「災害文化」を発信し続け、事故死した貝原前兵庫県知事

それはまさに突然の悲しい知らせだった。さる11月13日、前の兵庫県知事・貝原俊民さんは、自動車の後部座席に乗っていて、横合いから突っ込んできたクルマに頭を強打し、亡くなった。同氏は、平成2年11月から10年8か月ほど兵庫県知事を務められた。その死を悼み、功績を称える県民葬が24日に行われ、生前に何かと交流のあったものとして私も参列させていただいた。佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団による「G線上のアリア」の献奏で始まり、途中、ご親族やその友人たちによるショパンの「別れの曲」ヴァイオリン献奏を挟んで、再び管弦楽団の「ダニー・ボーイ」の献奏で終わるという、美しい音の調べに満ち溢れた格調高い素晴らしい葬儀だった▼貝原さんを語るとき、忘れられないのは平成7年1月17日の阪神淡路大震災だ。就任されて4年余り、二期目に入られたばかりのことだった。以後、それこそ亡くなられる時まで、震災後への対応から「創造的復興」へと全身全霊を捧げられた。「災害文化」の発信において他の追随を許さない兵庫県を作りあげられた。震災直後の知事の立ち上がりが若干遅かったのではないか、とのある種”誹謗中傷”に近いような個人攻撃もあったが、その後の立ち居振る舞いはそうした論難を吹き飛ばして余りあるものだったと私には思われる▼今の知事である井戸敏三氏が私とは同い年の昭和20年生まれで、親しい友として何でも話せる仲だが、貝原さんは若干近寄りがたいものがあった。12歳、一回り上ながら父親のような厳しく煙たい存在であったのは、恐らく井戸知事も私も同様だったのではないかと思われる。しかし、それも知事を任期を一年ほど残して退任されてからはがらっと違った印象を受けた。介護を必要とされるようになった奥さんのために、その職を辞されたことを知って、大いに人間臭さを感じたものである。余力を残して第一線を退き、後方からの支援活動をすることも政治家の一生にとって極めて大事だとの教えを頂いたような気がしている▼それにしても彼の死が自動車事故死というのはなんとも痛ましい。かつて私は、兵庫県ではなぜ全国的にも稀な悲惨な事件が多いのかと悩み考えたことがある。児童の首切り事件や、死体をばらばらにして袋に入れ川に流すとか、高速道路上で死体を遺棄するなど、救いようのない事件が続出している。最近でも尼崎の家族内の連続殺人などが思い浮かぶ。阪神淡路大震災以降、ひとの心が荒んでいるからではないのか、と思うこともある。井戸知事は、兵庫県は日本の縮図だからだというのだが。知事経験者が交通事故にあうということも、県民に事故への警鐘を乱打しているように思えてならない。81歳の尊い生涯を無駄にしないためにも、災害からの安心・安全を訴え切った貝原氏の志を受け継いで生きたい。(2014・12・25)

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