第二の「77年の興亡」の終着まであと一年ー76年目の8-15に思うこと/8-15

 先の中国・アジア太平洋戦争が敗戦で終わったのは昭和20年(1945年)8月15日。明治元年からその時までは77年。明治維新から日清・日露戦争の勝利は、まさに国家が興隆していく時期。そこから亡国の敗戦への流れは、まさに「77年の興亡」と括られる。その区切りから、今日で76年。あと一年経つと、第二の「77年の興亡」の終着点を迎える。占領下の7年から立ち上がり、高度経済成長の末に、見事に復興した戦後日本だが、その後バブル経済の崩壊、「失われた20年」を経て、少子高齢化のピークの只中をコロナ禍という惨状化で迎えようとしている。「今再びの敗戦」と見る向きも少なくない▲一回目の「敗戦」という結果は、文字通り国家が完膚なきまで打ちのめされた。それに比べて、ニ回目の結末は、戦争をしたわけではない分、曖昧さが残る。しかし、あと一年を残した現在、既に敗北感に近い割りきれなさを少なからざる日本人が噛み締めている。それは一体何故なのか。私見では、二重の構造が指摘される。一つは、直接米国の占領下にあったのは7年足らずだが、その後の70年も日本は米国支配下の「半独立国家」であるとの冷厳な認識に立たざるを得ないこと。もう一つは、先の戦争で徹底的に日本始め西欧各国に痛めつけられた中国が、1949年に共産主義国家として建国され、紆余曲折を経た今、日本をGDPで追い抜き、米国と並び立つ経済大国となったことである▲1945年から遡ること77年間、日本は遅れてきた近代国家として米国と競い合った。そして完膚なきまでに敗れ、占領下の屈辱を受けた。その後は軍事力は米国に委ね、自らは経済に専念する道を選択した。その結果、米国と並び立つ経済大国にはなった。だがその内実は「対米追従」国家。煎じ詰めると浮かぶその事実が陰に陽に我が身を苛む。一方、中国は、20世紀初頭には先進諸国家の餌食にあいながら、約100年後の今日は、米国と競い合う軍事経済大国としての地歩を固め、今や米国を脅かすまでになっている。気がついたら、日本は様々の局面でその後塵を拝している。相手方の手法、佇まいはともあれ、当方の敗北感は覆い難い▲もちろん、いわゆる国力の競争は多面的に測られよう。これまで見てきた切り口は一面的に過ぎない。だが、日本が民主主義国家と生まれ変わった存在になりながら、あらゆる面で米国あっての存在、との側面は払拭できない。「日米同盟」の負の側面を意識せざるを得ないのである。中国は艱難辛苦を乗り越えて、「社会主義市場経済」という異名のもとに、今の地位を掴み取った。その自負心は大きいに違いない。彼我の差は歴然としている。新たな時代の幕開けに、日本はどう立ち向かうべきか。少なくとも、国家理念の見えない、これまでのような「経済成長一本槍」の姿勢は変える必要がある。地球は環境面で、資源面で危機的状況に直面していると言われて久しい。国家の枠を乗り越えて、「人間の救済」が今ほど求められているときはない。民主主義国家群の中核である日本は、「人道の競争」の先頭に立つ心意気が求められている。〝人道への国際協調〟に背を向けることはいかなる国家も許されない。(2021-8-15)

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