《6》岸田氏に「歴史の区切り」に立つ首相の自覚を問う/10-5

 岸田文雄氏が伊藤博文以来100代目の総理大臣になった。伊藤の就任は1885年(明治18年)だから、136年前のこと。44歳。それ以来四度首相を務めた。彼の評価は分かれるが、紛れもなく、今の日本の礎を作った人物のひとりだということは間違いない。岸田氏も当然ながら「区切り」を意識していると思う。いや、してほしい◆実は、明2022年(令和4年)は、先のアジア太平洋戦争での敗戦の年1945年(昭和20年)から77年になる。そして、その年は明治元年の1868年から77年経っていた。つまり、明治維新から「二つの77年」が日本の歴史上経ったわけだ。その時の国のリーダーが岸田氏ということになる。この77年の区切りは意味深い。一つ目の77年は、天皇のもと「近代日本」へ必死に取り組み、遅れてきた資本主義国家としての「興国」に取り組んだ挙句、欧米諸国と戦ってひとたびは「滅亡」の憂き目にあった◆二つ目の77年は、米国に占領された後、焼け野が原から必死に立ち上がり、米国に並ぶ「経済大国」に上り詰めた。そして今、中国にGDP2位の座を奪われ、IT万能の時代に台湾、韓国の後塵を拝してしまっている。前者が「軍事の興亡」の歴史だったとすると、後者は「経済の興亡」だった。コロナ禍という未曾有の疫病に襲われて2年。世界同時多発のパンデミックとはいえ、日本が受ける「区切り」の衝撃は重い◆岸田氏はそうした歴史の分岐点に立つ。新たな時代は全くこれまでと性格を異にする大きな課題が待ち受ける。一つは、少子高齢化の行き着く果てとしての人口減社会。働き手が急速に減っていく。二つは、「気候変動」による大災害の時代の深刻化である。大地震、河川の氾濫などがいつでもどこにでも襲ってくる。三つは、コロナ禍の定着である。この三つの危機に加えて、中国の動向が危惧される。「自由と民主」を基本におかない隣国の、国境を意識せぬ傍若無人の立居振る舞い。三つの危機と一つの危惧。これにどう立ち向かうのか。自公政権の真価が問われる。(2021-10-5)

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