長い空白期を経て、心肺蘇生法の実践講座に参加

新型コロナウイルスの蔓延で、とうとう政府が大規模な催しの開催の「2週間自粛」(新学期までの小中高の休校も)を呼びかける事態となりました。近くは大阪での大相撲春場所の開催、遠くは東京五輪の実施が気になるところです。そんな状況を前に先週二つのささやかなイベントに参加しました。一つは、「AED を使用した心肺蘇生法普及500人講習会」(播磨町総合体育館)。もう一つは、「中小企業の経営革新と事業承継」セミナー(神戸市産業振興センター)です。共に、講師の先生との個人的関係から行く意思を固めました。前者は、AED導入に貢献した医学博士の河村剛史先生。後者は関西学院大学の兼任講師で、中小企業の在りようを熟知する勝瀬典雄先生(6次産業化中央サポートセンタープランナー)。この二つは、一見無関係に思える講義でしたが、人の生き死にと、企業の存続と、実は底流でしっかりと繋がってることを実感しました▼このうち、今回は心肺蘇生法についての報告をします。河村先生と知りあった20数年前から、私は大いにこれに関心を持ち、国会でAED 導入に関する質問も一番早い段階で行いました。しかし、胸や心臓の発作、あるいは脳の異常からか、現実に倒れ込んだ人に遭遇する機会はこれまでなく、いつの日かAEDを操作することもないまま歳月は流れ去りました。心肺蘇生法についても結局は耳学問のまま、その手順についても遠い彼方に消え去ってしまっていました。AEDの設置場所については今でこそ至る所で目にしますが、どこまで活用されているか、疑問なしとしません。そんな折、心肺蘇生法を強力に支える手段としての補助機材がドイツにあることを知りました。手を使うだけではそれこそ手応えが分かりません。そのうえ、女性の胸に、着服のままにせよ触ることへの抵抗があるので、それを避けるために作られた機材だと言います。そこで神戸のクリニックを訪問、同機材を巡って河村先生と意見交換をしたのです。手技によることが唯一最高と確信される同先生は補助機材導入には否定的でした。その代わりに帰り際に、同先生の主宰される講演と実技の会への出席を要請されたのです▼河村先生はこれまで数限りない機会に、数万人にも及ぶ人の前で講演をし、心肺蘇生の手ほどきをしながら、実際にご自身がそれを披露する機会は一度だけしかなかったとのこと。交通事故は日常茶飯事ですが、目の前でぶつかることはほとんどないのと同様でしょうか。講演で印象に残ったのは、救急救命に対する日米の対応の差です。米国では直ちに救命に立ち向かうケースが通常なのに、日本では尻込みする人が多く、見て見ぬ振りをする人さえ珍しくないとの比較には、今更ながら胸に痛みを覚えました。そんな現実を打開するために、帰国後心肺蘇生法の普及に従事することになったとの話は痛烈に響きました▼日本人は倒れた人を前にして大きな声を出して助けを求めることすらしないという指摘には、そんなものかと呆れました。そのせいもあって、私は実技に際して誰よりもでっかい声を出したものです。尤も、すぐさま実行できたのはそれくらいで、人体のモデルを前にして、意識の有無の確認、心肺蘇生のための胸骨圧迫、気道の確保、口からの息の注入、AEDの操作に至る一連の手順には困難さを覚えました。人の生死に関わる場面に直面すると、誤って死を早めたりすることを恐れるあまり、狼狽するのも無理ないことかも、と思ってしまいます。不測の事態を前に日本人社会での対応をどう価値あるものにしていくか。心肺蘇生の補助機材はどのような威力を発揮するものか。あれこれと検討する必要があるのではないかと考えるに至っています。(2020-2-28=一部修正)

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