国連への期待寄せるSGI提言の重みー「テロとの戦い」の時代は終わらない➄

世界の歴史を振り返ると、キリスト教と切っても切れない関係にある西欧哲学のもとヨーロッパ近代が世界を席巻して百数十年が経つ。世界は今や進むべき道に迷い、羅針盤たる思想を見失っているかに見える。一方で、「続・新冷戦」の核心とでもいうべき「大国間核開発競争」が再燃、もう片方でイスラム過激主義が西欧文明への報復の一環として自爆テロを繰り返す。そんななか、核開発に躍起となり、ミサイル攻撃をもちらつかせる北朝鮮を非難することは容易なことかもしれない。だが、大国の核保有が認められて、小国のそれが認められないのはおかしいという主張を、いわゆる大国の論理だけで論破し斥けることには無理があるように思われる。核と人類は共存できないということを、事実として推し広める行為の裏付けがあってこそ、北朝鮮を正しく導けるのではないか■国家サイドで一触即発の戦争の危機が新たに高まり、民衆レベルでは自爆テロのもたらす悲劇が跡を絶たない。世界が行き詰ったかのごとくに見える今、真に打開の道はないのだろうか。昨年7月に122か国の賛成のもと、国連で採択された「核兵器禁止条約」は市民社会の圧倒的な声が後押ししたと言われる。採択いらい50を超える国が署名をし、条約が発効すれば、生物兵器や化学兵器に続く、大量破壊兵器を禁止する枠組みが整う。この動きを決してお座なりに見てはいけないのではないか、「国連無力論」が世を覆って久しい。しかし、世界平和の原点に立ち返って改めて人類は国連にもう一度思いを託すべきではないのか。核廃絶、核軍縮、テロ撲滅など、所詮絵に描いた餅にすぎぬとの各個人の胸の内に巣くう思いーこれを打ち破ることに「今再び」の情熱が傾けられるべきではないのだろうか。世界で唯一の被爆国たる日本が、核保有大国米国と歩調を合わせることに腐心し続けているだけでいいのか。「恐怖の均衡論」や「核抑止論」に翻弄され続けてきた年老いた世代は、もはや後裔に退くことが求められている■今年は世界人権宣言採択70周年の節目に当たる。難民や移民の子どもたちの教育の機会の確保を始め、世界の人権確立に向かってやるべきことは数多い。かつて日本で「ベトナムに平和を!市民連合」の動きが盛んであった時代に青年期を過ごした世代は、他国における惨状を放置する自身が許せなかった。支援の手を差し伸べよう、でなければ、悪の側に加担することと同じになるのだとの自責の念があった。今はリベラルを自称する人々の間にさえそういう機運があまり見られない■創価学会SGIの池田先生がこの1月26日に、43回目のSGI 提言を発表した。ここには大乗仏教の粋としての法華経を基盤にした確固たる思想が横たわっている。今日までの半世紀近く営々として発表されてきた提言の数々。と同時にICANなどと共同した市民活動の展開も。国連への期待を寄せる平和確立に向けての具体的な提言に、世界の識者たちも注目度を高めている。「大国の論理」に押し流されるだけでなく、市民の側からの澎湃とした潮流を起こす機縁といくために、この提言の価値は実に重く、深い。日本でももっと真剣に受けとめられるべきではないのか。(2018・2・24=この項終わり)

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