【101】溢れ出す追憶と連想と知的興奮━━川成洋、吉岡栄一編『英米文学の愉楽』を読んで/7-10

 英米文学が好きで好きでしようがない研究者たち12人による書評論考集である。英文学者でスペイン研究家の川成洋法政大名誉教授から勧められた。読むほどに様々な連想が浮かび知的刺激を受ける。川成さんと僕のご縁は、公明新聞記者時代に原稿依頼をして以来のことだから、かれこれ50年越し。80歳代半ばにして次々と本を執筆し、合気道など複数の武道の鍛錬を常に怠らぬ紛れもなき文武両道の達人である。まず「はしがき」をしっかり読んで欲しいとの注意書きが添えられていた。「実用英語」にばかり走り、削り取られる一方の現代日本の「英学教育」の悲惨な現状への怒りが漲っていた。書評を「政治家の趣味」にしてきたと密かに自負する僕にとって、先達の切り拓いた森林の中に分け入るような期待と緊張感に駆られた◆やはり川成洋「ジョン・コーンフォードとスペイン内戦」から読み始めた。コーンフォードなる人物がイギリスの「途方もない知的名家」の家系に生まれ育ち、21歳の若さで戦死した詩人だったことも、筋金入りの共産党員で「スペイン革命」の担い手たらんと「戦う参加者」になったことも知らなかった。勿論1930年代のイギリスが、スペインを舞台に左右双方の全体主義が激突した内戦に巻き込まれるかたちでの「政治の季節」にあったことは分かる。1936年夏に彼は軍に入隊。戦いの中で傷病を負いバルセロナからひとたびロンドンに帰還する。そこで40日間のスペインでの戦場体験を「マゴット・ハイネマンへ」「アラゴンからの手紙」など3篇の詩に描く。青春の只中を生死を懸けて戦った詩人の「戦場体験」が胸を打たぬわけがない。これまでスペイン内戦についてはJ・オーウエルやA・ヘミングウエイらの小説や映画で「観念的体験」をしてきた。だがそれも死と隣り合わせた青年詩人の「生への渇仰」と「死への恐れ」、愛する人への胸掻きむしられる想いなどの〝詩的迫真性〟には遠く及ばない。僕ら「ベトナム戦争世代」にとって彼の国の〝非情事態への受動的加担〟という負目は今も引き摺る。一方、早逝の悼みは、高校2年生時に心臓病で斃れた天風会の畏友・西園寺健弘や20代後半で散った未完の女検事・川上磨姫ら同期生を追憶の彼方より引き戻す◆次は、吉岡栄一「コンラッドの『ノストローモ━━ある海辺の物語』論」である。ジョセフ・コンラッドの著作では『闇の奥』を随分前に読んだだけ。かつてベルギー領コンゴにおける悪辣非道な植民地主義の展開をめぐって、英国を含めた先進資本主義国家全体の罪を問うのか、それともレオポルド2世の例外的行為と見るのかの論争があった。吉岡氏はコンラッドが搾取される現地の黒人への同情心と共に、ヨーロッパの植民地主義のありのままの実態を糾弾した姿勢を進歩的として明解に論及している。実はこのテーマは、ナチのホロコーストとコンゴでの大虐殺との比較論(前者の陰に隠れて後者が無視されている)などの問題を孕んでいて無視できない。かくいう僕自身もヒトラーの残虐の前にレオポルトの巨悪を見逃し「コンゴの惨劇」を失念していた。また『闇の奥』は名映画『地獄の黙示録』と、かの立花隆の謎めいた論考「誰もコッポラのメッセージが分かっていない」を〝キリスト教の闇〟という課題と共に連想させる。『ノストローモ』に関する吉岡論考の終盤はオーウェルとコンラッドの比較論が展開され興味深い。文末の「つづく」の3文字が次号への大いなる期待を招く◆未読の本の書評陣列の中で惹き込まれたのは山本長一「ファビュレーターとしてのイシグロ、マードック、特にムラカミの物語性について」だ。村上春樹とカズオ・イシグロのものは映画を含め随分馴染んできた。山本氏はマードックを加えた三者が三様の物語性を誇っていると高く位置付け、それぞれの作品の「本歌」を探し当てた上で、入れ子細工的に組み込まれた小さな物語の成り立ちを描き出す。その試みを「三点測量」と銘打って20頁ほどにわたりめくるめくような展開をして見せてくれ読む者を飽きさせない。とりわけ僕にとって遠い日の半端な理解に終わっていた村上の『騎士団長殺し』の解読はあたかも手品師の種明かしの趣きのようだと錯覚するほどだった。イシグロの映画化された作品群についてもディック・ミネや中山大三郎らの懐かしの名曲の記憶を呼び覚まさせつつ、答えが分からなかった問題集を解きほどくように提示してくれてこぎみいい。他方、最終編に登場する長尾輝彦の「新渡戸稲造と英文学」は、若き日に「われ太平洋の橋とならん」と誓った新渡戸の壮大な心意気が伝わってくる。僕は福澤諭吉『学問のすすめ』は、実は「交際のすすめ」でもあると読み換えている不肖の読み手に過ぎないが、日本の英学の道を切り拓いた福澤の後に新渡戸が続いた故にこそ今があると心底実感できた◆手元に放送大学の教材『世界文学への招待』が新旧2冊ある。最新の2022年版にはイギリス文学はおろかアメリカ文学に関する講座すらない。前号の2016年版はアメリカ文学ものが2つも並んでいたのに。これだけをもって英米文学への関心の退潮を論ずる傍証にするつもりはないが、激動する世界の今に英米文学の側からの発信を期待する者たちににとって訝しさは否定できない。この本は「構築」という研究グループの努力の賜物だが、5冊目にして僕は初めて存在を知った。今からでも遅くない。英米文学を庶民大衆の嗜みの一翼とする作業のささやかなお手伝いをさせて頂こうと思うに至っている。(2026-7-10)

 

 

 

 

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