Monthly Archives: 2月 2020

長い空白期を経て、心肺蘇生法の実践講座に参加

新型コロナウイルスの蔓延で、とうとう政府が大規模な催しの開催の「2週間自粛」(新学期までの小中高の休校も)を呼びかける事態となりました。近くは大阪での大相撲春場所の開催、遠くは東京五輪の実施が気になるところです。そんな状況を前に先週二つのささやかなイベントに参加しました。一つは、「AED を使用した心肺蘇生法普及500人講習会」(播磨町総合体育館)。もう一つは、「中小企業の経営革新と事業承継」セミナー(神戸市産業振興センター)です。共に、講師の先生との個人的関係から行く意思を固めました。前者は、AED導入に貢献した医学博士の河村剛史先生。後者は関西学院大学の兼任講師で、中小企業の在りようを熟知する勝瀬典雄先生(6次産業化中央サポートセンタープランナー)。この二つは、一見無関係に思える講義でしたが、人の生き死にと、企業の存続と、実は底流でしっかりと繋がってることを実感しました▼このうち、今回は心肺蘇生法についての報告をします。河村先生と知りあった20数年前から、私は大いにこれに関心を持ち、国会でAED 導入に関する質問も一番早い段階で行いました。しかし、胸や心臓の発作、あるいは脳の異常からか、現実に倒れ込んだ人に遭遇する機会はこれまでなく、いつの日かAEDを操作することもないまま歳月は流れ去りました。心肺蘇生法についても結局は耳学問のまま、その手順についても遠い彼方に消え去ってしまっていました。AEDの設置場所については今でこそ至る所で目にしますが、どこまで活用されているか、疑問なしとしません。そんな折、心肺蘇生法を強力に支える手段としての補助機材がドイツにあることを知りました。手を使うだけではそれこそ手応えが分かりません。そのうえ、女性の胸に、着服のままにせよ触ることへの抵抗があるので、それを避けるために作られた機材だと言います。そこで神戸のクリニックを訪問、同機材を巡って河村先生と意見交換をしたのです。手技によることが唯一最高と確信される同先生は補助機材導入には否定的でした。その代わりに帰り際に、同先生の主宰される講演と実技の会への出席を要請されたのです▼河村先生はこれまで数限りない機会に、数万人にも及ぶ人の前で講演をし、心肺蘇生の手ほどきをしながら、実際にご自身がそれを披露する機会は一度だけしかなかったとのこと。交通事故は日常茶飯事ですが、目の前でぶつかることはほとんどないのと同様でしょうか。講演で印象に残ったのは、救急救命に対する日米の対応の差です。米国では直ちに救命に立ち向かうケースが通常なのに、日本では尻込みする人が多く、見て見ぬ振りをする人さえ珍しくないとの比較には、今更ながら胸に痛みを覚えました。そんな現実を打開するために、帰国後心肺蘇生法の普及に従事することになったとの話は痛烈に響きました▼日本人は倒れた人を前にして大きな声を出して助けを求めることすらしないという指摘には、そんなものかと呆れました。そのせいもあって、私は実技に際して誰よりもでっかい声を出したものです。尤も、すぐさま実行できたのはそれくらいで、人体のモデルを前にして、意識の有無の確認、心肺蘇生のための胸骨圧迫、気道の確保、口からの息の注入、AEDの操作に至る一連の手順には困難さを覚えました。人の生死に関わる場面に直面すると、誤って死を早めたりすることを恐れるあまり、狼狽するのも無理ないことかも、と思ってしまいます。不測の事態を前に日本人社会での対応をどう価値あるものにしていくか。心肺蘇生の補助機材はどのような威力を発揮するものか。あれこれと検討する必要があるのではないかと考えるに至っています。(2020-2-28=一部修正)

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熊が出たぁ!越後の里は大騒ぎー「熊森協会」の懸命な闘い

「越後の山には熊が棲む。冬ごもりの前や雪解けののちには、餌を求めて里に現れることもしばしばであった。中には獰猛な人食い熊もいるという」ー江戸と越後を舞台にした無類に面白い時代小説『大名倒産』を読んでいて出くわした一節です。思わず唸ってしまいました。今私が直面している課題を連想させたからです。一般財団法人『日本熊森協会』の室谷悠子会長から、「新潟県南魚沼市の里に三頭の親子熊が出てきて、騒ぎになっている。地元では保護と殺処分の二説があります。何とか助けてやりたいので、応援を」との連絡を貰ったのは昨年の暮れのこと。いらい、私なりに地元の公明党議員団と連携したり、環境省への働きかけなど、あれこれとサポートの手を打ってきました。現在のところ、まだ自治体や関係者との間で調整が続けられているようです。熊は本来はおとなしく優しい野生動物なのですが、人間の側の過剰な防御反応が時に変身させることもあり、冒頭の浅田次郎さんの小説の一節のような表現を生み出してしまうのでしょう。熊にとってはいい迷惑なのですが▼さて、新潟県南魚沼市で昨年暮れに起こった事件とは?全国的に報道されたためご存知の向きもあるかもしれませんが、12月8日朝のこと。同二日町にある萌気園二日町診療所で、親子熊三頭が発見されたのが事の発端です。恐らく山の木ノ実(どんぐり)の不作で、お腹をすかした親子は、餌を求めて人里まで降りてきたに違いありません。たどり着いた先が診療所だったとは、ホッとする思いですが、慣れぬひとたちにとっては驚きです。さてどうするかで地元では意見が分かれました。偶々、熊森協会の企業会員である(株)マルソー(三条市の運送業者)の渡邊雅之社長がとりあえず引き取ることを申し出てくれました。南魚沼市とは百キロほど離れているのですが、熊森協会との連携をとった上で、越冬期間の保護管理をしてくれることになったのです▼「熊が暴れ出したらどうするつもりか」ー北海道を始め全国各地で熊と人間のトラブルが起こっているため、様々な反応があります。もし、少しでも人間に危害が及ぶような事態が起これば、申し開きが出来ないとばかりに、どうしても自治体の責任者は対応に神経質になりがちです。南魚沼市でも当初は保護することに懸念する動きもあったようです。しかし、熊森協会本部の積極果敢な動きもあって、なんとか殺処分はしない方向が選択されたようです。実際に現地に飛んで熊を見たうえで、周辺関係者の意向を聞き説得に当たった水見君は「通常なら母熊は50-60キロあってもおかしくないのに、30キロほどしかなく、子熊共々栄養不足の状態が顕著です。マルソーさんのお陰でこの冬を越すことが出来て、元気になったら、春には奥山に放してやりたい」と言っています▼先日、「熊森協会」の本部(西宮市)で、姉妹団体の「奥山保全トラスト」の理事会があり、私も出席しました。こちらの方は、公益法人化されて今年でちょうど5年になります。その前身時代から着実に取得されてきたトラスト地も今では全国で18箇所、約2290ヘクタールにも及びます。日本全国のトラスト地のうちこれは14%ほどを占め(全国で三番目)ます。荒廃が懸念される日本の森林。熊が里山に出没するのはひとえに、奥山が食糧不足で住み辛いからです。つまりは、熊の出没が森の荒廃の予兆となっているわけです。その因果関係を無視して、熊は人間にとって危険だから、人里に出てきたら殺処分するのが適当とばかりに安易な動きをしてしまうのは、人間の身勝手です。これは結局森の荒廃を許してしまうことにもつながります。広葉樹林の豊かな森林と大型野生動物のシンボルとしての熊の生息を可能とする奥山保全。これこそ次代に残すべき人間の貴重な遺産ではないでしょうか。(2020-2-20=一部修正)

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合意形成へ行動をー憲法調査会発足20年・毎日新聞インタビューから

今年は、衆参両院に憲法調査会が設置されて20年になります。現在は、憲法審査会と名前を変えて、国民投票法の改正法案の審議などに当たっています。このほど毎日新聞が各党代表にインタビューを試みたものが同紙に掲載されました。1回目が発足当時の衆議院憲法調査会長の中山太郎氏。2回目が元民主党の江田五月氏。そして3回目(2-8付け)が私でした。(最後の4回目は自民党の高村正彦氏)。私はここで「合意形成へ行動を」との見出しで❶憲法調査会20年への評価❷与野党が国民投票法改正案を巡って対立していることをどう見るか❸公明党が04年にまとめた「論点整理」では、自衛隊明記案も含まれていたではないか❹公明党の山口那津男代表は慎重姿勢を崩していないことをどう見るかーの4点を記者から問われて答えています▼一つ目については、中山太郎会長のもと、各党が世界観の違いを乗り越えて、自由に議論が出来たこと。政治改革の機運が強く、自民党も民主党も丁寧な議論を心がけた結果、国民投票法が成立したことを高く評価しています。二つ目は、与野党対立の流れを作ったのが、17年5月の安倍首相の自衛隊明記案や改正憲法20年施行などの「フライング連発」にあると断じました。三つ目は、安倍首相が加憲の対象に「自衛隊明記」を掲げたのは、公明党がかつて「論点整理」(04年)に同じことを挙げていたことがあるとしています。ある意味で変化球といえ、これを見送りしないで、ファウルでもいいからバットを合わせる努力をすべきだと述べています。つまり、公明党内で議論をしたり、自民党とも議論を交わすべしという提言です。四つ目は、山口那津男代表が、安保法制が成立を見たため、今のままの憲法9条でも差し支えがない、として、加憲ではなく、護憲に戻ってしまったことを嘆いています▼これについて、様々のご意見をいただきました。憲法をめぐる議論について、普段からあまり知らなかった人からは、これを読んでもよくわからないとの意見を頂きました。確かに、いきなり憲法調査会や憲法審査会などでどういう議論がされてきたと言っても訳がわからないかもしれません。今話題の国民投票法改正案についても、野党がなぜCM規制を求めているのか自体がわからないと指摘されました。この辺りは、メディアの報道の仕方について、もっと工夫を求めるべきかもしれないと思うと共に、政党、政治家ももっともっと有権者に分かりやすく語る必要を感じた次第です▼関心の高い識者からは、赤松は合意形成を言うが、どこに持っていくのか方向性がはっきりせぬまま、合意を得ようとすることは危険ではないかとの疑問を向けられました。これには、私は反論があります。予め方向を決めるからこそ、議論ははなからデッドロックに乗り上げてしまうと思います。お互いの基本姿勢をひとまずは棚上げして、白紙状態から虚心坦懐に憲法論議をすることこそ、迂遠の道であるように見えて合意形成の直道ではないでしょうか。更に、赤松は評論家だ、政治家としてどうすべきかが見えないとの意見を投げられました。これには、私は既に産経新聞のインタビュー(昨年8月)で、❶予備的国民投票法の実施で、国民の憲法についての考えを聞く❷学者、文化人ら有識者の意見を求めて、憲法改正原案を形成する❸政局から離れて純粋に憲法をどうするかの議論をするために専門チームを作って、2年間ほど缶詰めにして議論をし、成案をまとめるーなどの提案をしています。今回も産経新聞の時に続いて、大筋では、多くの方からよくぞ言ったとの評価を得ましたが、これは、憲法というよりも、現在の政治状況全体における安倍与党の政治に対する不満があるゆえだと思われます。もっと、公明党は自民政治にノーというべきは言え、ということでしょうか。(2020-2-12)

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〝後進国〟の「福祉」論が問われるー公明党の二枚看板を検証する❻

「生活保護」をめぐる攻防

政治家の日常的仕事の最大のものは、支持者や地域住民の要望を聞くことー住民(市民)相談である。公明党の所属の議員にとっては、かなりのウエイトを占めるのが生活保護の受給をめぐる問題だということは今も昔も変わらない。かつて自民党のあるベテラン代議士が、当選直後の私に対して、「共産党と公明党の両党議員が生活保護の道筋を積極的につけるものだから、財政が厳しくなる。困ったものだ。公明党のみなさんも、相談を受けても直ぐに頼らせず、自立する生き方の大事さ、自己責任を分からせて欲しいよ」と言われたことが鮮明に記憶に残っている。共産党の専売特許の雰囲気があったこの分野に、後発の公明党が参入して以来、両党が競い合うので、政府・自民党は迷惑すると言いたげだった。
元々究極の生活困窮者の救済の手立てとして、生活保護は位置付けられ、それなりに運営されていた。しかし、高度経済成長の頂点としてのバブル崩壊を経験する前後あたりから、徐々に風当たりが強くなっていく。市民にとって生活保護の対象となり、公的機関から助けを受けることは恥ずかしい、自らの努力で解決すべきだとの考え方の台頭である。生活保護は最後の手段、出来うることなら貰わずに済ませたい。尾花打ち枯らし、ニッチもサッチも行かなくなってから受給するものと、多くの人は思っていた。それがいつ頃からか、生活保護を取り巻く状況が変わってきた。「生活保護を貰っているくせに、派手な生活をしている」とか、「生活が苦しいのはお互い様。それをすぐお上に頼るなんて」などの声に代表されるように、生活保護者が一般の市民から攻撃を受ける対象になってきた。加えて、生活保護を受けて暮らす人を横目に、歯を食いしばって生きながら力尽きてしまい、将来への不安から自殺の道を選ぶ人が後を絶たないという現状も取り沙汰されてきている。つまり、本当に生活保護を必要とする人は誰か。何が障害になっているのかとの疑問が起きてくるのだが、明確な答えが出されぬまま、自公政権下で、生活保護費の切り下げだけが着実に進んできているのだ。

本当の弱者とは誰なのか

かねて、社会的弱者を救済する党という言いぶりで、公明党は福祉の分野での第一人者、第一党の名を欲しいままにしてきた。確かに、大衆福祉という言葉を政治のど真ん中に押し上げ、多彩な政策を縦横無尽に展開してきた。いかにバラマキ福祉と詰られ非難されようとも、「地域振興券構想」などそれなりの手応えはあった。だが、民主党政権3年から安倍政権が7年続いている今、果たして十全たる対応がなされていると言えるのか。
実は、かの55年年体制下でも、自民党は当時の野党・社会党や公明党の提起する弱者救済の具体的方向を事前にキャッチし、それを先取りしてきた歴史がそれなりにある。2000年以降、公明党の連立与党化に伴って、政権の政策決定過程に組み入れられ、よりスムーズに福祉政策が陽の目を見てきた。その動きは、民主党に政権の座を奪われて以降の3年間がピークとなった。政権交代劇のもと、現与党と前与党の間で、福祉政策を互いに競い合うという側面が際だったのである。どちらが先に手を染めたか、との政党間の実績争いは時に激しくぶつかり合う。尤も、勝負は渾然一体化し見極めがつけ難いというのが偽らざるところだ。
例えば、2017年の衆議院選挙で、幼稚園、保育所を無償化するためや、大学や高校の授業料の軽減に消費税を使うとの主張を自公政権が掲げた際に、当時の民進党が政策のパクリだと指弾したことを思い出す。与野党が真剣に有権者の生活の安心・安全に意を注げば、自ずと道は重なり合おうというものだろう。どっちが先に言いだしたか、どっちが体系だった主張かというのは聞き苦しい。もはや、生活の保障に向けての政党間の争点は殆ど区別がつかなくなってきている。
かつて私自身、本当の弱者とそうでもない弱者を区別し、線引きすべきだとの主張をした記憶がある。その当時は、それが可能だと思い込んでいた。が、よく考えれば、それは至難の業に違いない。膨大な予算の投入を講じないと難しい。有り体にいえば、弱者の位置付けを茫漠と曖昧にしたままで、実際に必要としているところには救済の手が届いていなかった。それなのに見て見ぬ振りをしたのではなかったかとの苦い思いが蘇る。

既成政党の枠組み超える動きが急浮上

既成の政党(公明党も今や立派な既成政党だ)が、福祉政策を巡ってツノ突き合わせている現状の間隙を縫って、「れいわ新選組」なる新しい勢力が不気味な動きを見せている。昨年夏の参議院選挙で、身体に障がいを持つ人たちを候補に立て、当選させた。これは大衆の声が十分に届いていないと見る国会に向けて、機能していない代議制への根源的な挑戦だと思われる。山本太郎氏の特異なパフォーマンスに過ぎぬと切り捨てていると、意外なしっぺ返しを受けかねない。安倍自民党が、伝統的な政治家の犯罪に加えて、「桜を見る会」や「統合型リゾートIR」などの汚職事件を繰り返しながらも、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。その状況に対して効果的な攻撃を加えられない既成野党のだらしなさに大衆はうんざりしている。そこに、付け入ってくる可能性は高い。
山本氏は、野党に対して「消費税5%切り下げ」による共闘を呼びかけ、叶わぬなら「消費税ゼロ」を、と訴える構えだ。消費税でなく、大企業の法人税や大金持ちの所得税から代わりにとればいい、との議論である。これはもう既に言い古された論法の蒸し返しだ。その実現のためにはかなりの高税率が求められよう。しかし、今や経済・社会の時代状況が一段と厳しくなっているだけに、人々の胸に深く入り込んでくる可能性なしとしない。消費税をどれくらいあげるか、それともあげないかとの議論が次の衆議院選挙の争点にまたぞろなりそうだ。その際に、改めて財政論の根本にまで立ち至って「税と社会保障のあり方」を問い直す議論がなされるべきではないか。経済成長が半永久的に期待できず、「日本はもはや先進国ではない」との指摘も、特段耳新しくは聞こえない様相を呈してきている。今までの延長線上ではなく、後進国となった日本の福祉をどうするか。既成の与党目線ではなく、新たな大衆目線で公明党は福祉に再挑戦、再起動すべきでないのか。政権の主体者が遠い昔の成功体験に酔ったままではならない。旧態依然とした福祉論では、新型コロナ禍で大きく動揺する社会、経済状況に太刀打ち出来ない。格差はさらに拡大し、真の弱者は置き去りにされたままの事態が続くほかないと、懸念される。(この項終わり)

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