参議院選挙の公示日の22日、私は兵庫選挙区の伊藤たかえ候補の事務長として”第一声”の挨拶に立ちました。衆議院議員を引退して3年半。公的な場面での登場は久しぶりです。今回の選挙は、兵庫に住む公明党関係者にとって実に感慨深いものがあります。24年前に定数が3から2へと、1減になって候補者が立てられずとても悔しい思いを味わったからです。ここではその際の挨拶をベースに、大幅に加筆したものを掲載します▼元々公明党は参議院政党としてスタートした経緯があり、兵庫県も三年に一度の選挙を大きな節目として闘いを進めてきました。それが叶わなくなり、以後は大阪を始めとする他地域の選挙区支援を主軸に更にこの間に新しくなった選挙制度に伴う小選挙区の選挙戦に取り組んできました。兵庫は2区と8区の2候補者を擁立し、激しい戦いを挑んできたのです。勝利の背景には自公の全国での選挙協力があったことは見逃せません▼24年前の6月にはPKO(国連平和維持活動)法が成立しています。文字通り世間を二分する大論争を招いた法律です。当時の社会党は反対の意思表示として全議員がバッジを外すという異様な行動に出たものです。公明党は世界の中で日本がいかに生きるか、が問われているとの問題意識のもと、国際貢献を重んじる選択に踏み切り、前のめりしがちだった自民党をけん制しつつ議論を積極的にリードしました。思えば、それは今日の成熟した自公関係に基づく連立政権の礎を築く契機となったのです▼長い年月は政党としての公明党を鍛え上げてくれました。今回の選挙では自公の与党勢力で過半数の議席を得る勝利がポイントです。兵庫では自公間での軋みが報じられていますが、内実はそんなことで崩れるほど、柔な関係ではないと私は信じています。これまでお互いが衆参双方の選挙で譲り合い、助け合ってきた歴史があります。民進党や共産党が安保法制を「戦争法」だなどと、全くお門違いの言いがかりを浴びせていますが、これは24年前のPKO法騒ぎと本質的には同様です。かつての日本は自社対決の”55年体制”で政治の不毛化が増進しました。あれから半世紀。今また民進と共産が組んで自公に挑もうとする構図は、あたかも”新55年体制”へと逆行するかのようなものです。この場面で、与党同士がいがみ合うことがあれば、敵を利するだけということを銘記する必要があります。(2016・6・27)