【89】「改憲」と「護憲」の〝閉塞状況〟を破る「加憲」━━「女性部」との憲法懇談から(上)/5-10

 先頃の憲法記念日を前に、公明党兵庫県本部の議員OG(女性部)の皆さんから今の憲法をめぐる状況をかいつまんで話して欲しいとの依頼を受けた。明後5月12日にその機会はやってくるが、その前に以下、上下2回に分けて、かつて公明党憲法調査会座長を務めた僕の「体験談風憲法論」のさわりを述べてみたい。まず(上)では中曽根康弘、土井たか子、塩野七生、安倍晋三といった4人の「巨人」たちとの思い出話から始める。ついで、(下)では現時点での「憲法事情」に触れる。

⚫︎中曽根康弘さんとの思い出

 今80歳を生きている僕にとってこれまで出会ってきた政治家の中から最も印象深い人物を挙げろと言われたら、中曽根康弘元首相になろうか。ただし引退後の彼である。〝青年将校風〟剥き出しのギラついた若かりし頃ではなく、85歳で衆議院議員を引退される前後の、枯れた頃の中曽根さんだ。あらゆる意味で貫禄があった。

 現役時代の中曽根さんには、僕が秘書をした市川雄一元公明党書記長との委員会での教育論議などを拝聴し感想を述べことがある。市川さんを褒められたのが記憶に残る。また、引退前後の憲法に関する会合で幾度かお会いする機会があったことを懐かしく思い出す。

 ある会合で、僕が党を代表して話す機会があった時のことだ。公明党も「護憲」でずっときましたが、最近は脱皮しましたと切り出した。時代が変化する中で、今の憲法が誕生した頃には想定されていなかった「環境権」や「プライバシー権」などといったとり残された課題があり、それを書き加えるべきだという意見が台頭していると続けた。

 そして、「これは加憲という立場です。かけんと、かいけん(改憲)は一字違い。もうあと一歩まで来ました」とやった。その時中曽根さんはじめ居並ぶ自民党の連中はずっこけ気味に大笑いしたことを覚えている。冗談めかした発言だが当たらずといえども遠からず、護憲と改憲の深い溝を埋める知恵の一歩だと当時の僕は自負したものである。

⚫︎土井たか子さん、塩野七生さんとの語らいから

 一方、「護憲」の象徴的存在だった元日本社会党委員長の土井たか子さんとはこんな会話をした。ある日の憲法調査会が終わったあとの衆議院別館の出口でのこと。僕は「憲法は不磨大典のものではないでしょう?時代の変化に対応して新しい権利を加えることが必要です。そう思いませんか?」と挑んだ。これに対して土井さんは、「あなた方はそんなこと言ってるけど、本音は9条改正でしょ。見え見えだわ。そんなことは許しません」と、きっぱり。

 当時の僕は国民主権、基本的人権、恒久平和の憲法3原理には触らないで、今に生きる日本人が自らの手で憲法を定めるために見直す作業が必要であると確信していた。そのためには改憲、護憲で左右が一歩も譲らぬ対立姿勢であり続けることは不毛以外の何ものでもないと思っていた。あらゆる手を尽くして憲法改革の道を探ろうと考えた。そんな僕にとって「ダメなものはダメ」との土井さんの態度は「孤高の人」というより、「石頭の御仁」に思われた。

 また、名著『ローマ人の物語』全15巻で一世風靡した作家・塩野七生さんとはローマで会った。衆院憲法調査会の欧州調査団の一員として21世紀初頭にかの地を訪れた時のことだ。塩野さんは開口一番、日本の政治家の皆さんが日本の憲法について調査研究するためにわざわざイタリアにまでやって来られて、日本人の私に会おうっていうのだから‥‥と、口ごもられた。その後どう続いたかは定かでない。皮肉めいた言い振りゆえ言わずもがなってことだったろう。ともあれ、あの時塩野さんは、憲法改正の手続きが現行の規定ではあまりにハードルが高過ぎると言って、まず憲法96条の「改正」条項を改めるべきだと強調されたものだった。

⚫︎安倍晋三さんとのやりとりへ

 公明党は1999年末に憲法調査会を発足、太田昭宏会長の元で党内議論を活発に行なっていった。憲法制定当時には想定されてなかった権利を加えることを提唱しようとの考え方が強かった。それは左右両勢力がツノ突き合わす事態を打開するのが第三の勢力として当然の役割だとの自覚からである。3年後の2002年秋過ぎには「環境権」が具体的な対象として浮上した。

 やがて9条についても自衛隊の存在を加えて明文化することがあっていいとの考えを、当時外交安保調査会長を兼ねていた僕は議論俎上にあげた。かねて自衛隊の幹部候補生たちとの懇談の場で、違憲の存在のまま置き去りにされていることへの強い不満を突きつけられたことが心の底にわだかまっていたからだ。2006年9月に党代表になった太田氏も9条2項に新たに付け加えることに乗り気だった。僕ら2人の考えは完全に一致した。

 この発想は太田氏から自民党総裁である安倍晋三氏に伝えられた。安倍氏には渡りに舟だったに違いない。案の定、〝くいついて〟きた。その辺りの呼吸については彼の回顧録に詳らかだ。「公明党を説得できない限り、憲法改正は前に進みません。太田昭宏前代表は理解があって、例えば自衛隊明記についても、戦力不保持などを定めた9条2項を維持するのであれば問題はないという考えでした」と書いている。(2026-5-10  下につづく)

 

 

 

 

 

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