平成における「自公連立政権」の隠し味

平成の終わりに際して、様々な形でその30年を振り返っての論評が新聞や雑誌、書籍で展開されている。そのうち、先日の私の「読書録ブログ」でも取り上げた日経の論説フェロー・芹川洋一さんの『平成政権史』なる本について、その背景を考えてみたい。というのは、平成の30年を振り返って、政権の変遷を追いながら、全くそこには公明党の存在が触れられていないからである。いったいなぜなのか。昭和の後半から平成のはじめは自民党単独の政権だったが、途中から連立政権が常態になり、後半はずっと公明党との連立政権だったのに。しかも、ご丁寧に、その締めくくりに、平成の30年間が終わって、日本の政治は元に戻った、とまで仰る。すなわち、かつて55年体制下の自民党、社会党、公明党、民社党、共産党の5党と比較すると、社会党に代わる立憲民主、民社に代わる国民民主党と名前は変われど、中身はほぼ同じで、結局「30年経って一回りした」というのである▼これはあまりではないか。公明党の入った自公連立政権の意味を無視するにも程がある、と。早速、私は旧知の芹川さんご本人にメールを差し上げた。「30年前に一回りで戻ったとされるのには大いに異論があります。公明党が与党になっても政権は変わっていないと言われるのなら、それはそれで批判するなり、論評してほしい。全く無視されるのではあまりにも寂しい」と。日経新聞の論説を代表する看板男だけに、読書録ブログはあくまで丁寧に感情を抑えて書いたつもりである。返答メールには「平成政治史ではなく平成『政権』史です。ご了解していただけないと思いますが、悪名は無名に勝るです」とあった。うーん。「政権」史だからこそ、連立政権の功罪めいたものがあってしかるべきではないか。悪名云々は、政治家がとみに使うセリフ。開き直りとしか思えない▼尤も、ここは謙虚に行こう。公明党が無視されるのは、存在感がないからだ、と。自公連立の時代は15年(途中の民主党政権時代の3年を除き)に及ぶから、平成のちょうど半分を占める。確かに、公明党の音頭で大きく舵取りが変化したとか、自民党の政治を変えるに至ったとかという場面はすぐには思い浮かばない。「もり・かけ」問題やら大臣、政治家の不祥事でも公明党が安倍首相や自民党に揺さぶりをかけたとの場面はない。政権の「安定」に寄与してはいるが、改革のリーダーシップに目を見張らせるものは見られない。一般的には自民党の補完勢力に甘んじていると見える。しかし、本当にそうだろうか▼例えば、公明党が連立政権下で、自民党に呑ませた政策には、年金制度改革、安保法制への新3要件導入、消費税への軽減税率の導入などがある。これらは、家の建築に例えると、新築ではなく改築といったようなもので、どちらかといえば地味である。しかも、普通の市民にとって年金改革でどんと生活が良くなるわけでなく、消費税の軽減税率で大助かりというわけでもない。できれば消費税は上げて欲しくないというのが本音だ。安保法制に至っては、無用の長物に見えかねない。という風にみると、公明党の政治は瑣末なことにこだわってるかのごとくに思われるのは無理からぬことかもしれない。しかし、である。もしも公明党なかりせば、を考えるとどうだろう。全てが安倍自民党のなすがままになってしまうのを、自公二党間の合意形成を探りつつ、軌道修正させてきた。細かな生活次元の創造的政策提言は、あたかも美味しい料理における隠し味のように、偉力を発揮しているといえないか。ことほど左様に中道政治の役割は微妙で繊細であるがゆえに、普通の市民には理解して貰うのは難しいのかもしれない。(2019-3-26)

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