50年目の大学入学式に参加して

「新入社‥‥員」と言いかけて、慌てて「新入生の皆さん」と言い直したもんだから、場内大笑い。「令和」への改元が公表された一日の午後3時。パシフィコ横浜展示場で開かれた、慶應義塾大学入学式でのこと。恒例の卒業50年に当たる塾員の参加者を代表して、麻生泰君(麻生セメント社長)の挨拶はなかなか聞かせました。冒頭の言い間違いで笑いを誘ったあと、新入生に対して、大学時代に三つの力を習得せよと続けました。一つは、体力。二つは、語学力とIT力。三つは、魅力だ、と。大学を出て、ちょうど50年、大先輩が後輩達に与える言葉として、いい内容でした。特に、語学力について、日本語は世界で2%ぐらいの人しか喋らない言語だから、国際社会では役立たない。英語と、もう一つぐらいの外国語を話せるようになれとのアドバイスは重要でしょう。選挙戦のさなか、いささか肩身の狭い思いをして上京し、参加してきた50年ぶりの入学式とその周辺を報告します▼慶應義塾大学のこの慣例は、恐らく大学としては寄付を募る絶好のチャンスということでしょう。人生最終盤の峠にさしかかった卒業生に、孫のような新入生と一緒に50年前を再現し、懐かしさを味あわせてあげるから、ちょっとお金も出してね、ということでしょうか。5000万円を超えるお金が集まり、大学の新しい建物建設の一助に使って貰うとの話がありました。この日集まった卒業生は1700人ほど。個人差はあれ、参加した連中は1-3万円程は出しているはず。それなりの満足感を体験できました。この日の式典では、長谷山彰塾長もいい話を聞かせてくれました。福澤諭吉の独立自尊の精神は、己が道は自分が開くということだとして、これからの大学生活で自らの歩む道を決めよと、呼びかけていました。学問は二の次にしてしまい、一生をかけるに足る思想・宗教の習得だけに時間を使ってしまった私は、我が大学の4年間を甘酸っぱい思いで想起しました▼この日入学した新塾生は6000人を超えていました。その代表として登壇し、入学の辞を堂々と述べたのは田中美帆さん。いやはやほんとうに惚れ惚れするような清新さ。近い将来の大輪ぶりを感じさせる、知性と人間的魅力を湛えた素晴らしい女性でした。法学部との紹介でしたが、恐らくはそのスピーチから察するに、法律学科ではなく、私と同じ政治学科に違いないと、勝手に推測したものです。私たちはスクリーンに映し出された映像を見たのですが、かえってその場に挑んだ新入生の顔の表情が良く見えました。21世紀の前半、恐らくは令和の時代に働き盛りを過ごす若者達の面構えを食い入るように見たのですが、田中さんほどには、迫力を感じる表情を見出せず少々落胆しました▼終了後に近くのホテルで塾員招待会が開催されましたが、70歳を超えた元気な爺さん、婆さんばかり2000人も集まっての宴会は壮観そのものでした。二クラスごとに集まったテーブルでのしばしの立食懇談に花が咲き乱れました。私のクラスでは20人ほどが結集。3年ほど前に、電子本を一緒に出した、小此木政夫君(慶大名誉教授)と梶明彦君(元日本航空常務取締役)らと旧交を温めました。また、隣のクラスの田中俊郎君(慶大名誉教授)とも。小此木は韓国、田中はEUの専門家ということもあって、今話題のテーマに自ずと話は及んだものです。この場の話では、英国がこの国本来のしたたかさを失ってるかに見えること、および、中国の不気味な浸透ぶりがEUで目立つとの田中君の話が印象に残りました。小此木君とは、「本を出したから読んでね」「送ってくれたら読後録書くよ」「うーん、ちょっとそれは」「なんで」「分厚くて、高いんだよ」「いくら」「8640円」「えーっ、高すぎるよ。仕方ないから図書館で借りるかな」「頼むね」という会話をしました。この結果、『朝鮮分断の起源』なる、我が友の最近著作を読む宿題を頂いてしまう羽目になってしまいました。(2019-4-2)

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