昨年(2020年)の暮れも押し迫った12月25日に、徳島県海部郡美波町のコミュニティホールで「自然と観光を考える」と銘打った勉強会(一般社団法人 徳島雪花菜工房主催)が開かれました。私も招かれ、スピーカーの一人として講演しました。タイトルは、「自然と共存する山間地域の活性化」。参加者は地元の関係者と徳島商業高校のビジネス研究部の生徒たちです。
●今我々は何に直面しているのか
75年前の日本。1945年を想像してください。その年に何があったか。日本が米国をはじめとする欧米先進国家群と太平洋や東南アジアを舞台に戦争をして負けたんです。そこに至る過程では、中国をはじめとするアジア各国地域を戦場に、人々を悲劇の底に追い込みました。その敗戦以後、それまでの天皇中心の中央集権国家から、国民主権による自由と民主主義を謳う国家へと変わって行きました。実は私はその年の11月に兵庫県姫路市で生まれています。戦後日本は丸々私の人生そのものと重なります。
その年からさらに75年遡ると、1870年です。この年日本では何が起こっていたでしょうか。明治維新の只中です。ペルーが率いる米国の艦船4隻の来航で、それまで鎖国状態にあった江戸幕府は、一転開国を迫られ国中上を下への大騒ぎになりました。それまでの日本は将軍を中心にした封建主義の国家で、日本人同士で争っていましたが、明治維新以降、西洋文明の流入のもと、欧米列強に追いつき追い越せとばかりに、軍事国家、植民地国家の道をひた走りました。その挙句が75年後の敗戦に繋がります。
75足す75は150。明治維新から150年、昭和の敗戦から75年が経った今、令和2年2020年が暮れようとしています。その年が大きな世界史における分岐点、分かれ道になろうとしていることに、私たちは気づく必要があります。我々の前にあるのはどういう道でしょうか。一つはアメリカファーストという名前に象徴される自国第一主義というナショナリズムです。もう一つは、世界各国の連帯をベースにしたグローバリズムです。前者は、トランプ米大統領が登場した2016年前後から顕著で、彼の進退に関わらず大きな潮流になっています。
実は第二次世界大戦の終わった後のこの75年の間も、ナショナリズムとインターナショナリズムとの争い、あるいは自由民主主義と社会共産主義との戦いといった形で続いてきました。具体的には米ソ対決という形で世界を恐怖に陥れてきましたが、今では米中対立の様相にとって代わっています。
21世紀に入って20年。世界は依然として地球上のあちこちに火種を抱えている中で、「分断」と「連帯」がつの突き合わせる事態が生まれてきていました。まさにその時に、新型コロナウイルスによる感染症の蔓延が起こったのです。この一年あっという間に世界中に犠牲者は広まりました。このウイルスの怖さは神出鬼没というか、いつどこに現れるかわからないということです。人が密集するところだけが危ないかというと、そうではありません。未知の脅威が広がっているのです。
●ウイルスを滅ぼす刃はいつ現れるか
この年子供たちの間で爆発的に人気を集めた漫画、アニメ映画がご存知、『鬼滅の刃』です。この私も映画を見ながら、家族を殺し、妹の禰津子を半分鬼にしてしまったものは、新型コロナウイルスではないかと思いました。切っても切っても断ち切れず、あちらと思えばまたこちらと現れる鬼とウイルスは似ている、と。主人公炭治郎の修行の姿に、ついウイルスを撲滅するためのワクチンの製造に躍起となる人類を連想してしまったのです。一概に荒唐無稽とはいえない類似性を感じてしまいます。「鬼滅の刃」に対比させて「コロナ滅のワクチン」と言いたいです。
コロナ禍がもたらす社会経済への影響は計り知れませんが、「観光」が巨大な損失を受けていることは言うまでもありません。医療崩壊が現実のものになっているのに、経済危機を恐れる日本政府はゴーツートラベルへの期待止みがたく、躊躇したあげくに中止に追い込まれゴーツートラベルならぬゴーツートラブルに苦しんでいます。これは「観光」に大いなる依存をしてきた結果でしょう。コロナ禍の襲来の前に、日本の観光地は、中国、韓国、台湾をはじめとする世界中からのインバウンドに嬉しい悲鳴さえあげていたのですから。
闇雲に外国人観光客を呼び入れ、経済成長の起爆剤にしてきた日本政府の姿勢を嘲笑うかのごとき、コロナ禍の蔓延は何を意味しているのでしょうか?ワクチンの早期登用でコロナウイルスを退治して、何事もなかったように、元のインバウンド拡大に精を出すということで、いいのでしょうか?私にはそう思えないのです。これを機に、「観光」のあり方を見直し、新たな挑戦をすることが求められていると思います。(2020-12-23 12-29 2021-1-13大幅修正