「比例票 自公激減」「自民 党勢衰え顕著」━━新聞の見出し、報道の流れを見て時代の転機を否が応でも感じる。と同時に、自民党と公明党が連れ立って下降線を辿っていることに複雑な思いを禁じ得ない。単独政権から連立政治が常態になって30年。一転、多党政治の時代に突入したかに見える。今、その時に公明党に求められるものは何か。
⚫︎公明党の比例区票の激減と党のイメージ
今回の選挙の比例区における公明党の得票数は521万票強。3年前の前回の参議院選から100万票ほど減らし、改選7議席から4議席へと後退した。自民党は1281万票足らず。前回の1825万票から545万票ほど減票した。まるで公明党分の政党がまるごと消えてなくなったほどの激減である。しかも、自民党と公明党の間に位置する三つの政党の得票数が、762万(国民民主)、742万(参政党)、739万(立憲民主)と踵を接して並んでいる。そこから200万票ほど離れて下に位置するのが公明党だ(維新、共産はもっと下)。結党60年の区切り直後に起きたこの現実は、天の啓示と受け止めたい。
比例区選挙制度は、参院選には1983年から、衆院選は1994年から導入された。この仕組みは、選挙区選挙と違って、より一層「政党そのもの」が問われる。中選挙区で公明党候補として初当選(1993年)していた僕が2度目の選挙(1996年)では新進党から、そして3度目は再び公明党から出た。以来4度当選したが、襷(タスキ)はいつも個人名ではなく、政党名だった。「候補者としての政党」を代表する個人候補者の自分が「素の個性」を出し辛いことのジレンマを幾たびも感じたものだ。
比例区候補者として出て落選した多くの同志も、悔しさと惨めさの混交した複雑な感情を抱いて散ったに違いない。比例区の選挙戦略の有り様としては、名簿搭載者の個人的能力の総和としての「候補者公明党」をどう訴えるかの工夫が足りなかった。公明党の実績は見えても、個人候補者の個性との具体的な絡み合いが分からない。比例区公明党チームの構成員の「顔」をもっと前面に出すべきだろう。
⚫︎政党の「自己開示」の究極としての党代表選挙の実施
今回の歴史的大敗を受けて内外から様々な総括が出されている。内側からのものとしては、伊佐進一前衆議院議員のサブチャンネルの「なぜ公明党は負けたのか 6つの提言」と松田明氏のWeb第三文明の「公明党再建への展望━━抜本的な変革を大胆に」の2つが注目される。伊佐氏のものを肯定的に踏まえた上で、松田氏が①公明党は顔が見えない②「支持拡大」は党が主体的にすべきなどと重要な問題提起をしていて興味深い。
僕もお二人の主張に全面的に賛同した上で、若干違った角度で「自論」を述べたい。一つは、公明党は「自己開示力」をもっと持とう、ということであり、その手段としての党代表選挙の実施である。個人的人間関係でも秘めごとがある相手とは付き合いづらい。政党も自身を大きく開いて見せる度量を持たねば世間は安心しない。どこで決まった分からない経緯を経たトップの選考よりも、白昼堂々と互いの意見をぶつけ合う公明党代表選挙を見たいものだ。
数年前のこと、僕の友人のある大学の教授が「日本の政党で最もよく分からない、暗いイメージを与えるのが公明党だ」と、ゼミ学生の意見が一致したと、きついことを伝えてくれた。今は違うと思いたいが、あまり自信はない。すでに伊佐氏の努力で公明党の「自己開示力」はそれなりに立証できた。あとひと息だ。彼が現役の時に今のようにやっていたら落ちなかったのにと思うのは早とちりだろうか。
二つ目は、自民党と連立政権を組むのなら、相互の間で政策、ビジョン論争を本格的にすべきだということである。出自も育ちも違う政党が与党として一緒にやるのに、どういう国にして行こうとするのかが見えないのでは有権者も困る。いざとなったら戦争をしない方向に舵を切る政党だから、「公明党は危ない」と保守層からは見られている。一方、公明党の伝統的支持者は、そのケースで真逆の選択をする政党として「自民党は危ない」と見ている。これでは、呼吸の合うはずがない。もっと率直に、もっと丁寧に議論をして、合意を目指し、これも公開すべきだ。10年前の安保法制論議も肝心の自公論争が闇の中では、危ない。
⚫︎歴史の分岐点で問われる「若い世代」の選択
最後に、「公明党の60年」を知っている者として、付言しておきたい。公明党の歴史はざっくりと前半30年と後半30年に分かれており、この2つの道は異なる政党のように違うということだ。若い世代は前半つまり20世紀の公明党をご存知ないだろうが、僕を含めて旧世代は21世紀も4分の1が過ぎた今もなお草創の思いが消えない。その思いの最たるものは、公明党は「自民党政治」つまり大衆から遊離した政治を終わらせるために出現した党だということである。
前半30年では外側からつまり野党の立場で、自民党政治を変えようとした。それがうまく行かず、後半30年では内側から与党としてそれをやろうとした。それが失敗した。違う道に進む時だ。いや未だ継続中だ。これからも自民党を内側から変革する戦いをやる。この究極の選択の結論を出す時が今めぐってきている。僕を含む古い世代は前者を取るものが多い。若き世代よ。さあ、どうするか。答えを出せ。(2025-7-23)