古今未曾有の事態のなかで、画期的な構想に想いを馳せる

新型コロナウイルスの世界中の蔓延という事態は、数々の深刻な問題を提起しています。ことここに至った政治的責任をあげつらうことはここでは差し控えます。不要な外出を控え、不特定多数の人たちが集まる場所には行かず、マスクの着用と手洗いの励行の徹底が幅広くよびかけられています。小中高といった学校も概ねお休みという状況が続いています。年初までインバウンドの外国人で賑わっていた観光地もガラガラ。企業活動にも大きな影響が出始め、株価の暴落やらで、倒産する企業もこれから相次ぐ雰囲気は避けられないものと見られます。こんな時だからこそ、普段は忙しさにかまけて考えてこなかったことに思いをいたす、ということが大切かもしれません。2008年のリーマンショックの時にも語られたことですが、一体化を強める「世界経済」にあって、マネーゲーム的要素に支配されがちな金融経済と、ものづくりの現場と密接に関わる実体経済とのたてわけをしっかりすることが大事です。両者はもはや一体不可分の傾向は否めぬものの、一時の突風に上っ面が吹き飛ばされようとも、基底部の地に足つけたものの考え方を維持することが重要です。また、常識だと思い込んでいることに、疑問を呈することもこの際とても大事です▲その最大のものは「成長神話」とでも言うべき目標への疑問です。高度経済成長がバブル経済を招き、その破綻から30年ほどが経っているのに、未だに政治・経済のリーダーたちは、“夢よもう一度”との「経済成長」にばかり関心が向いています。現政権は当初、財政出動、金融展開に成長戦略の三本の矢を掲げていたのですが、その後は、地域おこし、女性パワー、高齢者対応といった風なものに目先を変えてしまいました。これは、「経済成長」がままならぬことから、目標を曖昧にしたと言わざるをえません。結局は「経済成長」の幻想に翻弄されているからだと言えましょう▲そんなおりに、政府が全ての国民に12000円のお金を緊急の生活支援として配るということを検討しているとのニュースに接しました。冷え込んだ消費を一気に回復するために、というわけです。一般的にはかつての「定額給付金」(麻生内閣時)が思い出されているようです。ただ、私は「ベイシック・インカム」(現金給付)を想起しました。桁が一桁は違うとはいえ、全ての人々に一定の現金を生活するための資金として配るというこの制度は、出ては消え、消えては出てくる根本的な経済政策の転換の柱です。最近は、一部専門家から、膨大な予算を必要とするものよりも「ベイシック・サービス」(現物給付)の方がよりベターで、現実的であるとの問題提起がなされています▲一方で、生活の困窮を訴える人々への救済策として、「消費税ゼロ」を強調する一部野党の動きがあります。それとは真逆に、消費税を20%ほどにまで引き上げて、そこから得る財政収入を国民全てに還元する方途が望ましいとするベーシック・インカムやベーシック・サービス
を主張する専門家たちとの対立は熟慮の要があります。消費税を上げることにその都度反対の声を上げてきた公明党も、今や軽減税率導入とセットとは言え、賛成の側に身を置いています。いわば、オール・オア・ナッシングの選択肢を前にどう舵取りをするか。ちょうど考えるのに、いい機会です。古今未曾有の「新コロナ」騒ぎの只中で、根本的にこの国のありようを変える試みに挑戦しようと考えることは決して無意味なことではないと思われます。(2020-3-19)

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