【140】「政治刷新」は〝急がば回れ〟━━「民主主義の見直し」議論に向けて(上)/1-22

 新年早々にNHKテレビが放映した『AI×専門家による6つの未来』なる番組は中々興味深い内容であった。30年後の日本がどんな風な社会になっているかを念頭に、膨大なデータをAIに取り込ませた上で、6つのシナリオを提示させた。専門家の助言を得ながら、どう我々が選択していけばいいかを政治家、学者、企業家らの代表が考えるというものだった。番組の展開は、「地方分散・マイペース社会」と、「多様性・イノベーション社会」の2つに絞り込ませ、結局はこの2つをうまく融合(共鳴)させようとの結論に落とし込んでいった。その過程で私が注目したのは、政治家と学者の考え方・取り組み方の根本的なズレが改めて浮かび上がったことである。

 登場していた政治家は新藤義孝経済再生担当相。一方、学者は、経済思想家で東大大学院准教授の斎藤幸平氏。共に私が個人的に期待を寄せる気鋭のプロフェッショナルだが、基本的な経済思想的立脚点が相違する。前者は、与党自民党の担当閣僚として当然ながら経済の成長を第一義とする。後者は、そうではなく、人間中心の社会を目指すために、脱成長も辞さないことを徹して訴えている。

●政治家と学者の基本的な考え方の差異

 番組の中で、斎藤氏はこの30年の日本が「ビジョンなきバラマキ」に終始してきたと指摘した上で、現状を企業中心でなく、人間本位の社会に変えていくために、国民的な議論を始めていくべきだと強調していた。一方、新藤氏はこの30年がなぜ停滞したかに全く触れず、今が社会を変えていくタイミングであり、いいチャンスだといった風に、前向きに視聴者を鼓舞することに終始していた。若者の考え方が老人中心の政府に反映されていないとの批判に対して、「一度税調の場に来てくださいよ」と切り返していたが、笑うしかない。

 斎藤氏は自著の中で、「政治家は次の選挙より先の問題を考えられない生き物なのだ」と明言している。この日も恐らく再確認したに違いない。一方、新藤氏は《学者は現実から遊離した空論を弄ぶ生き物なのだ》との考えを再認識したかもしれない。この日の議論で、対立する立場を埋めるきっかけさえ掴めなかったのは、見る側としてとても残念だった。

●民主主義刷新の方向性

 新年元旦に能登半島を襲ったM7の大地震で、石川県を中心に被災者が悲惨な日常に喘いでいる。そうした緊急事態を横目に、自民党の政治資金パーティを巡る裏金事件は、幅広い国民各層に政治への幻滅を与え続け、政治不信の拡散は深刻な状況にある。同党内の「政治刷新本部」の動きを見ていて、まるで30年前の〝政治改革の嵐〟当時にタイムスリップしたような錯覚を持つ。「政治刷新」の方向が政治家、政党のカネの行方ではなく、国民大衆の生活向上のための国民大衆のカネの行方を左右する「政治・刷新」に、どうしてならないのか。庶民大衆の嘆きの声が聞こえて来る。

 この状況下で、「政治刷新」の議論は、政治資金を巡っての法的レベルの分野に留まっている場合ではない。この国のこれからの有り様、国家ビジョンにまで及ぶものでなければならないと、強く確信する。その観点で、より大事なのは「日本の民主主義」についての考察であり、見直しである。それが〝急がば回れ〟ということになると、私は思う。(この項続く 2024-1-22)

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