【194】就任後初の兵庫入りした斉藤新代表とのやりとり/12-14

 師走12月もあっという間に中旬となってしまいました。このところ、来春に出版予定の『ふれあう読書━━私の縁した百人一冊』の出稿作業に忙殺されてしまい、『後の祭り回想記』が滞ってしまいました。今日やっと書こうという気力が漲ってきました。テーマは、「60周年を迎え終わった兵庫県公明党の今」です。といっても、抽象的になってしまうので、14日に開催された県本部大会の内容から、最新の「公明党の空気」を追いつつ所感を述べてみたいと思います。

 年4回ミニ新聞を作成し地域全戸に配布した市議の活動報告

 兵庫県公明党は実は日本一の党勢を誇っていると言っても過言ではありません。何しろ、全県下各市町で空白区がゼロなんです。つまり、あらゆる議会に必ず1人は公明党所属の議員がいるということです。これって凄いことだと思います。しかも、国会議員が衆参合わせて2人づつで合計4人もいます。今回の衆院選で残念なことに大阪が4人の小選挙区で全敗したため、参議院議員の2人だけになってしまいましたから、兵庫が人数でトップになりました。このあたりのことについて、新代表として就任後初めて兵庫にやってきた斎藤鉄夫氏が挨拶の中で、紹介してくれて改めてその値打ちを確認したしだいです。

 今回の大会で圧巻だったのは、高砂市議会の春増勝利議員の活動報告でした。彼は小学校の校長を定年で終えた後に初出馬した人です。当選直後の2年半前に前任者の砂川辰義さんに紹介されて会いましたが、その清々しいお人柄に魅入られたものでした。この日参加した議員や代議員(県下各支部から選抜された党員代表たち)も異口同音に「凄い」「大したもんだ」「みんなが見倣えばいい」と語っていました。

 中でも年に4回開かれる議会に全て質問に立ち、毎回40分の質問を重ねてきたことには驚きました。しかもその都度、「はるます通信」というミニ新聞を作成して、担当エリアの約1000世帯の家庭に自ら一軒づつ配布してきたと言います。なかなかできないことです。それをやり続けたと言うのですから、地域住民との絆は相当に深まったに違いありません。私は終了後、彼に原稿を貸して貰い、その場で写し撮った上で、続けることの大事さを強調して激励しました。その際に「砂川先輩にいつも厳しくも温かく励まされたおかげです。これからも頑張ります」と言っていました。結党60周年を飾る嬉しい活動報告でした。

斎藤代表の選挙総括に感想と提案

 赤羽県代表(党副代表、元国交相)の挨拶で印象的だったのは、公明党の中で小選挙区で8回当選し続けてきた(落選は一回)のは自分だけだと述べたことでした。確かにこれは凄い。その背景には、地域党員支持者の皆さんの涙ぐましい支援活動の展開やら自公選挙協力の積み重ねなどがあるのですが、並大抵のことではないとつくづく感じ入りました。彼が大学生の時から私はよく知って(13年後輩)いますが、そのタフガイぶり、挑戦の姿勢には感心し続けています。更に、大臣を経験し、一段と質問力や答弁力に磨きがかかってきました。

 斎藤代表の挨拶では、今回の選挙の総括を全国の県代表から吸い上げた結果として、共通する3点を挙げていたことが注目されました。一つは、選挙戦開始と同時に自民党非公認の候補者を公明党が推薦したこと。二つは、公明党が全世代社会保障に力を入れていることが、結果的に若い世代に力を入れていないと誤って捉えられたこと。三つは、公明党もSNSに力を入れてきたが、今一歩有効な手段となっていなかったこと。いずれもその通りです。ただ、自民党への批判が全く聞けなかったことに物足りなさが残りました。

 終了後、私は同代表に、メールで、「斉藤さんの明るさがいいですね」と率直に褒める一方、ぜひ今後は自民党との間で、この国をどうするかを巡って国家ビジョンを戦わせる場を設けるべきだと持論を強調しておきました。その際に、池田思想の何たるかを自民党に訴えることの重要性をも付け加えました。でなければ、世間から、自公政権が結局は「選挙互助会的協力に過ぎない」と見られるだけだ、とも。

 実は、この日会場に到着した斉藤さんを玄関で待ち受けていた私は、慰労と励ましの言葉を投げかける一方、「安保研リポート」55号を手渡し、「兵庫県知事選についての私の見解を書いてるので読んでね」と手渡しました。これに対し、彼は「いつも赤松さんの書かれるものを見てますよ」と言ったのです。果たしてどこまでかは疑問なしとしませんが、まずは、ほっとしたものです。それもあって、心からの〝追いかけメール〟を送った次第です。(2024-12-14)

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