安保法制の説明はなぜもどかしいのか

参議院での安全保障法制をめぐる採決の混乱ぶりは目を覆いたくなる。かつて幾度も見た風景なだけに、その進歩のなさには呆れるばかりだ。十分な審議が尽くされたか、いやまだ不十分だという分岐点をどこに置くか。質量両面から見るべきであろうが、質的判断はどうしても主観的要素に左右される。このため客観的な観点からは時間という量に重きを置かざるをえない。今回衆参両院合わせて220時間という時間をかけて議論がなされてきたことは、過去の国会の経験から見て採決の機は熟していたというほかない。それを強引に阻止し、あげくに強行採決だ、民主主義のルール違反だと主張するのはやはり行き過ぎだと思う。これは”強行採決”ではなく、”採決強行妨害”だというべきだ▼ことがここに至るまでの議論で最も私が注目したのは、山口那津男公明党代表と安倍晋三首相との質疑である。かねて聴きたいものだと思っていたが、ついに14日に実現した。テレビ放映を見たうえで、質疑要旨に何度も目を通した。首相との率直なやりとりは残念ながら聴けなかったものの、山口代表はきちっと問題を整理して、横畠内閣法制局長官から見解を引き出していた。併せて安倍首相には国会の関与の在り方、外交手段の展開を強調していたのはさすがだった。横畠長官とのやりとりの中で、注目されたものは三つある。一つは、いかなる場合にも日本は武力行使をするべきではないとの主張への反論だ。「外国の武力攻撃に対して必要な対処をせずに、国民に犠牲を強いることもやむを得ないとする考え方は,国民のいわゆる平和的生存権を明らかにした憲法前文、国民の幸福追求の権利を保障した憲法第13条に照らしても、国民の安全を確保する責務を有する政府としては到底取り得ない解釈だ」というもの。今回の安保法制議論に反対する向きは、憲法9条1項を盾にして、「全面的に戦争を放棄してるのになんだ」というものが圧倒的に多い。しかし、それは「一国平和主義」であり、制裁戦争や自衛戦争を認めた不戦条約や国連憲章などの国際法を無視していることになる。憲法は国内ルール、国際法は対外的規範であり、双方を満たす解釈でなければならないのだ▼二つ目は、従来の自衛権発動の3要件から新たな3要件を作るに至った背景と中身だ。今日の安全保障環境の変化から、他国に対する武力攻撃が発生し、武力行使をしなければ国民が被害を被るという事態ー存立危機事態ーにも武力行使で対処することについて、「それは他国防衛ではないか」との批判がある。これについても、「他国防衛の権利として観念される国際法上の集団的自衛権一般の行使をみとめるものではなく、また、他国にまで行って戦うなどという、いわゆる海外での武力行使を認めることになるといったものではない」との見解が改めて示された。ただ、今日の安全保障環境の変化については、ぜひとも与党の中心的政治家の二人の率直な見解の披瀝を聴きたかったところだが、ある意味、時すでに遅しだったことは否めない▼三つめは、自衛権をめぐる論議で、日本の憲法で許される自衛の措置と集団的自衛権、個別的自衛権との関係性を問うたくだりだ。これは、今回の安保法制のせめぎあいの中で最も核心を衝くところである。要するに個別的自衛権の範疇を出ていず、集団的自衛権という呼び名では値しないものだとの反論が与党側からなされてきた。例えば、採決の混乱のあと、メディア関係者からマイクを向けられた自民党議員は「これは集団的自衛権の行使ではなく、憲法が認めた個別的自衛権の行使なんですよ」と述べていた。それに対して「国際法上の概念で整理すれば、限定されたものであるとはいえ、集団的自衛権の行使と言わざるを得ない」と横畠長官は延べ、山口代表は「(これまでの武力攻撃事態には、いわゆる国際法上の個別的自衛権を根拠としてきたが)この度の存立危機事態、これは従来の個別的自衛権プラス、限定的な集団的自衛権を根拠とすることができるということ」で、「いずれも我が国の憲法からすれば、基本的な論理は一貫していて、その枠内の考え方におさまる」という風に聴いた、と述べている。これは、限定的集団的自衛権の行使でも、自国防衛の論理は一貫しており、憲法の枠内に収まっているのだという法制局長官の論理展開を後付けしているわけで、非常に微妙な発言になっているといえよう▼今回の国会での論議は分かりづらいとの評価が専らだ。私もいろんな懇談の場で説明を求められる。また、家族の間でも。普段あまり公明新聞を読もうとしない家人が切り抜いてまで読もうとする姿には愛おしささえ募ってくる。昨日も、一家庭内のルールと自治会の取り決めとの関係を憲法と国際法の関係に例えてみたり、「一国平和主義ではなく、世界平和主義でなければならない」と述べるなどした。その挙句に「分かった?」と訊いてみたら、ただ首を横に振るだけ。うーん。厳しい。さてどう説明するか。日暮れて道遠しというほかないのだが、ここは思案のしどころ、知恵のひねりどころである。(2015・9・18)

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