縦横無尽に走り回った、この夏の終わりに

6月の大阪北部地震に始まり、7月の長豪雨、そして8月にかけての異常な暑さと、度重なる変な台風の襲来ーこの夏は異常気象の連続でした。8月の最終週を残して、総括するのはいささか早いかもしれません。ただし、暦の上ではとっくに秋ですし、子どもの頃からこの辺りの気分は、〝新学期〟に飛んでいますので、わたしのこの夏を振り返ります。まず、異常気象についてコメントしますと、わたしはかねてより、温暖化の原因はCO2などを主因とするものではなく、太陽の黒点がもたらすものとの「通説」にてるー立ってきましたが、益々その意を強めています。いずれまた科学的裏付けを用意して立論を強める所存ですが、今回は指摘するだけに留めます■さて、この夏に私が動いたなかで特筆出来るものは二つ。一つは家庭訪問です。地域の同志、仲間を一軒一軒尋ねました。残念なことに車を運転することは、不安を伴うとの家人の強い主張で叶いません。このため、親しい友人のご厚意に甘えて、車ごと運転と案内をお願いしました。父母の出身地である夢前町を中心に10日間ほど周り、多くの懐かしい出会いを重ねることが出来ました。私が訪問しますと、「赤松さんが来るって、選挙ですね?」と言われるのには、申し訳ないやら、嬉しいやら、感慨深いものがありました。議員を辞職してすでに5年が経つのですが、やはり政治家の印象が強いようです。もう一つは、友人との出会いの場を積極的に求めて出向きました。月一回定例の友人との共催の「異業種交流の会」に加えて、高校同期の懇親会、大学同窓の家族を交えての懇親会、そして船上での花火観賞会にも顔を出しました。また、初めて参加した新たな友人の主催する食事会では、色んな人たちと知り合うことが出来ました■例えば、ライオンズクラブのメンバーや、スピーチの仕方を研究する会の皆さん、そしてモデルを束ねる仕事をしながら、ご自身は某宗派の尼僧でもあるという変わり種とも知り合いました。主催する人が変われば、その人に応じた友も集まるー類は類を呼ぶと言うのでしょうか。改めて人間関係の妙とでもいうべきものを実感しました。また、徳島県の高校における商業教育関係者の会に、講師として呼ばれて、観光人材の育成について持論を述べました(その内容の概略は、前回上下で掲載済み)。ここではまた終了後に、参加された商業高校の校長や教頭、教諭の皆さんとあれこれと懇談し、刺激を受けることができました。翌朝、そのうちの一つの高校(徳島商)にお邪魔して、校長先生と懇談。ついでに三木武夫元首相の顕彰碑を見たり、その碑のそばでクラブ活動に励んでいた弓道部の高校生たちと懇談、写真撮影もしました■顧問業の仕事や、こういう会に顔を出す合間に、お葬式やお通夜、あるいは病気見舞いなどもする機会があったことにも触れざるを得ません。深刻な思いになったのは癌患者の多いことです。老化と共に癌が進むということは仕方ないとはいえ、本当に多いなあというのが実感です。たとえいかに強盛な信仰を身に帯していても、容赦無く病魔は襲ってきます。そのときにどう迎え撃つかという姿勢に重要な鍵があると思います。先日、その昔に中野区のわたしの家の近所に住んでいた後輩(50歳代半ば)に徳島に行った際に久方ぶりにお会いしました。医師から肺腺癌を宣告されたとのことでしたが、多くの友人、知人、仲間たちから激励され、絶対に治す、負けられないとの強い姿勢には圧倒されるばかりでした。生きてる限りは、生老病死は免れません。使命あるうちは絶対に死にはしない、君は大丈夫、頑張ろうって激励しました。必ず克服して来年の参議院選挙で兵庫に応援に行きますからとの嬉しい言葉を後に、別れました。ともあれ、暑い暑い夏でしたが、厚い厚い友情をいたるところで培い、深めることができた満足できる夏でした。(2018-8-25)

観光人材の発掘、育成は高校生からー徳島県での私の講演要旨(下)

観光とは、自分たちの住む地域を改めて見直し、誇りに思うものを抽出して、それを内外の知らない人に知ってもらうことが基本だと思います。「おもてなし」ばかり先行していますが、まずはその前に、他の地域、他の国の人々に、自分たちの何を伝えるかをしっかりと把握することが大事だと思うに至りました。瀬戸内海を巡っては、いにしえの人々が、そこの何に感動したかを追体験し、それをどう表現するかだ、と。そんな折に、私は、3人の強烈な個性を持つ教育関係者に出会いました。3年ほど前のことです。ひとりは、榎田竜路さん。音楽家にして映像製作者。北京電影学院の客員教授でもあります。彼は各地の高校生に地元の様々な著名人へのインタビュー形式での取材を通じて、地域に生きるその人物の実像を3分ほどの映画にするべくその制作、指導に当たっています。その作業から高校生ひとり一人が自分の住む地域に誇りを抱くようになり、ひいては自分とは何者か、何をこれからすればいいかに気づくということを強調しています■二人目は、鈴鹿剛さん。ご当地の徳島商業の先生です。彼とは淡路市で出会いました。徳島商業の男女生徒数人を連れてきておられました。いかにして淡路島を観光地として宣揚するか、そのために何をお土産ものとして売りに出すかを真剣に皆で討議する場に出くわしました。その時に女子高生から貰った名刺には驚きました。「校内模擬会社コムコム社長」とあったのです。高校生世代が自分たちの故郷、阿波・徳島地域の前に横たわる淡路島を動かすことで、徳島にも観光客を呼び込みたいとする積極姿勢には感動しました。我が兵庫・淡路島の高校生がそれに呼応して立ち上がって欲しいものと心底から思ったものです■3人目は、ここにおられる勝瀬典雄先生です。県立広島大学の客員教授をされています。この人は地域おこしの達人とも言える人で、私が以前に関わった企業で顧問をされており、富士吉田市で初めてお会いしました。そこには織物産業の低迷を打開するために、関東各地から高校生、大学生から始まって、デザイナーや企業人たちが集結していました。その後彼らの何人かと一緒にフランス・パリに飛んだり、また八幡平や塩谷、島根、広島と全国各地の地域おこしに携わっておられます。彼が徳島商業と神戸山手大学を教育連携で結びつけ、我々「瀬戸内海島めぐり協会」を観光人材を育てる実践の受け皿にすることに着眼して、焚きつけられました。私はこの人のマジックにかかって今ここに立っているというわけです■高校生世代の若者が地域を売り出すために、その地に住む人々を知り、その地域の遺産に目を配る、そこから全てが始まることをこうした人たちとの出会いから私は知りました。観光に従事することは、自分探しに繋がる。その人材を育み、育てることの重要さを発見しました。茫漠たる知識を何となくわかったように思ってるというだけでは、テレビで今話題のチコちゃんから「ぼーっとしてるんじゃあないよ」言われるのが関の山です。イギリスのリンダ・グラットンという女性の学者が『LIFE SHIFT  100年時代の人生戦略   』という著作の中で、面白いことを言っています。これからの時代は、生まれたのちに、教育を受けて、仕事をして、定年退職後の老後を趣味で過ごす3ステージという固定的な生き方ではいけない、と。5-6年ぐらいでひとつの仕事をする期間が続いたら、一旦大学や別の教育機関に入って数年間、新たな知見をそこで培って、また別の仕事をすることだと言っています。あたかも探検家のように、様々な仕事を次々と取り組む一方で、色々と教育を受けて自己を磨くというのです。そんな生き方から、大きい組織に一生しがみついて生きていくのではなく、自分自身で事業を起こす起業家となったり、いくつかの仕事を同時にこなす顧問業のようなものに従事するようになるというのです■人生100年時代の生き方はそのように自在に教育と労働を繰り返すようになるのかもしれません。知識と知恵の充電期間を持ちながら、その間に自分の新たな労働・仕事を展開するというのは、誠に面白い時代の到来とも言えます。ただ、漫然と3ステージを生きる時代は終わりました。高校生の時から、具体的な職業に関心を持ち、在学中から、考え動いているからこそ、次にくる仕事、行動も自ずから見えてきます。そういう意欲旺盛な高校生世代に刺激を与え、そしてこちらも刺激を受けながら、一緒に切磋琢磨することで、私はこれからの20年を生きたいものと考えています。体験談を交えた私の決意の披瀝になり、皆さんのご興味に役立ったかどうか。徳島の高校生を羽ばたかせる先生方の発奮に、何よりも期待しています。(2018-8-21  一部修正)

 

地域おこし、自分起こしは「観光」からー徳島県での私の講演要旨(上)

明後日21日に徳島市内で高校の先生たちを前に(昭和30年度「商業教育研究大会)」)、講演することになりました。ここではその内容について、予め考えていることを公表します。

私は衆議院議員を20年ほどしていましたが、5年前に引退。今は「一般社団法人 瀬戸内海島めぐり協会」の役員をしています。この会は万葉集学者の中西進先生を代表に、冒険家の堀江謙一さんらを副代表にした、船で日本の原風景である瀬戸内海をぐるっと回る観光を推進することを狙いにしています。当面は、瀬戸内海の東の玄関に位置する淡路島へのインバウンドを目標に、その仕事を推進する観光人材の育成に取り組もうとしています。先ほど締結された徳島商業と神戸山手大学との教育連携の延長線上に、観光現場としての瀬戸内海、淡路島があり、その実践フィールドの受け皿に当協会がお役に立ちたいと考えているわけです。私は、現役時代には主に外交や防衛の分野にばかり熱心で、あまり内政、ましてや観光に関心を持ちませんでした。国政をやるなら「外交、防衛」しかない、それ以外は地方議会でも出来るとの勝手な思い込みからでした。しかし、その私が在籍した1995年から2014年は、ちょうど「失われた20年」と言われる時期とダブります。その間に長期デフレで経済は低迷。東京一極集中のおかげで、全国の地方都市は消滅の危機に瀕するようになってしまいました。人口減、少子高齢化の流れは津波のように押し寄せています。その事態を打開するには、どうすればいいか。悩んだ挙句に「観光」と向き合うしかないとの結論に行き当たりました。これからその辺りに至った経緯を語らせていただきます■さて、明治維新から150年の今の日本の立ち位置はどういうものでしょうか。改めて過去を振り返り、これから迎える新たな時代への展望を考えてみたいと思います。世に「日本社会40年転換説」なるものがあります。この150年を捉え直すにはとても便利な枠組みなので、当てはめて見ましょう。まず1865年前後から1905年前後までの40年間は、富国強兵の名の下に懸命の軍事国家作りでした。日清、日露戦争の勝利に酔いしれたその後の40年は一気に下降線を辿った結果、1945年には一国滅亡の危機に瀕してしまいました。そこから今度は、経済至上主義に基本姿勢を改めて40年。1985年頃にはバブル経済の頂点を極めてしまいました。富国強兵ならぬ富国強経の結果です。そして、今はやはりそれから40年後の2025年頃の高齢化のどん底目指して真っしぐら。あと7年ほどです。先ほど述べた「失われた20年」が30年から40年へと伸びる勢いで、社会の奥深いところで漂う不安は隠せません■そんな大状況の下で、最近こんな話を聞きました。ある大学の名誉教授がこういうのです。自分の周りにいる文科系の大学卒業者やその親たちの嘆きや愚痴は只ならざるものがある。大学を出ても自分にマッチした仕事に出くわさないし、大学で学んだことは何も役に立たない、と。皆が深い悩みにある、とも。その大学教授はそういった状況を述べた上で、自分の息子さんを5年も浪人させて歯科大に入れたというのです。これでなんとか食っていける、と。先日来、文科省の高級官僚が自分の息子を医科大に不正入学させたことが話題になりましたが、ことほど左様にただ大学を出ても世の中で役立たないとの不安感が社会全体を覆っていると言えましょう。極端な例を挙げましたが、世のエスタブリッシュメントと言われる人たちのこの異常な感性こそ時代の空気の象徴と言えましょう。人口減社会という世界で未曾有の厳しい事態を目前にして、社会全体をどういう方向に舵取りすればいいのか。また個人個人はどう生きていけばいいのかが今ほど問われているときはないといえます■私は人口減の時代にあっては、富国強兵、富国強経の次には、富国強芸というように、文化・芸術にみんなが価値を認め、ひとり一人が自分の人間性、活力を磨くことに熱心な時代が来ると、いや来させないといけないと思っています。国全体の取り組みとしては、世界中の観光客を日本各地に呼びあつめる「観光の産業化」ということになります。デイビッド・アトキンソンという英国人でありながら日本の各種国宝や重要文化財の修復を仕事にしている小西美術工藝の社長がいます。『新・観光立国論』って本を書いた人です。この人がこの間淡路島のフォーラムで、観光こそこれから人口減社会に向かう日本を浮上させる鍵だとのインパクト強い講演をしていました。観光とは、自分たちの住む地域を再発見し、その町の価値に誇りを持つことから始まります。自分たちの国を知ってるようで知らない、わかってるようでわかっていない日本人。この自覚から全てが始まるのではないかと思うに至りました。(2018-8-19)

続・米朝外交の新展開と日本

世界中を賑わせた金正恩北朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領のシンガポールでの会談から二ヶ月余りが経った。米国の中間選挙を意識したパフォーマンス対応が色濃かったトランプ氏の振る舞いに比べて、金正恩氏の国際政治の表舞台への初デビューぶりは、なかなか鮮やかなものであった。米朝共同声明の粗雑さが喧伝され、結局は元の木阿弥ではないかとする見方が錯綜する中で、いま米朝関係は奇妙な静けさが支配している。中間選挙への影響を最大限気にするトランプ氏とそれへの最小限の配慮を示す北朝鮮側の睨み合いが、例年を激しく超えた暑さのせいもあって、大いに弛んでいるようにも見える。改めて米朝関係の展開と日本の立ち位置を見つめてみたい■まずは、会談後の経緯を追う。共同声明にもうたわれた朝鮮戦争の米兵の遺骨55人分が、首脳会談の後にハワイの米軍墓地に改めて埋葬されたことは周知の通りである。一方、日米韓の共同軍事演習は会談直後に中止説が出回った通り、ひとまずは見送られた。こういった展開は型通りのもので、非核化に向けての両者の基本的な姿勢は一歩も変化を見せていない。つまり、どちらが先に手をつけるかを巡って譲り合う呼吸は微塵も伺われないのである■ここで改めて確認すべきは、先の首脳会談以前と以後で北朝鮮への世界の見る目が変わったことについてである。北朝鮮のこれまでのいわゆる「瀬戸際外交」と軍事力の相関関係について、一般的には国内政治上の問題を解決するためや国際環境が悪化した場合に軍事行動をとり、それを外交に繋げてきたと見られがちであった。だが、道下徳成氏(政策研究大学大学院准教授)によると、彼らが政策目的を達成するための合理的手段として軍事力を用いてきたことが明瞭であり、興味深い。北朝鮮の瀬戸際外交を巡っては、政策目的として、時代とともに、野心的かつ攻撃的なものから限定的かつ防衛的なものに変化してきたと捉えられる。その目的に合致する軍事行動は、局地的な軍事バランスなど構造的要因によって促進され、あるいは制約されてきた。北朝鮮の指導者たちは、過去の経験から教訓を学び、時とともに軍事行動と外交活動を巧妙に結びつけるようになってきているとの分析が、真実味を帯びて見えてくるというのが、偽らざるところではないか■彼らの外交姿勢において、抑止力が不可欠の役割果たしてきており、法的な要素も用いながら、時に奇襲的行動によって対象国に心理的ショックを与える手法をしばしば用いてきている事実を冷静に見抜く必要があるとの道下氏の分析は鋭い。日本の世論には、長きにわたり、北朝鮮の指導部の政策形成能力を疑問視し、暴発的行動への不審感を募らせてきた趣きがある。今回の米朝首脳会談に至る流れを見ると、それ相応の冷静な判断力や分析力が背景にあるものと見ざるを得ないのではないか■こうした北朝鮮の対応について、背後に中国の存在が欠かせぬとして、今回も対米折衝の合間に金氏の数度の中国訪問をあげる向きがある。勿論、中朝関係は過去の歴史に鑑みて、時々の変貌はあるものの、基本的には唇歯の関係にあることは論を待たない。これまでの、あたかも「北朝鮮無能論」とでも言えるような対北認識が、シンガポール会談以後「中国の操り人形」であるかのごとき論調にジワリ変わったとみられなくもない。こうした世界の対北認識には表現の違いはあれど、北朝鮮は真っ当な力を持っていないと見る点で共通している気がする。だが、そんな認識で事足れりとしていいのだろうか■日本は長い歴史の中での中国や朝鮮半島との関わりを通じて、とくにこの150年の近代史において、北東アジアの盟主として自認してきたことは否めない。つい先ごろまで、日本のみが近代化に成功し、ポスト近代の立ち位置にあり、中国(韓国も)はまさに近代化の只中で悪戦苦闘を続けているとの捉え方があった。北朝鮮に至っては、プレ近代にあるとの認識が専らだったのである。確かに、時代状況全般については大筋間違ってはいない。国民一人あたりのGDP比較を持ち出すまでもないだろう。しかし、巨大な人口と面積を誇る中国は既に大都市部中心に「ポスト近代」を走っている。その事実を真正面から認めたくない日本は、対中認識のズレを対北認識にもそのまま持ち込む傾向なしとしない。つまり、中国については思考停止させ、北朝鮮には、遅れた国に何が出来るかとの蔑む見方があるのではないか■「米中貿易戦争」とも言われる状況下で、日朝が差配できる選択肢は限られてこよう。だが、見方を変えれば、そういう状況だからこそ、より両者の独立度が推し量られるともいえる。「宗主国」「同盟国」をどこまで気にするかは、ある意味で国家としての近代化の目安である。日本は戦後73年という「維新後」の時間軸の半分にほぼ立ちながら、アメリカの呪縛から逃れられないでいる。少し立ち至ってこの我が身の現状を考えれば、中国を気にする北朝鮮をとても笑うことは出来ないのである。(2018-8-13)

「変な外人」の素晴らし過ぎる洞察力ー第19回アジア太平洋淡路会議から

毎夏に淡路島ウエスティンホテルで行われるアジア太平洋フォーラム淡路会議が今年は8月3日〜4日に開かれました。これで19回目。引退後のこの5年、私は毎年参加しています。尤も第一目だけで、二日目の分科会は出たことがありませんので、ほんのお付き合いかもしれません。ですが、それでも味わい深い中身で、いつも満足しています。まして今年は、テーマが「都市は競争するー創造性と多様性」で、メインの記念講演が株式会社小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「都市の魅力を高めるために日本で取り組むべきこと」とあれば、おのずと興趣は高まったというものです。といいますのも、この人は国宝・重要文化財の補修を本職として手がける一方、『新観光立国論』で山本七平賞をとったり、財界「経営者賞」をはじめ、日本ファッション協会「日本文化貢献賞」や総務省の「ふるさとづくり大賞個人賞」などを次々に受賞。しかも政府へのさまざまな提言をしながら、観光振興のために奔走するというマルチタレントぶりで、「変な外人」(この日のコーディネーターの村田晃嗣前同志社大学長の紹介による=ただし、この人は「変な日本人」かも)と讃えられる人でもあるからです。先年に二階俊博自民党幹事長から勧められて読んだ『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』も面白かったと言わざるをえませんでした(私の『忙中本あり』で紹介済み)■さてさて、彼の講演は、案の定極めて刺激的な内容でした。一言でその主張を表現すると、世界史上未曾有の人口減に直面する日本は「観光で生きるしかない」というものでした。前段では日本の人口減に対する対応がいかに危機意識がないものであるか、と指摘。輸出小国である実態を自覚せず、未だ輸出大国だとの思い込みの大きさなど具体的で、かつ迫力がありました。外貨の稼ぎ頭としての観光をめぐっては、漸く日本も本気の取り組みを見せて、2013年には1000万人強だったインバウンドが、わずか三年で2.8倍になり、明年には4000万人になろうかとの勢い。観光収入ランキングでベスト10入りしている現状は隔世の感だ、と。かつて彼が観光の重要性を指摘した際に、乗り気ではなかった識者たちが、今頃になって手のひら返すが如く、「自分の指摘した通りだ」と言ってる、と皮肉たっぷりに。これには、身につまされたと思しき場内からも失笑が漂っていました■ただし、確かに日本の観光は伸びはしたものの、未だ未だ本当の力を出し切っていないとの指摘も重要でした。一つは、自然、気候、文化、食事と、観光に必要な4条件を全て満たす稀有な国であり、最大の強みが「自然」であり、最強の伸び代だという点です。日本ほど「自然」に多様性がある国は滅多にないこと、文化に「自然」を足すと、観光に呼びこめる層が広がること、自然観光は長期滞在になるので、多くのお金を使ってもらえることなどは、いずれも盲点といえるものでしょう。二つは、観光地の作り方において、付加価値に対する意識が大事なことです。アクティビティー、解説案内の有無から始まり、座る場所、カフェ、食事の中身などに至るまで、事細かな付加価値の大事さなど私は気づきませんでした。三つは、5つ星ホテルの数が極めて大事なことです。観光戦略の成否は5つ星ホテルによって決まるのに、アメリカ755を断トツに、イタリア176、フランス125、メキシコ93、インドネシア57などに比し、日本はわずか28という実態すら認識していませんでした■この講演を受けて行われたパネルディスカッション「都市の国際競争力を支える成長戦略」も興味深いものがありました。中でも面白かったのは、佐々木雅幸同志社大特別客員教授がリンダ・グラットンの話題の著作『LIFE  SHIFT』を持ち出したこと。これからの「人生100歳時代」にあっては、生涯教育が大事だとの引用をしたのです。仕事は単一なものだけではなく、いくつかのものを渡り歩くことが大事だとして、人生の途中で新たな知見を有するための勉学の期間を持つことの重要性に言及。そのためにも公的支援の必要性を強調していました。佐々木さんは、アトキンソンさんの言う観光力だけでなく、グラットンさんの生涯教育にも力を注ぐべしと言いたかったのでしょう。この議論、私が最近こだわってることと同じです。それだけに我が意を得たりの気分でした。尤も、D・アトキンソン氏も、L・グラットン氏も二人とも英国人。英国人に言われないと、我が立ち位置が分からない我々日本人の悲哀を感じないわけにもいきませんでした。(2018-8-5)