【57】いつまで続くもの珍しさと危うさと━━臨時国会の総括とこれから/12-20

 自公政権から自維政権へ。2025年の日本政治の大変換は、58日間の臨時国会で、これまでとは様変わりの様相を随所で見せた。ここでは、高市政権の舵取りの危うさを追うと共に、野党公明党の滑り出しについての課題に迫ってみた。

⚫︎日中関係悪化の背後に潜む高市首相の杜撰さ

 「台湾有事」をめぐる立憲民主党の岡田克也氏の質問(11月7日衆院予算委)に対する首相答弁について、中国が反発し日中間に大きな不協和音をもたらしている。これは臨時国会を通じて最大の外交問題を惹起したが、収束のメドは立っていない。ただ、世論調査(毎日新聞)を見る限り、首相を擁護する意見は多い。問題とは思わないとの回答が50%を占め、内閣支持率も65%台と依然高水準を保つ。ただし、首相自身が自らの発言が軽率であったと認める「反省の弁」めいたものを述べたことからすると、「勝負あった」と言う他ない。首相周辺は、一般世論に味方をする声が多いからと喜んでいる場合ではなく、国家間に横たわる原理、原則をしっかり踏まえていないと禍根を残すということを銘記すべきだろう。

 日中間では、1972年の平和友好条約条約締結と共同声明で、一つの中国(台湾は中国の領土)を日本も認めているのだから、それを無視するかのような発言をすると、「内政干渉だ」との今回のような批判を招くのは当然である。従来から、「曖昧さ」を保ってきた「日本の知恵」をそれなりに踏襲すべきであるのに、つい「本音」を口にしてしまう同首相の危うい性癖が表面化した。新米首相だから仕方ないとはならず、不用意な発言癖で終わる話でもない。外交、安全保障の基本が分かっていないのかもしれぬ。

⚫︎いつまで続くか維新の与党的日常

    一方、内政をめぐって争点となったのは、維新の強い主張であった衆議院議員の定数削減問題であり、企業・団体献金の扱いをめぐる与野党の3法案の取り扱いであった。いずれも決着を見ず、来年の通常国会へと持ち越された。この問題は、政権運営における維新の決断に関する最大の懸案だったが、すんなりと成立への流れに向かうとは予測されていず、持ち越しは既定の範囲だったといえよう。来年の通常国会における予算審議に絡んで、連立政権の命運がかかったままで推移するのは必至で、維新の筋書き通りに行くかどうかは、他の政党との関係もあり、予断は許されないとの見方が自然であろう。

 吉村共同代表の本音は、「副首都構想」の実現であり、それ以外のものは「おとり」とも見られている。幾つもの犠牲を積み重ねたうえで、中核中の中核をゲットしたいとの見方が的を射ていよう。それを見据えた上で、自民党は野党との個別の政策的駆け引きに取り組む姿勢に違いない。そう見ると、国会閉幕後の国民民主党との178万円の年収の壁をめぐる合意の思惑も透けて見えてくるというものだ。

⚫︎野党公明党が真骨頂を発揮することへの期待

 12月初旬に発刊された公明党の月刊理論誌『公明』一月号は「公明党の新出発と政治潮流」との特集を組んでいる。斉藤代表の党県代表協議会での挨拶を除けば、4人の学者、知識人の興味深いインタビューや論考が掲載されている。現時点での公明党という政党への真っ当な評価が満載されており、多くの人が読まれるように勧めたい。その中で共通する点の一つは、ブレーキ役としての公明党が後衛に退いたことへの不安であり、もう一つは野党公明党への新たなる期待である。

 この2つを象徴的に浮上させしめたのが、対中関係での首相の失言に対する斉藤代表の質問主意書提出であろう。首相が軽いノリで不用意に述べたことについて、従来からの政府の基本方針に変更のないことを確認させ、見直しや再検討の必要性がないことを表明する場を作ったのは鮮やかな対応だった。野党に転じた直後に、公明党が事態鎮静化の役割を果たし得たことは評価されよう。

⚫︎「保守改革」ではない「中道改革」の方向性を明確に

 自公政権の課題として、私が事あるごとに指摘してきたのは、両党間での国家像をめぐる協議の場の設置という点だった。政権を担う上で大まかな方向性が一致することは大事である。26年間の歴史の上で、「教育改革」と「安保法制」の2点で両党が鎬を削る議論をしたことは私の記憶に残るものの、一般的には印象が薄い。連立政権を担うもの同士の本格的な議論が少なかったと言う他ない。

 公明党は政権離脱と共に、中道改革勢力の中軸たらんと、旗を掲げた。かつて、日本の政治における公明党の役割は「改革」であり、「安定」を叫ぶのは自民党に任せておけばいいと私はいい続けてきた。だが、自民党との政権から離れたとはいえ、いずれ復帰するとの見方も内外に根強い。自民党との政権に愛着を持つ向きは、「政治とカネ」が主因で別れたのだから、その原因がある程度排除されるなら障害は除去されたとみるかもしれない。しかし、果たしてそれでいいのか。

 この際、改めて自公政権26年の功罪について、しっかりと総括する必要がある。単に「安定」志向だけであってはならない。例えば一例だが、「失われた30年」の中核を形成したアベノミクスが、今日の日本の経済格差やら沈滞をもたらした遠因であったのかといった根本的課題への掘り下げが必要であろう。「中道改革」というからには、保守改革路線とは違うメリハリをつける必要がある。(2025-12-20)

Leave a Comment

Filed under 未分類

Comments are closed.