いつの間にやら、金沢からの早朝の列車の中は高校生ばかりになっていた。誰しもが真剣な顔つき、眼差しでノートや参考書風のものに向き合っていた。通常、電車の中はスマホに〝指っきり〟なのに。この風景は妙に嬉しくなった。僕は興味を唆られる場面に出くわすと、居合わせた人につい声をかけたくなる。だが、この時は思いとどまった。やめとけとの無言のシグナルが連れからあったからである。どうせ、「どこの高校？」「試験なの？」「頑張ってね！」が関の山だったに違いない。つい先日、齢80を迎えたばかりの僕が60年来の親友と金沢で東西から合流して、二日間を過ごした後、向かった先は七尾だった。小説家と弁護士の後輩ふたりを交えての「金沢４人旅」のあと、初めての地への日帰りの「傘寿旅」に行ったのである◆七尾駅前では等伯の銅像が出迎えてくれた。この地が生み出した絵画芸術の巨人「長谷川
等伯」については、安部龍太郎の小説『等伯』を読むまでは全く知らなかった。(というよりも、僕はこの地については何もかもが新しかった)。安部は等伯の法華信仰の核心について、仏教学者の植木雅俊に教えを乞うた。そのエピソードを、日経文化欄で知ってから僕はやっと関心を抱いた。それに比して旧友の等伯への造詣は長く深い。先年彼と一緒に京都に行った際に智積院や本法寺を訪ねたが、あれこれと蘊蓄を傾けられた。ともかく彼は日本の歴史、文化に果てしなき興味を持ち、現に詳しい。この日も、等伯ゆかりの長壽寺に立ち寄って、住職との語らいに時間を割き、「知的貯蔵」を増やしていた。一方、駅からのタクシーで同寺に行く際に、七尾との縁が深いという「八百屋お七」のことを、僕は彼に「どんな話なの」とつい訊いてしまった。彼は待ってましたとばかりにスラスラと答えた。で、運転手に「これでいいですか」と聞く。「はい、それで十分です」との返事が即座に帰ってきた。驚くほど二人の呼吸は鮮やかだった◆
七尾でのもう一つの楽しみはお城だった。といっても僕はこれまた行くまで何も知らず、日本の五大山城の一つということも麓の「城史資料館」で初めて知った。世界文化遺産に輝く姫路城のすぐそばで生まれ育った身には、「百名城」などものの数に入らない。というのも災いのタネかもしれないのだが。7つの尾根筋に作られた〝戦屋敷〟の姿をビデオで見て、築城した畠山家の凄さを思い知った。金沢でしこたま感じた前田利家、まつの英姿と共に、北陸の強者たちの底力に感じ入ったしだいである。この後、駅近くの一本
杉通りが震災の被害が大きかったと聞いて、向かった。随所に倒れたままで放置された商店跡や復旧を急ぐ建物を見た。被災からもうすぐ2年が経つのだが、傷は未だ癒えずとの状況が十二分に伝わってきた。胸が痛んだ。七尾からの支線に乗り換えると、20分くらいで先日逝った俳優・仲代達矢の「無名塾」に行けるし、さらにその先には、若き日の後輩が生まれた穴水や姫路の友人が育った珠洲など行きたい場所があったのだが、時間がなかった◆土地の人には60年来の80歳の2人連れが珍しかったと見え。羨ましがられた。中にはどうしたらあなた方のょうに友人に恵まれるのかとも聞かれた。確かにそうだろう。長続きする友は得難い。その秘訣は、お互い尊敬し合うことだと思われる。彼は僕の交友関係の広さを常に愛でてくれるが、僕は彼の貪欲なまでの知識欲にいつも呆れる。傘寿の次に目指すは、85歳であり、米寿だ。尤も、幾ら長生きしても健康でなくては何にもならない。「ヨレヨレ寝たきり」ではならず、目指すはどこまでも「ピンピンころり」に違いない。いつまでもお互い元気で、また新天地へ行こうと、夢をはばたたせながら別れた。彼は次の宿泊地・富山県高岡へ行くという。こっちは翌日大阪生野区に住む草創の大先輩に会うために、真っ直ぐ家路についたのだった。(敬称略 2025-12-5)