★「人材希少社会」の今を4つの切り口でえぐりだす
人の口の端に「人手不足」が二言目には上がるというのが現代日本の顕著な傾向である。「公明」6月号は、「人材希少社会を生きる」との特集を組み、①産業社会の最前線である建設業界の実情②労働生産性向上のための「人的資本経営」のあり方③科学技術の衰退と博士人材の将来不安との関係④教師に寄り添わない「給特法改正」をめぐる国会審議の問題点などについて課題を克明にえぐりだしている。
4本の対談、論考から、いま日本のどこがおかしいのかが改めて見えてくる。ゴチック文字に棒線を付した大事な主張のありかを示した①や、バリューチェーン(価値創造の連鎖)を川上、川中、川下に分けて変化見取り図に示した②も面白く読め、④も国会審議の争点が分かって〝お得感〟があったが、最も僕が深刻に受け止めたのは③である。著者は自身の経験をもとに克明に科学技術者たちの置かれた状況を分析して、博士人材の危機的状況を明らかにしていく。その上で、今後どうすべきかについて、①アカデミアにおける任期制の原則廃止②アカデミア以外の分野でも博士人材の活躍出来る場の醸成③卒業後のキャリア形成などを提案している。「人材希少社会」の全貌を考える格好の入門論考集である。
もう一本、興味深かったのは「ディズニー実写作『白雪姫』に映る変革のメッセージ」(秋元大輔・東京情報大学准教授)である。これを読むと、「女性差別」をめぐる問題の根源的所在の糸口が分かる。ディズニー映画の歴史とメディア文化の流れを振り返りながら、世界の今を見つめる著者の構想力のダイナミズムに心揺さぶられる思いがした。「実写版『白雪姫』を観た者の中から、多くの女性リーダーが誕生するであろう」と、日米の女性トップ誕生に期待するのだが、男性リーダー及びその候補こそ観るべきではないのか。
★「極中道」という不可解な政治スタンスからどう抜け出すか
「新しい選択肢を認めない『エキセン(過激中道)』が席巻する世界」(酒井隆史・大阪公立大学教授)は、世界の政治の今を考える上で大いに刺激を受けるインタビューである。このところ毎号『公明』に登場する大胆不敵な論考企画に心躍らせている向きは少なくないと思うが、これはタイトル通り(エキセン=エキストリーム・センターの略称)極めつきの読みものだ。僕が3年前に書いた『77年の興亡』や2年前の続編で主張した、公明党の自縄自縛的立ち位置の背景が判然としてくる。体調不良の際に医者から病気の名前と由来を教えられた時のように、落ち着かなかった気分が妙にはっきりするから不思議だ。以下、このインタビューへの僕自身の独自の解釈(極解説)をちょっぴりさわりだけだが披露してみたい。
「極左」「極右」があれば「極中道」があってもおかしくない。現代政治学が生み出した概念規定はとてもユニークだ。「極」とは、本来の左右、中道からはみ出した極端な立ち位置を指す。そんな中で新しい選択肢を認めようとしない行動パターンを「極中道」というのだそうだが、逆に状況に応じて新たな選択肢を見出し、的確な行動を起こすものは「真中道」と呼ぶべきかもしれない、と僕は思う。
1980年代に目を見張るような戦いぶりを見せた公明党の中道主義が停滞しているように見え、ひたすら保守の権化・自民党に寄り添う姿を訝しく思う公明党支持者は多い。そういった現状に対して酒井さんは「オルタナティブ(選択肢)を提示すること、そして『革新勢力』に立ち返ることこそが本来の中道の役割です。例えば、民主主義の未来において、政治家は果たして必要な存在か。そうした社会や国家を根本から考える〝深い問い〟を持ってほしい」と呼びかける。
僕はこの問いかけこそ「真中道」=「仏法中道主義」の生き方に通じるものだと思う。この酒井さんの指摘に違和感を持つ向きは、かなり「極中道」に毒されているに違いない。移りゆく情景の目新しさと繁忙さの中で、遠い日に持った〝重い問いかけ〟を忘れている仲間たちに、早く思い出すように自覚を促したい。
酒井さんの指摘を受けて、公明党の行く道が改めてはっきりしてきた。それは「極中道」から脱して本来のあるべき「真中道」へ戻れ、ということに尽きよう。このインタビューを読んで、我が意を得たりと喜ぶ人は僕だけではないと思う。(2025-5-25)