改革精神が薄れていないかー公明党結党55周年に寄せて

昭和39年(1964年)11月17日ー今日は、公明党が結党された記念すべき日です。今年はちょうど55年目になります。その年は初めての東京オリンピックが開催された年であり、東海道新幹線がスタートしたことに象徴されるように、敗戦後の日本が高度経済成長を経て、見事に再建を果たした年と言われています。そうしたことから日本社会が転換を遂げた年とも位置づけられているのです。そんな躍動する時代を背景に公明党は誕生しました。当時の公明党に期待されたのは、「社会の繁栄と個人の幸せ」が一致するように、大衆福祉の実現を果たすことであり、そのためには世界の平和がベースになければ、ということでした。今に続く「福祉と平和」という二枚看板がその時から目標として掲げられたわけです。以来、半世紀余り。公明党の先輩たちは立党の精神「大衆と共に」を合言葉に、懸命の努力を続けてきました。今では、安倍自民党政府の一員として与党の一角を形成しています。ここでは、今の公明党がどういう位置にいるかを中心に見ていきたいと存じます▼まず、最近の時事的問題から。安倍晋三首相が公的な催しを私物化してきたと批判されている「桜を見る会」に、残念ながら公明党の議員も無批判に参加してきていたという事実です。これは、民主党政権の鳩山由紀夫首相の時も開催(菅、野田政権時は震災のために自粛)されてきており、政界全体が無神経だったとの側面があります。ですが、それで免罪にはならず、野党時代の公明党ならもっと敏感に反応したはずです。尤も、私は現役時代に一切この会には参加しませんでしたが、問題意識は薄かったことを認めます。赤坂御苑で開催される園遊会に参加すれば事足れりとの態度でした。今与党という立場にせよ、この問題について公明党の側から、誰も反省の弁を述べていないという風にしか聞こえてこないのは残念という他ありません▼安倍首相に対する批判を自分のものとして受け止める姿勢がないとしたら、よほど与党ボケ、感覚が麻痺していると言えるのではないでしょうか。今日17日付の公明新聞1面の「党声明」(幅広い国民合意を形成し 大転換期の扉 力強く開く)にも全く触れられていません。党の歴史と伝統からすれば些細なことで、立党の原点にまつわるような、ことの本質には関係がないことだと言えるでしょうか。私は、いかに小さなことに見えようが、大衆の疑問、懸念には敏感でなければならないと思います。先の参議院選挙で、公明党は第一に「安定」を掲げましたが、それは自民党のスローガンであって、公明党にはもっと「改革」を訴えて欲しかったと思います。「小さな声を聞く」ことはもちろん大事ですが、大衆は今、経済格差に喘いでいる人たちが圧倒的に多いのです。「安定」あってこその「政治・経済」ということは否定しません。しかし、「改革」を後衛に退かせることでは、中道主義の旗が泣くと思うのです▼公明党が結成された当時の政治・社会状況と今の状況を比較すると如何でしょうか。確かに日本全体としては豊かになっており、かつてのような病気や貧困に悩む人々は表面的には強く浮かんできているようには見えません。しかし、貧しいひとはドンドン貧しく、恵まれたひとはどんどん豊かになっている側面が強くなってきていると言えます。病という面でも、今は鬱病など精神的疾患が多く、人生の先行きに不安を持つ人は過去最大と言われています。恵まれた側に身を置くと、そうした面が見えてこない危険があります。公明党は今こそ、側に倒れている人、希望を失っている人に手を差し伸べねばならないと思います。自民党と一緒に与党を形成していることから、安倍首相やその周辺に遠慮をしていることはないと、私は信じています。ですが、もっと改革精神を発揮して、今の政治状況を揺さぶってくれないと、「自民党政治の安定」にこそなれ、「大衆のための政治の安定」には繋がっていかないことを憂えます。(2019-11-17=11-18一部更新)

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