【182】「交代」の前に「伯仲」を━━立憲民主党の新体制とこれからの政局/9-24

 立憲民主党の新代表に野田佳彦氏が決まった。この党については、政権を獲ったあの3年間を指して、自民党筋から徹底して「悪夢の時代」と叩かれ続けてきた。主に安倍晋三元首相の口になるものとの印象が未だに強く、確かにその側面はあった。ただ、この党の苦節12年への「レッテル貼り」も、そろそろお蔵入りにしてあげてもいいのではないかと思う。政権を手放した時の首相だった野田氏は、自身のことを安倍晋三氏の「かませ犬」と自虐的に位置付けてきたようだ。安倍氏もまた最初に政権の座について1年ほどで持病もあったにせよ、失政続きで降板を余儀なくされた。のちの福田、麻生政権を経て自民党が下野した時を含めて安倍氏には、合計苦節5年あったればこその復活があったと、その『回顧録』で心情を滲ませている。今の立憲民主党の立ち位置とは比較にならないものの、野田氏は恐らく亡き安倍氏の思いを我が身にダブらせて、〝2度目の登板〟に期するところは相当に重いものがあろうと察せられる◆野田佳彦という人物は、何と言っても名演説家であり、国会質問上手である。安倍晋三氏への追悼演説で多くの人々を泣かせたし、最近では岸田文雄首相をしばしば追い詰めた、政治とカネをめぐる追及など記憶に新しい。昭和44年から国会記者になって今日まで、私は政治家の数多の演説や質疑を聞いてきたが、野田氏の右に出る人はそうザラにいない。とりわけ「情」の部分が大きいウエイトを占める。身内を褒めるのは憚られるが、公明党の先輩たちでは渡部一郎氏の演説や黒柳明氏の委員会追及は迫力があった。また、太田昭宏前代表も味わい深い名調子だったが、野田氏の「聞かせる演説」、「説得力ある追及」は彼らに決して勝るとも劣らない。そういう名うての論客、切れ味抜群の元首相が表舞台に登場したからには、党派を超えて日本の政治の前進のために大きな働きを期待するのは「人情」というものだろう◆なによりも、「旧統一教会」と「政治とカネ」の問題で、「地に落ちた」政治への信頼から、どう立ち上がるのかとの面で、野党第一党の立憲民主党も、ただ自民党を批判すれば事足りるというわけではない。何よりもこの2つの問題をうやむやにしたままで、〝刷新感という目眩し〟で当面する衆議院総選挙を逃げ切ろうとする自民党との論戦が注目される。その場面で徹底的に自民党の再生を促して、新総裁のもとでの上記2問題からの再生の本気度を確かめる必要がある。今の同党総裁選挙では、2つ共に上っ面をなぞっているだけで、およそ「もう一度一から出直します」(小林旭)感は伝わってこない。しきりに野田氏は自身の代表選出馬に当たって「昔の名前で出ています」(小林旭)じゃあいけない、つまり「新しい人よ目覚めよ」(大江健三郎)との思いを披瀝していた。しかし、顰蹙を買うことを承知で言うと、小林旭お馴染みの曲には「私の名前が変わります」というのもある。これはまた心機一転立ち向かう心意気の大事さを訴える名曲なのだ◆野田氏が「政治改革は政権交代である」と強調していたことについて、今朝早く私の友人の女医が「野田さんはどこの党と組んで政権を獲るつもりかなあ」と呟いてきた。私は「当面は、国民民主党、維新を考えてるんでしょう。今度の総選挙で、自民党が壊滅的に減ることを期待して、その分、野党が増えるはずと〝取らぬ狸の皮算用〟をしてるに違いない」と返しておきました。政権を一気に取れるかどうか、つまり立憲民主党を中心とした今の野党が多数を占めるということは、俄に信じがたいし、公明党の人間としてもそれは防ぎたい。ここは、手前勝手を承知でいうと、自民党の大敗は身から出た錆で仕方ないものの、公明党は勝利させて貰った上での「与野党伯仲」状況が望ましいというほかない。どう考えても、あれだけ酷い体たらくだった政党が直後の総選挙で「現状維持」をするということは日本の政治にとって良くない。と同時に、未だ未だ政権担当能力があると言い切れない未熟さのある立憲民主党を中核とする野党が政権を獲ることも信じ難い。ここでの政権選択は「曖昧模糊とした現状維持」かそれとも「交代直前の伯仲状況」かであろう。どちらがいいか。〝政権交代の寸止め〟という「奇跡的伯仲状況」での「政治の緊張感」が求められるべきだ。全ての党が「過去の過ち」、「至らなさ」を反省して、次なる「真の国民政権樹立」に向けて、「大衆を巻き込んだ競争」に立ち上がることを期待したい。(2024-9-24)

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