子どもたちの叩く太鼓の音から生命力を

先月に続き上京した。今回の目的はかつての市川公明党書記長の番記者たちとの懇親会に元広報局長として同席することや国交省、経産省への要望ごとなどだったが、たまたま26日の夜に昔の仲間が阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでライブコンサートをするというので出かけることにした。30歳代半ばに別れたきりだったから、およそ30年ぶりの再会だった。6歳ほど年下だから団塊世代の最後だろう。早大で学んだことは知っていたが、テナーサックス奏者になったことは知らず、また奥方がピアノを弾きながらソプラノの美声で唄う音楽家だということもつゆ知らなかった。お琴と横笛など和楽器を見事に演奏する女性奏者も加わっての3人のライブは夏の終わりの夜を過ごすに相応しいものであった▼大学時代に教師から、なんでもいいから生涯を通じてやる運動を一つ持てと言われ、加えて演奏出来る楽器も一つもつといいと教わった。しかし、どちらにも縁遠かった。辛うじて60歳からジョギングをやり始めた程度。楽器となるとからきし出来ない。それどころか元々ピアニストとなるべく3歳から英才教育を受けていた妻を、長じてピアノから遠ざけてしまう因を私が作ってしまった。代議士の妻とピアノ弾きは両立出来なかったのである。お琴を弾く女性に憧れた若き日の思いを、記憶の闇から手探りで手繰り寄せながらの一時間余りはあっという間だった▼一転、姫路に帰ってからは自治会の秋祭りの準備で子どもたちによる和太鼓の練習に付き合う羽目になった。付き合うといっても練習会場の公民館に待機するだけで、何か非常のことが起こった際の対応要員に過ぎない。ところがそれが思わぬ機会になった。小学校1年生から6年生までの男女20人ほどの子どもたちの生態は滅多にお目にかからぬものだけに、一挙手一投足が面白い。ワイワイガヤガヤ、まことに落ち着きがなくうるさいことおびただしい。練習用に用意された古タイヤをバンバン叩きながら、「エンヤコーリャ、ドッコイ」「ヨイサー」などなどの掛け声をあげていく。当方は、観察するだけなのだが不思議なほどの生命力が漲ってくる▼教えるのは自治会の年配の幹部。年季が入っているというのか、まことに子どもの扱いがうまい。「何をへらへら笑おうとるんや」「もっと真面目にやれ」「やりたくないんやったら、やらんでもええで」「皆の真剣な姿や音にお父さんやお母さんは元気が出るんや」などと巧みに指導する。子どもたちも段々と真顔に。そんな合間に就学前の幼児や保育園児などがギャーギャーと歓声を挙げながら辺りかまわず飛び駆け回る。そんななかでじっとしているというのも決して楽じゃあない。しかし、ぼーっとしてるわけにもいかないので、本を開き読むことにした。かつて「忙中本あり」と銘打って静かな新幹線車中での心騒ぐ読書に没頭した私も、今では子どもたちの叩く太鼓の音や幼児たちの挙げる歓声や走り回る音のさなかにあって、心穏やかに読んでいるのだ。(2014・9・30)

瀕死の小さな命を救った大きな医力

「未来ある幼い命を救うことが出来て本当に嬉しい」「過去のすべての手術で最も難しいものだっただけに、今正直言ってほっとしている」ー昨24日肺区域移植を国内最年少肺移植患者(2歳児)に施行して、実質的に世界で初めて成功させた岡山大学病院の大藤剛宏准教授の言葉だ。嫌な暗いニュースが飛び交う中で、飛び切り明るい話題をなまでお届けする。実は、この患者の父(H・Tさん)と私は、議員引退後に仕事を通じて付き合ってきており、親しい仲だ。その彼から息子が「特発性間質性肺炎」というとても難治性の高い病気に罹ってしまい、困っているとの連絡を受けたのはこの7月初めころだった。いらい、2か月近くの紆余曲折を経て、8月31日に移植手術実施、そして冒頭に紹介したような担当医による記者会見を迎えることができた。ささやかながら支援をさせていただいた私にとっても心和む場面だった▼実は昨日の岡山大学病院での肺移植チームのチーフである大藤先生の記者会見を前にしたレクチャーを、現場でH・Tさんと一緒に聴かせていただいた。約一時間の懇切丁寧な説明はまことに分かり易く、感動を誘う素晴らしいものだった。何といっても手術実施に至るまでがスリリングだった。意識がなく、気管内挿管・人工呼吸器でようやく呼吸を保つという瀕死の状態だった患者を、当初入院していた埼玉の小児医療センターから岡山まで運ぶねばならない。自衛隊機を使って緊急搬送したものの、感染を併発し一刻の猶予もならず、移植予定日を繰り上げて緊急生体肺移植に踏み切ったという。勿論そこに至るまでには肺という臓器を提供するドナーが必要だ。小さな乳幼児にはそれに見合った小さな肺が相応しいのだが、残念ながらそういうものはない。家族内で探した結果、母親のものだけが適合するということになった▼患者の小さい胸に大きな母親の肺の袋を入れるには区分けするしかない。ドナーの母親の体内で一つの袋(下葉)を二つの区域の塊に分断し、それを息子の両肺に移植する手術だ。数ある血管や気管支を傷つけないように区域の境を電気メスで切り離す作業は、想像を絶する難作業だったに違いない。この辺りは医療知識も乏しくかつ手先が全く不器用な私など解説する資格も何もないので、詳しく立ち至ることは勘弁してほしい。大藤先生以下30人を超えるチーム・スタッフの懸命の戦いは聴いていてもハラハラどきどきするほどであった▼この場に私が臨もうと思ったのは、親しい知人の息子の世界初という手術の実際を知りたいということもあったが、もう一つは現職時代に導入された臓器移植法に強い関心があったからだ。乳幼児の脳死ドナーからの臓器提供が全くない日本にあって、乳幼児患者への肺移植は不可能とされてきた。実際に多くの患児が命を落としている。そういった現状にあって今回の手術が画期的なのは、肺として機能する最小単位である一区域(18分の1)を切り出し、移植・生着させることが示されたことだ。これはこれで世界に誇れる偉業だと思われるが、一方で乳幼児の脳死ドナーをめぐる問題をどうするかが残る▼臓器移植法の採決に当たって、私は反対した。脳死を人の死とみて臓器を取り出すことには、他人の死を期待する風潮を助長するし、そもそも他人の宿命を帯びた臓器が全く異質の体内で機能するかどうか疑問だと思ったからだ。この考えには今も根本的には変わりはない。しかし、今そこで失われようとしている小さな命を救うためには、なんらかの手が施されなければならない。今回の手術の成功は新たに違う道を切り開く大きな意味がある。それゆえに、私のような主張者にとってもホッとする出来事だ▼この子の胸に入った母親からの移植肺が、体の成長に連れてそれ相応に見合うようになるのか心配する向きもある。大藤先生は成長の度合いにもよるが、再移植は必要はないと激励してくれていた。尤も、その必要が出てきたら、今度は父親の出番だと私は言っている。これは内緒の話なのだが、父親がなぜドナーたり得なかったか。実はコレステロールが高すぎたからだというのが真実(笑)らしい。個人情報だから伏せられたようだが、本人には体をコントロールして子どもと一緒に父親も伴走することが大事だと強調しておいた。そして岡山大の医力をはじめ多くの方々のお世話になって貴重な命を授かった子どもに、そのご恩を忘れてはいけないことも。立派な青年に育つよう私も他人ながら見守っていこうと誓っている。(2014・9・25)

 

“超ド級の諸天善神”の講演に深い感銘

「この場に私が立つ資格があるのかどうか悩んだし、とても今緊張しています」と開口一番切り出し、「私はプロテスタントのキリスト教徒ですから」と続け、場内から爽やかな笑いを誘った。関西創価学会にとって忘れようにも忘れられぬ大阪市中央公会堂、いわゆる中之島公会堂で9月20日に開催された潮出版社主催の文化講演会は開場と同時に続々と詰めかけた聴衆の人々で満員の盛況だった。佐藤優氏の『「地球時代の哲学」ー池田・トインビー対談を読む説く』を聴くために、私も姫路から一時間半かけて参加した。東京の友人が応募してやっとの思いで得た入場整理券を、彼が急な不幸のために参加できなくなったので、譲ってもらったのである。あだやおろそかに聞き流しては行けないと、こちらも緊張して臨んだ▼ピタッと一時間のお話を聴き終えて、深く感じるところがあった。その著作の大半を必死になって追いかけてきた私にとって、この人物はまさに現代の巨人の一人に数えていいと思っているのだが、その見立てにいささかの狂いもなかった。参加した学会員の庶民感覚とでもういべきものを、見事なまでに自家薬籠中のものにした鮮やかな弁舌だった。池田先生とトインビー氏との対談については、その著作の中でも強調されているように、親子ほど年下の池田先生が師匠であり、名だたる歴史家のトインビー氏が弟子であると改めて明言していた。対話の名手である池田先生が様々に意匠を凝らし、深い思いやりの心を駆使して対談を進められたことは、連載中に雑誌を読み、単行本で二回読んだものにとって自明のことだけに、まさにストンと落ちる言い回しであった▼先生の対ソ民間外交40年の経緯における見事なまでの展開ぶりの評価は、かの国のすべてを知り抜いた彼だからこそ言えるもので、一段と重みがある。重ねて池田先生の凄さを教えていただいた思いがしてただただ恐懼するばかりだった。また、あの大阪事件において先生が官憲の歪んだ追及の前にひとたび罪を認められたのは何故か、という問題についての言及も迫真の重みがあった。それは戸田先生を亡きものにし、戦時中に獄死せられた牧口先生に続き、二代続けて創価学会の会長を死に追いやることで、創価学会を滅亡させようとする権力の魔性と断固闘うためであった、と。この指摘をあの大戦の戦時下のキリスト教との比較で語られたあたりも、キリスト教に精通している人だからこその深い響きがあった▼21世紀が東洋の思想なかんずく仏教の時代になるということは、いや増して真実性を帯びてきているのだが、その仏教各派のなかでの優劣の差異という点が気に懸らないでもない。親鸞人気や参禅への不変の流れ、後絶たぬ四国八十八か所巡り等々。それにも佐藤氏は、SGIのように世界各国に深く根ざしている仏教がどこにあるか、と一刀両断。一方、集団的自衛権問題を巡っても、随所での彼のコメントの鮮やかさぶりは、他を圧しているが、この日も繰り返し公明党の見事な闘い、と称賛してくれた。私など、「公明党の完勝だとあんまり強調しないでくれ」と思っている。交渉事なのだから、自民党がやきもちを焼くではないか、との小賢しい思いからなのだが…。学会員がどういえば喜ぶかを知り抜いた目線を保っていることはただ呆れるばかりだった▼かくほどまでに池田先生を尊敬し、学会のファンだといっても、「だからといって入会はしないでしょう」というくだりをさりげなく挟み込むのも小憎らしいほどの心配りがうかがえた。外に身をおいているからこそ,佐藤氏の言論を通して、世の人々が創価学会への見方を変える可能性があるということだろう。最後の方で、「政教分離の行き過ぎ」を指摘されたり、物言わぬ公明党議員の消極性をやんわり触れられたところなど、身が縮む思いさえした。これからは「言論出版問題の本質がどこにあったか」などについて取り組みたいと述べられていた。あれやこれや山盛りの講演で、あっという間の一時間だったが、つくづくと、”超ド級の諸天善神”の登場だなあ、と感じ入ったしだいである。(2014・9・21)

 

7千人を看取ったクリスチャン・ホスピス医

テレビの番組を録画してあとでまとめて観るというのは実に楽しい。早送りしたり、途中で止めたりするなど自在にできるため重宝でもある。最近二つの番組を深夜にじっくりと観て、いたく感じるところがあった。どちらもNHKだが、一つは『こころの時代』で『人生最後のおもてなし』(9・14放映)というもの。クリスチャン・ホスピス医の下稲葉康之さん(76)の心温まる話し方に深い感動を覚えた。この人は九州大学医学部時代にドイツ人宣教師に感化を受けてクリスチャンになった。その後42歳の頃にホスピス医になっていらい、今日までの35年ほどの間に7000人を超える人々を看取ってきたという▼不治の病に罹った16歳の少女が死を受け入れるまでの経緯には、いずまいを正さざるを得なかった。死ぬのが避けられないことを悟った彼女が、最期にウエディングドレスを着た写真を撮って欲しいと願い出るところなど涙なしでは観られない。彼は、様々な患者さんたちと接する上で、心に期しているのは,医者としてではなく人生の後輩(死を未だ経験していないという意味で)として、痛みや苦しみを<傾聴>し、<共有>させてもらうことだという。やせ衰えた患者さんから「病気になったからこそ、この病院にはいれて、先生に会えたのだし、イエス様を教えていただいた。本当に嬉しい」との言葉を聞くにつけ、震える思いがする、と▼一方、人気番組『知恵泉』は毎週欠かさず観ているのだが、自動車産業・ホンダの創業者、故本田宗一郎氏の生涯(「人がほれ込むリーダーとは」9・9放映分)は破天荒で、実に痛快だ。よく部下を怒ったというが、「私心で怒るな」がモットーだったし、怒った後の心配りがまた泣かせた。「人の心に棲め」というのが心憎い。最も感動的だったのは、「素直に負けを認める」という姿勢。部下たちから言行不一致を指摘されるや、自身の衰えを自覚し引退を決意するなんて実に潔い。巧みな演説上手も舌を巻くほど。人の心を鷲掴みにして、ほれぼれする。何よりも私が驚いたのは、社長を引退してから全国700か所の現場を回ったということ。社員一人ひとりに「お世話になった」と握手をしていったというのだが、なかなか出来ないことだ▼下稲葉さんと本田さん。牧師でホスピス医と自動車産業の創業者。分野を異にする二人の生き方をほぼ同時にテレビで観て、大いに共鳴した。キリスト教への批判的まなざしを正直私は持っていた。非現実的な神様への信仰についてステロタイプ的な見方をしていたのだが、ホスピスをし続けてきた人の、偽らざる優しい佇まいに圧倒される思いを抱いた。また、自動車産業の総帥たる存在といえば、現場から遠く離れた雲の上の人と思いきや全く違った心暖かい優しい現場の人だった。ともあれ、いいテレビ番組でいい人を観て大いに満足している。(2014・9・18)

観劇中のあくび連発の本当の意味は?

落語家殺すに刃物はいらぬ。あくびの一つも見せりゃいいーどこかで聴いた言葉だ。私自身も演説会やらちょっとした会合で話している際に、あくびをされると、喋る気持ちが萎えてしまい、げんなりしてしまったものだ。ことほど左様にあくびの持つ力は大きい。つい先日、そのあくびを自らが連発してしまった。しかも二つの催しで続けざまに。一つは、舞台公演『炎立つ』を鑑賞しているときのこと、もう一つは、宝塚創立100周年を記念する展示会での学芸員の説明の場でのこと▼『炎立つ』は、20年前のNHK大河ドラマは観ていないが、高橋克彦の原作は印象深く読んだ覚えがある。このたび東京を皮切りに全国各地で舞台公演されることは不覚にも知らなかった。様々な面で、何かとうるさい友人がフェイスブック上でまさに絶賛していたこともあり、決して安くない前売り券を購入した。兵庫県立芸術文化センターの阪急中ホールのS席。前から8列目だった。前半はそれなりに惹きつけられたのだが、真ん中あたりからはいけなかった。片岡愛之助、平幹二朗をはじめ大熱演だったし、音楽効果も舞台芸術も意匠が凝らされていた。が、どうにも話の展開が平板すぎると私には思えた。平和の楽土を東北・奥州の地に作りたいとの思いのみが先行し、3・11を連想させられるのもわざとらしい。ついに二部の最終盤あたりでは居眠りをする始末▼『宝塚100周年展』は、県立美術館で開催中。こちらは招待券を頂いていたので、特段「宝塚びいき」ではないのだが、西宮からの帰り道に足を運んだ。展示そのものはわたし的にはとくに目を惹かされるものもなく、これまた退屈だった。宝塚のスターは3人を除いてあまり知らない。3人とは扇千景、但馬久美と松あきらである。それぞれに私とは因縁浅からぬものがある参議院議員だった。ところが、この3人が殆ど登場しない。あまりにもスターが多すぎるのか、政治家への転出が好ましく思われていないのか。彼女たちの栄光の過去を覗き見たい思いがあったのに、それが観られなかったのは残念だった。加えて、学芸員による45分間の内容説明は、早口で内容に乏しかった。なんと25回もあくびをしてしまった。▼舞台で演じる側や演台で喋ってる人に観られてはまずいと思いながらも、ここまで連発すると,遠慮も何もなくなってしまい、もう止まらない。自分だけがおかしいのではないかと思わざるを得なかった。周りの観客も聴衆も一所懸命に聴いておられたから。とりわけ芸術センターでは、カーテンコールでアンコールを求める人たちの盛大な拍手は鳴りやまなかった。総立ちになって。要するに、疲れているのではないか。毎朝の10キロ走の見返りがこういうかたちででてしまったのかも。愛之助君、御免ね。目線があったので気づいた?(2014・9・16)

ウクライナ情勢とロシアの読み取り方

今朝も爽やかな秋晴れ。空気を鼻から思いっきり吸い込んで吐き出した後、姫路城周辺を大きく二周(10キロ)ランニングした。気持ちいいこと夥しい。最高の気分である。ランニングはウインタースポーツなんだが、秋の空気がやはりランナーたり得ない私のようなジョガーにとってはいい。走るときはもっぱらラジオを聴くことにしている。お気に入りは、NHK第一の「ビジネス展望」だが、つい先日はエコノミストの吉崎達彦氏(双日総合研究所)がロシアのウラジオストックで現地の経済人と意見交換をしに行くとの話をしていた▼このなかで耳をそばだてたのは、プーチン大統領の世界戦略をなめてはならないとの趣旨の見立て。ソ連時代いらいの伝統的な、かの国の外交交渉術は一筋縄でいかぬ厄介かつ狡猾なものであることを見落とすな、というものだった。確かにソ連崩壊を機に、”だらしがないが人の良い”ロシア人気質のような印象(これはエリツィン元大統領の持っていた雰囲気の影響)が先行する傾向は否めず、ロシアくみやすしと見るムードがなかったわけではない。この辺りに左右されて今のロシアを甘く見てしまってはならないとの趣旨と受け取った▼確かにウクライナ情勢を見ていると、プーチンの手口,やり口は伝統的ロシアの凄腕ぶりを髣髴させ、気が重くなる。対するオバマ米国大統領のわかり易い素直な対応が気がかりだ。こんなことではいま再びの”米ソ対決”の冷戦時代ならぬ,新たな戦争の時代に突入しかねないように思われる、と。その後のクライナについては、つい先ごろ読んだ雑誌『世界』10月号の「ウクライナの安定へ  世界を動かす日本外交の役割とは何か」(西谷公明氏と東郷和彦氏の対談)が気になっている。東郷氏は佐藤優氏と同様に、あの「鈴木宗男問題」で官僚人生の大いなる転換を余儀なくされた人物だが、その外交論はやはり傾聴に値する▼この対談で東郷氏は「イデオロギーでロシアを指弾してウクライナ問題は解決するのか」と指摘し、「地政学の観点でウクライナを一緒につくっていこうと言えば、プーチンは乗ってきます」など、「ロシアをもう一度G8 に巻き込む」ことを強調している。同氏は「日本外交政策で世界を変えていくことができる」との確信を述べているが、言うは易く行うは難しい典型例だろう。そんなことをつらつらと考えながら走っていたら、昨今の聖教新聞の特集記事が脳裏に浮かんできた▼今年が池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長が1974年(昭和49年)9月に初めてロシアを訪問してから40周年という節目に当たる。文化外交という民間人としての行動がどれだけ大きな役割を国際社会の平和と安定にもたらすものか、いよいよ注目される時がきた。国際政治という視点からだけではなく、もっと大きな思想・哲学の面から日ロの関係や、世界における様々な問題を見なければならない。とりわけロシアや中国、韓国といった国々とは相互理解の交流が必要だ。池田SGI会長が壮大な展望のもとに営々として築いてこられた道。これからの10年をかけて自分もささやかながら、身の回りから訴えていこう、と思う。(2014・9・14)

講演を盛り上げるための秘術とは何か

最近二つの会合に参加して、聴衆を引き付けるには何が必要かについてあらためて考えるに至りました。一つは、連合自治会が主催して行われた防災訓練の集いでのこと。二百人ほどの老若男女が小学校の体育館に集まって、クロスロードパズルなるゲームをしたのです。それぞれがイエス,ノーのカードを手に持ち、出題者の出す問題に答えるというもの。例えば、三千人がいる災害避難所で、食い物が二千人分しかない。さて、直ちに配るかどうか、という質問です。カードで答えた後、周りの人々で意見を述べ合ってみて下さいと注文されました。ワイワイがやがやと自分の考えを述べあって場内は盛り上がりました▼もう一つは、姫路おやじネットワーク主催の懇談会でのことです。講師のNPO法人・人力舎の不藤悟代表理事が「いじめや不登校の克服について」というテーマで40分ほど喋った後、突然に参加者に訊いてきました。煙草を吸うこどもにどう立ち向かうか、というテーマで同じテーブルに座ってる人たちで話し合ってくださいという出題でした。ここでもワイワイがやがや意見が出され話し合いが持たれました。その後、こうすべき、ああすべきだとの意見が表明されたのです▼共に、正解はありません。皆で考えを出し合い、相互に意見を交換するというところがミソでしょうか。一方的に講演を聞くのは聞く方も話す方も苦痛を伴いがちです。途中で、話す方からの問いかけるということがあって、平板になりがちな講演にも一気に緊張が走ったり、逆に解けたりで、盛り上がりを見せるようです。今まで私も幾度となく多くの聴衆を前に演説をしてきましたが、大半は一方的な自己満足的お喋りだったことは認めざるを得ません。恥ずかしい限りです▼そこで、このところの集団的自衛権問題での説明を求められる機会に、出来るだけ問いかける場面を増やすようにしています。先日も五十人ほどの壮年の皆さんを前に研修会を担当しましたが、次々と訊いていきました。「公明党が目指す平和主義って、絶対平和主義かそうでないか」「憲法と安全保障の関係で、①武力行使はすべてノー②専守防衛に武力を使うのはいいか悪いか③国際貢献に自衛隊を出すのは許されるかどうか④多国籍軍に自衛隊を派遣して武力行使に直接参加するのはいいかー皆さんの意見を訊きたい」といった具合です。目が輝き、皆さん生き生きとしてくるのが喋っていてよくわかります。大変によかった、と終わってから主催者からお褒めを頂きました。ただ、お互いに意見を交換するまでには至らなかったことは残念でした。次なる機会では、たっぷりと時間を貰ってワイワイがやがやと話し合う機会を持ちたいものと思っています。ただ、これはうまく運ばないと収拾がつかなくなるので要注意ではあります。(2014・9・9))

自己防衛を武力で行うことについて

集団的自衛権行使容認によって、これから先は疑似戦争的状態が国内で起こりかねないー私の講演を聞き終えて、舞台そでに入ってこられた壮年が抱かれていた疑問は、要約するとこうなる。海外での戦闘には日本は参加出来ぬように歯止めを公明党がかけたとしても、仮に海外勢力によるテロが国内で起こったら、それに対抗することで日本各地は戦乱の巷と化す、ではないか、と。想定しがたい事態ではあるが、テロはいつ何時起こっても不思議ではないともいえるから、と▼講演の説明の中で、私が自国防衛のためには武力行使はやむを得ないものと述べたことに対して、この人はこうした事例を思いつかれたようだ。そんな恐ろしい状況が起こるなどとは、今講演を聞いた方たちは信じていないはず、とも言われた。要するに、一切の戦争(武力行使)は放棄するというのが憲法の精神であり、70年近くそれで日本はやってきたし、公明党こそその精神の体現者ではないのかと言われる。何かがおかしい、何かが変化しようとしている、と▼今回の集団的自衛権問題で、こうしたピュア(純粋な)な議論を持ち出されるケースはしばしばある。創価学会の会員、公明党の党員の皆さんの中にはとりわけこうした絶対的平和主義に立つ方々が少なくないように思われる。20年ほど前のPKO (国連平和維持活動)に日本が参加すると決めた際にも大騒ぎとなったが、あの時は戦闘活動が終わって、再発を防止することが主目的だと言って理解を求め、そして納得を得た。今回は、抑止力を持つために、自国領域内にせよ武力行使をも辞せずとの選択に驚きを抱く向きも少なくないようだ▼いわゆるテロであれ、海外からの侵略的行為対応であれ、いかなる事態にも武力を用いない、なされるがままにしているーこうしたことが夢の世界でなく、現実のこの世において可能だろうか。聞きながらそういう疑問をこちらが抱かざるを得なくなった。長い間の平和の持続によって、およそ暴力的行為を認めないとする姿勢が深く広く浸透している。それ自体はまっとうなことであろうが、ではそれを打ち破る行為にまで、ただなされるがままで、座して死を待つということでいいのか、との素朴な疑問が頭をもたげてきた。(2014・9・3)

 

「集団的自衛権」の説明でのてんまつ

しばらくぶりに300人を超す聴衆の前に立った。神戸市北区での国政報告会に県本部顧問として。「集団的自衛権」をめぐる安全保障政策について語って欲しいとの要請を受けたものだ。予めプリントを用意した。そこには、自衛権とは、個別と集団の差異、そして集団安全保障との違いから始まって、今になってなぜこの問題が起きてきたのかなどと進め、最後は、私が考案した憲法と安全保障の関連イメージ図の解説を書いておいた▼一会場目では、冒頭に、ついつい余計なことを喋ってしまった。特に、「姫路の黒田官兵衛ならぬ、赤松正雄です」から始めてしまったので、「伊丹では、荒木村重が官兵衛を有岡城に幽閉したとは言わず、一年間滞在して頂いた」と言っているようだとジョーク交じりで紹介(これは受けた)したり、「先週の放映で、毛利の吉川元春が、晩年を本でも読んで過ごすつもりだったのが、己が命を何に使うかが大事だと官兵衛に説得され、九州攻めに加わったことには、定年後の私にとっても大いに考えさせられた」などと話を滑らせてしまった▼本題導入部の自衛権の説明に入る前にも、前提として三つの疑問を挙げた。一つは、元々公明党は集団的自衛権行使には反対だったのではないのか。それが、限定的にせよ行使容認に踏み切ったうえ、それを大きな成果だと言い募っているのはおかしくないか。二つは、公明党の平和主義はどこへ行ったのか。三つは、支持母体の創価学会は、行使容認は解釈改憲であり、それは認められないと言っていた。食い違いは明らかではないか。これらはしばしば耳にするものなので、一つ一つ丁寧に自答した▼第一に、今も集団的自衛権のフル行使には反対である。今回のは、むしろ今まで曖昧だった個別と集団にきっちっり線引きし、自国領域内では個別的自衛権として対応することを鮮明にしたものだ。自国領域外での武力行使には関わらないことを明らかにしたことが大きな歯止めであり、成果だとした。第二の平和主義については、公明党はかねて「行動する平和主義」と言ってきており、旧左翼のように「座して希望するだけの平和主義」や伝統的保守のようなひたすら拡大を求める「積極的平和主義」にも疑問を持つと述べた。三つめについては、解釈改憲を公明党はしていないし、するつもりはない。今回の自公協議での合意は、過去におけるPKO派遣やイラク、アフガンなどへの対応と同様に9条の枠内ギリギリの政策判断だとのべた▼以上の説明の後で、レジュメにしたがって解説をしたが、いささか時間が少なくなってしまった。恐らくは多くの人々は、やはり良く解らんとの思いを持たれたのではないかと懸念する。二会場目ではその反省に立って、冒頭のあいさつや前提に時間を割くのは極力抑えて、本題に素早く入った。しかし、それでも終わって舞台そでにいると、一人の壮年が質問がある、と言って入ってこられた。以下は次号のお楽しみに。(2014・9・1)