先週末は、土曜日の公明党の県本部大会に次いで日曜日には、「いじめ」をめぐる私教育関係者の講演会が神戸であり、友人を誘って参加してきました。二部構成のこの会はとても面白い内容で、大いに考えさせられました。
「いじめ」をめぐる重要な対応提案を聞く
幾たびか小欄でも紹介してきました作家の高嶋哲夫さんは、いま学校教育の現場での「いじめ」や「ひきこもり」による不登校の激増について、強い関心を持って世間に対応を迫る一大運動を起こす構えでいます。私に対しても協力要請があります。先日は2人だけのミーティングをやり意見交換をしました。その際にこの日の会合で彼が講演をするとことを聞いたのです。
主催はAJC(全国学習塾共同組合)で、一部が『夢の話をしよう。でも夢じゃない』〜私教育を一つの力に〜とのテーマで高嶋さんが担当しました。二部は、『「いじめ」のメカニズムについて』で、学校法人神戸セミナーの喜多徹人校長が講師でした。集まった人たちは、県下各地で私塾の経営者や、予備校の関係者の皆さん30人ほどでした。
高嶋さんの講演は、日本の教育現場がいま、子供たちが抱える、いじめ、不登校(ひきこもり)、虐待、ヤングケアラーなどの問題によって、極めて深刻な状況にあることを指摘するところから始まりました。その一方で、いわゆる「詰め込み・暗記重視型」の受験教育の結果は悲惨なもので、創造性豊かな個性溢れる人材群を輩出する米国の大学教育の成果とは比べるべくもない差を生み出すに至っていることを強調。その原因は、公教育を司る文科省の旧態依然とした杜撰な方針や展開にあるとしました。このため、今求められているのは、この現実を認識した上で、私教育に取り組む者たちが団結して、国民、政府を動かしていく大きな運動を起こすべきだとの持論を披歴されたのです。
具体的には、「いじめをなくす」との共通の目的に向けて、「いじめを考える日」を設定した上で、適切な映画を作って、全国の学校でみんなが一斉に見ることなどを提起されたのです。そこには、高嶋さんの著作『ダーティー・ユー』(2001年)の映画化が考えられており、この映画を観ることをきっかけとして、子供も大人もみんなで、「いじめ」について考えようというわけです。ここから始めて、日本の教育の歪んだ側面を糺しつつ、創造性を取り戻す変革に向けての大きな運動を起こそうという壮大な計画の一端が述べられました。
さて、どうするか。高嶋さんの提案を聞いて私は今思案投げ首の最中というのが偽らざるところです。
「いじめ」のメカニズムについて
一方、二部の喜多さんの講演は、「『いじめる側』『いじめられる側』『保護者』への関わり方」とのサブタイトルが示すように、彼の経営する学校法人の現場の実践に基づいた極めてリアルな内容でした。
まず、まじめで忠実な生徒ほどとても忙しい状況に直面していることを具体例を挙げながら語っていきました。繊細な感性を持つ、周囲に気を遣う子供ほど「いじめられる」ケースが多いというのです。喜多さんは、人には、それぞれ「個性」があり、「得意」「不得意」があるのは当たり前だとして、「所属組織の文化に合わない」「文化的に少数派」だと見られると、「問題化」することになるケースが多いと述べました。その中で、HSP(ハイリーセンシティブパーソン=感受性の異常に高い人)と発達障碍の差異を述べたのですが、なかなか興味深いものでした。
また、「意図されないいじめ」から「意図されたいじめ」や「犯罪」としての「いじめ」に至る、「いじめ」のメカニズムについての話には引き込まれるに十分なものでした。現実的には、「意図されないいじめ」が多く、一人ひとりの生徒の感じ方でいじめが生まれるとのメカニズムの解明は納得がいくものでした。こうした分析を通じて、最終的な対応の基本は、①「事実はどうか」や、「正しいか、正しくないか」から入ると、対立が生まれる②「当事者間の話し合い」は避けるべき。「巻き込まれない」ことが大切③保護者への対応は、「関係性の構築」と、「目標の共有」を目指すこと━━だとしました。私教育の現場では、「仲裁は一切しない。巻き込まれてはいけない」という原理原則は極めて印象的でした。
この話の合間に、喜多さんは斎藤元彦兵庫県知事の事例に触れ、論理的思考は極めて得意だが、情緒的思考は理解できないタイプであるとの趣旨を示されました。かねて、知事の性癖に病的なものを感じてきた私としては大いに納得したしだいです。(2024-12-18)