米朝交渉の彼方に浮かぶ日本の立ち位置

トランプというある意味で極めて御し易い相手だったにせよ、対等に渡り合ったかに見える金正恩委員長の外交手腕は、侮れぬものであることが世界中に明らかになった。国内外における傍若無人の振る舞いー人権無視の恐怖政治の実態ーをよそに、核兵器・ミサイル開発をしたたかに展開して、何はともあれ一大政治ショーの一方の主役となったのである。これからの交渉の進展次第では元の木阿弥になる可能性も大いにあるが、国内的には大いに点数を稼いだといえよう。朝鮮半島の非核化と北朝鮮の体制保証を天秤にかけた駆け引きにあっては、〝どっちもどっち〟といえる側面を抱えてはいる。だが、表面的には金正恩なる人物の巧まざる交渉能力が功を奏したと見るのが自然ではないか。周辺世界の一致した経済制裁や、軍事的圧力がかけづらくなったからである。民主主義国家と専制独裁国家との渡り合いの難しさが図らずも露呈したといえよう■米国を相手に北朝鮮の交渉に至る経緯を見るにつけ、日本の対米関係の難しさに思いをいたさざるをえない。拉致被害者の問題を解決済みとする北朝鮮に対して、異議を唱えて交渉のテーブルに引っ張りだすことでさえ、米国頼みという状況がことの本質の異常な歪みぶりを物語っている。トランプ氏は大統領に当選した直後に、在日米軍基地にまつわる米側の負担の軽減をはじめとする日米関係の見直しを宣言した。過去の両国の関係を不平等だとしてアメリカ第一主義の立場を鮮明にしたのである。これはその後の日本側の巻き返しで、元の鞘に収まったかに見えるが、トランプ氏の本心は変わっていない。同盟国を慮る姿勢には程遠いのだ。今回の米朝交渉にあっても、日米韓の合同演習や在韓米軍の撤退を経済的観点から浮上させたいとの魂胆が垣間見える■これに対して、日米安保体制を万古不易のものとして、対米従属姿勢を保ち続けることに日本が躍起となるのは、「思考停止状態」という他ない。勿論、国際政治の現実からして、日米関係に動揺は無用である。ただ、当の相手の最高指導者が勝手気ままな発言をするのに対して、ひたすら音無しの構えではいかがか。一方でたしなめ、もう一方でかりそめの対応を考慮に入れる〝思考的実験〟ぐらいすべきではないのか。明治維新から150年。日本はほぼ前半の70数年前に〝対米戦争〟に負け、占領状態に陥った。建前としては7年後の講和条約で独立を勝ち得たが、それはうわべだけで、現実には半分占領状態の異常な事態が続く■トランプ大統領の登場を奇貨として、唯々諾々とした対米従属路線からの脱却を考えるべきときだ。それは究極的には日本も核を持ち、軍事的独立を目指すべしということではない。論理的にはそういう選択もあるが、それではあまりに能がないし、歴史の逆行以外の何物でもない。そうではなくて、今の世界の思想的枠組みを変えるという営みに挑戦してみてはどうかという提案である。近代ヨーロッパ思想の呪縛からの転換こそ、明治維新150年を契機に取り組むべきテーマではないか。それがどう日本の立ち位置と関わるのか、次回に考えてみたい。(2018・6・19)

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