《7》緊急事態明けに出雲から広島へ様々な出会い/10-7

 コロナ禍の緊急事態が全国一斉に解除され3日が経った10月4日。前日に地域おこしの仕事絡みで訪れた出雲市から中国山脈を縦断して、広島市に入った。実は、9月中旬に訪問する予定だったのが、緊急事態が続くことになり、延期していた。ようやく私が広島に来た日は、この地から「総理大臣岸田文雄」が誕生した日と重なったのである。と同時に、この地から初めて衆議院小選挙区に立つ、斎藤鉄夫氏が国交相に就任した。自公連立政権誕生から20余年、同じ県から自公両党の首相と大臣が揃うのは初めてのことである▲私の世代は、岸田氏の所属する自民党宏池会には好感度を持つ向きが少なくない。同党におけるいわゆる鳩派とも最近ではリベラルとも称されるグループだということが大いに関係する。池田勇人、大平正芳、宮澤喜一という同会に所属した首相たちは、いずれも官僚出身だが、いかにも学者っぽい。よく公家集団と揶揄されるが、それは武闘派と称される人々の僻みが多分に含まれているように思われる。香川の大平氏を除き皆広島が生み出した逸材である▲この日私は、広島3区に住む高校同窓の仲間3人と会うべく久方ぶりに同地を訪れた。うち、高校同期のA君は残念ながら、昨年病気で他界していた。この春に電話で夫人にお悔やみを述べた際に、とても喜んで頂いていた。実際に会って話すと、不思議なことに、生前亡き夫君が親しくしていた友人3人がいずれも私の懇意にしている同期ばかり。しかも彼女がその3人をとても良く知っていたのには本当に驚いた。亡夫が私を呼んでくれたと更に喜んで頂いた。共通の友たちに話題が弾み、お互い本当に縁を感じたしだい。「斎藤支援」が更に固まったのはいうまでもない▲その後安佐南区内2軒を、同区に住む大学同期の親友F君の運転で回った後、安佐北区に住むH先輩を呼び出し3人で旧交を温めた。ここでは「これから日本の進むべき方向」について、50年前に青春を共有した者たち同士のみが知る、熱い語らいを行なった。懐かしくも、有意義だった。夜は、地元某メディアのトップ及びその後輩と4人で会って情報交換をした。その人はかつての公明党番記者。私とは一緒に議員会館脇の卓球場で汗を流した仲。先年彼が福岡から広島に転勤となった際に、大阪の某新聞社の社長になった共通の友人の就任祝いを姫路で3人でしたばかり。会うなり一気に話は弾んだ。「斎藤」は 急浮上の勢いが出たものの、厳しい情勢に変わりがないとの見方で一致した。同地の美味い地酒『雨後の月』を頂き、ほろ酔い気分で新幹線車中の人になったのは8時過ぎ。出雲から広島へ、〝いい日いい旅〟の地域おこしと選挙支援の二日間を終え、私は心底から満足感で一杯。広島から岡山、西明石への車中の人となった。(2021-10-7)

 

 

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