四国・剣山次郎笈に熊の痕跡を求めて

どこまでも果てしなく澄み渡った青空のもと、5月26日の早朝に四国の徳島県と高知県の県境にそびえる剣山次郎笈中腹に登ってきました。これは一般財団法人・日本熊森協会の主催で、「剣山のクマ生息地を見に行こう! 四国クマ生息地ツアー」と銘打たれたもので、同法人の森山まり子名誉会長、室谷悠子会長を先頭に、30人を超える人たちと一緒でした。集結場所の四季美谷温泉からさらに車で登ることニ時間あまり。剣山スーパー林道を走って「奥槍戸 山の家」に到着したのはお昼前。標高1500mほどの場所から、壮大な眺めを眼にしながら、藤田恵元木頭村村長(現・熊森協会顧問)の鬼気迫る〝今昔話〟を聞きました。「拡大造林」こそ諸悪の元凶であると強調されたことがとても印象に残っています▼藤田元村長の話を改めて聞くまでもなく、戦後の日本はこの拡大造林政策によって、広葉樹林が皆伐されてしまい、山々の奥地に至るまで林業用のスギやヒノキの単一針葉樹林に変えられてしまったのです。クマたちは、広大な生息地を失いました。クマはこれら人工林の木の皮を剥ぐ害獣として、一頭30万円の懸賞金がかけられるなど、徹底した駆除が行われたのです。その結果、四国のツキノワグマは、四国自然史科学研究センターによると、現在は剣山(1955m)の頂上付近にある、狭いブナ・ミズナラ帯で菜食をして、人間に見つからないように、ひっそりと生息しているのではないかとみられています▼今回行った山地の近くに位置する高知県香美市の石立山南の地域の人工林を熊森協会はトラスト地として所有しています。実はそこを調査した際に、クマの皮剥跡を発見したことから、一度この辺りを徳島県側から皆で見に行こうということになりました。尤も、この日昼過ぎから二時間ほどかけてブナ林を歩きましたが、クマの生息している痕跡は全く見られませんでした。というより急な崖道が殆どで、この場所はクマが生息するには相応しくないという他ありませんでした。私の拙い経験では兵庫と岡山の県境にある若杉原生林の方がクマの生息地と感じさせる多くのものを持っていると言えます。クマの生息地を探すという狙いも、また天然林を見るという意味でもいささか的外れな場所であったという他ありませんでした▼実は、この5-2に毎日新聞の「発言」欄(「放置人工林の天然林化を」)に続いて、この日5-26には、神戸新聞のオピニオンのページ「見る 思う」欄に、拙稿が掲載されました。タイトルは、「豊かな森を取り戻すために」というものです。人工林と天然林を比較して見る機会が私の自然観を根底から変えてしまったとの書き出しで始めました。長く熊森協会や奥山保全トラストの活動に私は取り組んできましたが、政府も政治家も関心を寄せる向きは少なく、残念な状態が続いてきました。森が大事だとは皆口にするのですが、森の荒廃がクマを象徴とする大型野生動物の里山への出現に予兆として現れているということに気づかないのです。公明党の仲間たちからでさえ、「クマやイノシシ、シカなどと人間とどっちが大事なんや」と罵声を浴びせられてきました。今回「森林環境税法」や「国有林改正法案」などの審議で、少し森に関心が高まってきてはいますが、まだまだ緒についたばかりです。ましてやクマと森の関係に気づく政治家は未だ少数です。これから本格的に活動を始めねば、との意を一層強めています。(2019-5-28)

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