災害へ、身についた知識と知恵こそ

このところ異常な天候が続く。なかでも雨が多い。秋雨前線やら台風の到来が常態の時季ではあるのですが、それにしても、との感が強いのは私だけではないと思います。雨が降るたびに川の増水が気になります。私の住む姫路市の中央部でも小さな河川が瞬く間に水嵩を増し、道路にまで川が氾濫してくる危険性があるのです。低い土地に立つ建物では床下浸水は珍しくなく、なんとかならぬものかとの声が満ち溢れています。8月末の自治会の月例会では、こうした声を受けて姫路市の防災、とくに川の増水への取り組みの現状を、地元選出の市議会議員を呼んで聴くことにしました。短い時間でしたが、石堂市議は的確に報告をしてくれました。結論は直ちにでるというものではないのですが、一日も早い抜本的な対策に向けて市当局や議員が汗を流している状況は伝わってきたのです。質疑もなされ、説明ぶりは好評でした。自治会長としても、一方的な町内のイベントの伝達ばかりではなく、私たちの町に住む人々の安全、安心に向けて少しでも役立つ情報を提供しようと思った次第です▼続いて9月最初の日曜日には、公民館で防災講座があり、出かけました。姫路市の消防局の幹部が講師として来てくれ、一時間半ほど映像を駆使しながら、たっぷりと話してくれました。AEDの使い方から始まって、大地震が発生した際の対応に至るまで、防災全般の心構えと具体的な動きについて注意を喚起されたのです。身近な、災害対応の基本が出来ていない自分自身を改めて気付かされ愕然としました。AEDといえば、日本で初めて導入の必要性を訴えられたのが兵庫県の河村剛史医師です。彼とは15年ほど前から懇意にさせていただいており、普及に向けてあれこれとお手伝いをしてきました。しかし、自分では実際に使った事がありません。たとえば、直ぐそばにいるひとが突然倒れたらどう対処するのか、ただ狼狽えたり、救急車を呼ぶのが精いっぱいではないのかとの反省も余儀なくさせられました。寝室のそばに靴を常に置いておくことや、非常時の時のために防災バッグを用意して置くなどといった”いろは”も出来ていません▼それだけではありません。国の仕事を政治家として取り組んできたはずの私も、改めてあれこれと消防の専門家から問われて、すべて胸をはって答えらえたというと、嘘になります。クロスロードゲームなるものは阪神淡路の大震災いらい、ボランティアの人々の間で広まってきたもののようですが、なかなかの頭の体操ならぬ心の体操といえそうです。「避難場所にいるひとの数が3000人。届けられた食事が2000食しかない。さてどうするか」という問いかけは極めて実用的ですし、いざ地震だというときに,マンション住まいの場合に、「火を消す。家族に知らせる。机の下に潜り込む。ドアを少し開ける」のうちで、最も優先されるべきは何か、との設問も考えせられました▼なかでも消防局の講師の話で一番耳が痛かったのは、東北の大震災で、巨額の予算が投じられて復興への営みが営々となされてきているが、その進捗状況は心もとない。あの先の大戦で、焼け野原となった日本があっという間に復興でき、今日の発展をみたのは何が大きな力となったのか。それは皆が力を合わせて必死になって復興へ尽力したからではないのか、との問いかけはなかなか核心を衝いているいるように思われました。それぞれの立場で、あれこれと言いたい事はありますが、防災の現場で働く人の一言一句は胸に刺さる鋭さと、両肩にのしかかってくる重みがありました。日本全体で大きく言えば、東南海トラフト大地震、地元的に小さく言えば山崎断層地震などが襲ってくる可能性が少なからずあります。その時に備えて単なる知識だけではなく、身についた知識と知恵を持たねばと銘記した次第です。(2015・9・8)

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