【141】自民党の「解体的出直し」ではなく、解党=分党を提案する/1-26

 自民党の政治刷新本部の中間取りまとめを見て、呆れた。こんなことで国民が納得すると思っているのだろうか。自民党支持者はともかく、普通の一般国民はとても理解できない。まず、事態の認識から間違っている。冒頭にある「今般、自民党の政策集団における政治資金パーティーにおいて政治資金規正法違反の不透明、不適切な会計処理が指摘され、特定の政策集団の行為により、自民党全体に国民の厳しい目、強い疑念が向けられている」の一文である。「特定の政策集団の行為により」というのは、安倍派の行為を指すと見るのが常識だろう。だが、他の政策集団(いわゆる派閥)も大同小異。自民党全体が厳しい疑念に晒されているからこそ、「政治刷新」が求められているのに、のっけから間違っている◆冒頭の結論部分にある「決意」もおかしい。国民の信頼を得るために、「わが党は解体的な出直しを図り、全く新しく生まれ変わるとの覚悟で、信頼回復に向けた取り組みを進めなければならない」というくだりだ。「解体的な出直しを図り」というなら、ここは覚悟を述べるだけでなく、ずばり解体=解党するしかない。その場合、今の5つの派閥ごとに、分党するのが最もわかりやすく、手っ取り早い。それは殺生な、無茶な、というのなら、百歩譲って、本来の政策集団の集まりらしく、テーマごとに違いを明らかにして再編成するのがいいかもしれない。この党は昔から今に至るまで、左右雑多な政策を信奉する人たちの集いとされてきた。いい機会だから、政策の差異を明らかにしてさっぱりと腑分けすればいい◆ちょうど時を同じくして、東芝が上場廃止に追い込まれた。経済の世界のことで、政治とは違うという勿れ、東芝のことここに至るまでの状況と、自民党が今直面している事態は極めて類似している。東芝の危機の発端は06年に買収した米原発子会社の不審にあったとされる。その後、リーマンショックやら東電福島第1原発の事故が重なった。自民党の政治差配の歴史も30年前のリクルート事件を持ち出さずとも、近年の首相経験者への疑惑を始め、閣僚級の犯罪に事欠かない。共にする不祥事の根っこには、自らが招いた「経営への不信」と、「政治運営(政営)への不審」があるという他ない。こうした類似性を知ってか知らずか、今回の中間報告では、ことの原因を「現行の法律ですら順守が徹底されていなかったこと、すなわちコンプライアンスの欠如にある」として、「コンプライアンスの強化を図る」一方、「ガバナンスを強化する」という。これらの言葉、元を正せば異国の企業経営に使われてきたもので、コンプライアンスとは、外的法的なルールであり、ガバナンスは自らを律する力といえる。日本の政治の根幹を束ねる集団が自らの不正を改めるにあたって、経済的外来語を用いるのは本気度を疑うだけでなく、いかにも侘しい◆さて、自民党を分党して解党すると、にわかに政治は緊張感を増して面白くなる。何回選挙をやっても、おおむね自民党が勝つという類型パターンは姿を消す。テーマごとに既成政党と旧自民党派閥政党の組合わせで連立すればいい。公明党にとってそれこそ、かつて望んだ「夢」だった。「55年体制」の打破を夢見た私など、自民党との連立は、内側からこの党を糺すため、言い換えれば、壊すためだった。「自民党をぶっ壊す」というセリフを小泉元首相に先に使われてしまったが、ようやく本来の意味でのその機が熟したといえよう。公明党が「政治改革の旗振り役を担う」というのなら、そういう事態を引き起こしてこそ、真実味を増すに違いない。30年前の政治改革の旗振り役を担った者の一人として、あの時の二番煎じであっては断じてならないとの深い反省の思いを込めて、そう思う。(2024-1-26)

※『民主主義の見直し議論に向けて』(下)は、次回にずらして掲載します。

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