一年延長された東京夏季オリンピック大会が17日間の闘いの幕を閉じた。昭和39年、18歳だった私が見聞した東京で開かれた最初のオリンピックから57年。今大会は全てが異例づくめであった。普通の市民は、テレビを通じて人それぞれの思いに浸ったに違いない。私も開会式での参加各国、地域に初めて知る国名の少なくないのに驚いたり、連日の競技中継で、珍しい種目が多いことにも興味を持った。日本のメダル獲得ラッシュに喜んだものの、終わってみれば、金メダルで米国、中国に続いて3番目であることや、総数では英国、ロシアにも劣ってることに、昭和世代らしく少々がっかりしたりもしている▲今回の大会が始まる前に、賛否両論があったり、観客をどうするのかでも議論があった。テレビでの中継で空席と知りながら、椅子の模様がつい人の姿に見えたりして、瞬時幻想に耽ったりもした。アスリートたちの行き詰まる闘い、演技に魅入るにつけても、やはりここは観客を入れた方が良かったのにと、結果論を承知で悔しい思いに苛まれた。同時に劇的な場面や選手の表情をまざまざと見られるのはテレビなればこそ、との思いもある。この大会を終えて、時代の区切りに思いが及ぶ▲前回の大会のほぼ20年前に、中国・アジア太平洋を戦場に、欧米諸国との戦争をして、日本は負けた。1945年のことだ。その年はまた、明治元年(1868年)から数えると、77年目に当たる。いらい、今年は76年ということで、明年が77年目になる。つまり、日本の敗戦の年を境にして、前後77年の節目の年が来年やってくるわけだ。ちょうどその年に生まれた私にとって、まさに感慨深い。明治維新から「興亡77年」を経た日本が、今まさに「第二の興亡77年」を終えようとしている。近代日本の壮絶な戦いの結果としての勝利と敗戦と、一国滅亡から壮絶な戦いの末の復興と没落と。この「二つの77年」は敗戦とコロナ禍にいきついた。比べるに値する重要なテーマである▲この二つの比較をする際に、半分のほぼ40年ごとに節目があることに留意する必要がある。一つ目の77年では、日清・日露戦争の勝利だ。ここをピークに時代は暗転、下降線を辿る。二つ目の77年では、プラザ合意(1985年)という名の、為替レート安定化の先進各国間の合意がなされた年が起点である。これは日本の高度経済成長後のバブル景気、その崩壊から〝失われた20年〟という長期低迷に続く発端とされる。このように、前者の77年を生きた前後二世代と、後者を生きた前後二世代とは、全く概括的な捉え方だが、類似すると言えよう。後者の後半つまり、1985年以降今日までの期間、時代を担ってきたのは、いわゆる〝団塊の世代〟にほぼあたる。興亡の77年の「亡」をもたらした世代だ。その罪は大きい。明年で区切りをつけ、日本が新しい旅立ちをするにあたり、思うことは限りなく多い。(2021-8-10 一部修正)