「余命5年」ー私が最近個人的に強く意識している言い回しです。75歳を今年の誕生日で迎える私にとって、これから5年経つとほぼ平均的日本人の寿命になります。かつて私は「後期高齢者」という言葉を使い出す(2008年・平成20年に後期高齢者医療制度がスタート)ことに承認を与えた関係政治家(厚生労働副大臣)の一人です。当の本人がその歳を迎えるにあたり感慨深い思いを持ちます。いよいよ自分もあちらの世界への順番待ちに入った、と。前回見たように、地球・人類はひょっとすると、「余命10年」を宣告された「死に至る病持ち」なのかもしれません。そう覚悟を決めておかないと、「10年後が分岐点」との表現だけでは、結局、大した対応もせぬまま「座して死を待つ」無力な患者のように、終末を無為に迎えてしまうのです▼そんなことで、個人・赤松正雄も終わりたくない、かつ地球・人類も終わらせたくないーたまたま個人の死と世界の終わりとが重なる可能性なしとしない世代の一人として、強い想いが胸中に渦巻いてきました。そこで私は今、一つの運動を起こす主体者たろうと準備を始めています。それは、心臓(脳も含むケースも)の障害を突発的に起こし倒れた人を救う行動です。もっと具体的に言いますと、AED を使用するまでの緊急の時間に、必要な胸部圧迫を適切に行おうとするものです。すでに心肺蘇生法の名の下に、両手を使って呼吸を蘇らせ、AED に繋ぐ行為として確立し、各地の現場で実績を残していることは周知の通りです。その方途をさらに拡充し誰もがどこでも倒れた人を蘇らせることに貢献しようという狙いを持つものです▼これはドイツで考案された器具を、倒れた人の胸に当て、上から圧力を一定回数加えることで、両手で心肺蘇生法を講じるのと同様あるいはそれ以上の効果を発揮します。いざという場合に、胸をはだけさせ、素手でやることに躊躇する人でも、上衣の上から器具を押し、その都度器具から上がる音を確かめながらやることには、抵抗がぐっと少なくて済むものと思われます。全ての人々がすぐ目の前で、自分の真横で倒れている人に、手を差し伸べることからまずは取り組もうという運動は極めて重要だと私には思われます。そういうみじかなことが出来てこそ、地球・人類が抱える課題解決の道に立ち向かうことも出来るというものではないでしょうか▼この運動の大事さを世に訴えることを手始めにし、今世界中を覆う格差拡大による社会の分断に対抗することに、日本人も立ち上がるべきだと考えます。僅かな富める層が益々栄え、貧しい大多数の人々が辛酸を舐める社会を終わらせて、公正で希望あふれる社会にするにはどうすればいいか。資本主義と社会主義のイデオロギー対決による対応や、民族、宗教間論争で争う時代は過去のものとせねばなりません。皆が共通の価値観に立ち、狭い人間中心主義ではなく、大自然を包み慈しむ生命の尊さを強調する思想のもとに協力しあうことが大切です。これは、一見無関係のように見えて、その実深い関わりがあります。日本の分断を防ぐ一歩を踏み出す運動です。皆が一つの生命を救う実感に手応えを感じることが、ひいては社会全体に活力をもたらし、分断の分岐点を迎えるまでの雄々しい生き方を培います。2030年までのこの10年間に、皆が出来ることから取り組もう、との運動の一環と位置付けていきたい。皆さまのご関心を頂きたいと心から思っています。(2020-1-22)