推移はどうなることが予測されるか。憲法改正の発議から国民投票に至る時間ーすなわち2017年から4年間ーが生みだされることによる見通しが成り立つ。憲法論議に詳しい筋に取材をしたところ、憲法改正発議までには、以下の三段階を経ていく流れが想定されるとのことであった。1)衆参憲法審査会の再始動から、個別の改正項目の抽出・検討を経て具体的な改正項目の絞り込み2)絞り込んだ改正項目の検討から憲法改正原案の作成3)憲法改正原案の提出を受けて両院での審査を経て、3分の2以上の賛成で議決ーとの流れである。調査・論点整理の段階→憲法改正原案の立案の段階→憲法改正原案の審査の段階といった順序立てである。第一段階が2017年暮れから2018年初頭。第二段階が2018年いっぱい。第三段階が2019年いっぱいで、2020年から発議を経て国民投票の実施へと流れていったうえで、2021年の投票に向かうという次第である。これまでの悠長な流れからすると、とてもこのようにはいかないと見るのが普通だろう。私としてはそのように一足飛びに急ぐ「憲法改正」よりも、先に述べたような「憲法改革」ともいうべき点検をじっくりしながら、「予備的国民投票」などを実施して、加憲への機運を醸成することが大事であると思う。急がば回れである。(2017・2・21=この項終わり)

新築か改築か増築か。それとも庭にプレハブか……「改憲と加憲のあいだ」➄

現役時代の憲法議論で忘れられないもう一つのテーマがある。それは増補型改正(アメンズメント)という問題である。これは今ある憲法はどの部分も一切削除しないで、必要な部分を足していくという改正のやり方である。つまり、1946年憲法は手つかずでそのまま残しておき、新たに付加した部分で、20XX年憲法として成立させるというものである。加憲と似てはいるが、原型を留めたままにしておくというところがいささか違う。これは家の建築に例えていうと分かりやすい。新たな憲法を作るー例えば、昭和憲法のようにーのが新築だとすれば、改憲は改築、加憲は増築といえ、この増補型改正というのは今ある家の庭に小さなプレハブのようなものを作るケースといえようか。古い家も使いながらこのプレハブへも行き来するといった使い方だ▼この改正方式については、法政大学の江橋崇教授を招いての勉強会の場でご本人から直接聴いた。今ではこれはすっかり忘れられているが、憲法制定当時は話題にのぼったという。建国直後の雰囲気を今に伝えるアメリカ合衆国憲法は、その方式を採用しているし、フランスの人権宣言も200年前を彷彿とさせる。またイギリスでは1215年のマグナカルタや1689年の権利章典がついこの間まで、この国の現行法の一部であったことも明記する必要がある。そういう各国と同様に、世界に冠たる「平和憲法」をそのまま残しておき、それに新たな条項を付け加えていこうというものだ。加憲が今ある憲法の中に書き加えていくのと違って、新たに補っていくものである▼実はこの辺りのことについては今からちょうど10年前の2007年3月22日の憲法調査特別委員会公聴会の場で、公述人として招かれた江橋崇さんに私があれこれと訊いている。その二人のやりとりのポイントは、江橋さんが加憲と増補型改正はあまり違わないといってるのに対して、私が二つは結構違うのではないかと主張しているところだ。ここで面白いのは、江橋さんが「日本は、法律を改正したりすると、それまであったすべての法律を新しい法律の中に吸収合併したものにしなければいけないという思いが強く」て、なかなか立法作業が追いつかないと言ってる。つまりそういった整合性を求めるために官僚主導の作業になってしまうのが日本の特徴だというわけだ▼アメリカやイギリスは前のものと後のものの矛盾など気にしない。「まあ、何とかなるだろう。その辺のいい加減さがあるから議員立法で行ける」という。江橋さんは「加憲でも増補型改憲でも、官僚主導の立法というものに対する風穴があくことになるかな」と述べ、あまり細かなことを気にせず政治主導でやって見ろとけしかけていたかのように思われる。結局は官僚主導に取り込まれてなんとも思わず、がんじがらめにされた日本の政治の姿ではないか。10年一日のごとくどころか、70年一日のごとく憲法の呪縛に陥ってるのは、官僚に負けている日本の政治家の惨状だと彼は言いたかったのだろう。引退して4年経った今頃になって、私はそれが一段と身に染みて分かる思いがしてくるのだから、悲劇を通り越してお笑いだといえよう。(2017・2・17)

9条に新たな規定を書き加えるとー「改憲と加憲のあいだ」➃

憲法9条をめぐっては長きにわたって正反対の立場からのぶつかり合いがある。ごく簡単に言えば、現実との大きな乖離があるから、現実に合わせて条文を変えていくのか、条文はあるべき理想を示しているのだからそれは触らずに、現実を一歩でも近づけていくべきだ、という改憲論と護憲論の二つだ。それに加えてもう一つの主張がある。それが9条にも新たな項目を加えていこうという加憲論だ。1項と2項はなにはともあれ日本社会に深く定着しているのだから、あえてそれは変えたりせずに、現実との乖離をそれなりに埋めるべく、足らざるを補おうという考え方である。公明党内の憲法調査会で、私もそういう提案をしたことがある▼これは、国際社会におけるPKO(国連平和維持活動)など、すでに多くの実績を残している国際貢献活動の根拠となる規定を設けることが具体例として挙げられる。もう10年近い歳月が経っているが、党内で主張した当時は寄ってたかって反対されたり、無視されたとの記憶がある。3項にわざわざ付け加えずとも、今ある法律の解釈で済むし、それで追いつかぬなら、新たに法律を作って対応すればいいとの考え方が支配的であった。だが、それでは私は満足できなかった。外交安全保障分野の責任者としての私の脳裏には、防衛研究所での「政党研修」の際に自衛隊中堅幹部から質問された場面が思い浮かんだからである。「憲法における自衛隊の位置づけを一日も早くしてほしい」との切なる要求だ。それをせぬまま新たな任務を課すことは更なる矛盾を追加することに思えた▼昨年実現した「安保法制」において「駆けつけ警護」という活動が新たに付与された。私が在職していたほぼ20年間というもの封印されてきていたPKOの本来任務のひとつが遂に陽の目を見たものである。これには忘れがたい思い出がある。中嶋嶺雄先生(東京外語大元学長、秋田国際教養大学元学長)が、かつて「赤松君、日本の参加するPKOには、駆けつけ警護の任務を付与させるべきだよ。でないと国際社会の一員として恥ずかしい」と懇願するようにいわれたものだった。もはや鬼籍に入っておられるので詮無いことだが、生きておられたらどんなに喜ばれたことか。これなど解釈改憲だとの批判があったが、私たちはそうは思わない。駆けつけ警護に伴って発生する「戦闘」は、憲法が禁ずるものとは異質のものだとの認識である▼いま安保法制論議を経て、憲法9条を加憲の対象にすべきかどうかがあらためて注目されている。公明党の現在の担当者は、議論の対象とすることはやぶさかではないとのニュアンスの発言をしている。これには、端からやる気がないのに様子見をしているだけとの見方が専らである。他方、9条に3項を加えるなどという矛盾の上に矛盾を上塗りするのは全く無駄だとの本質的な批判もある。そういう意味では、むしろ3項に「自衛のために自衛隊を保持する」などの規定をおき、それを受けて4項に国際貢献などの任務を書き加えるということも考えられる。これなら、自衛隊員の長年の念願も解決する。だが現実的には9条加憲は9条護憲と9条改憲の間を彷徨うだけかもしれない。ただ、この問題提起は打ち続く「不毛の対立」の壁を乗り越える糸口になる可能性は少なくないものと思われる。(2017・2・9)