「自国優先」排したグローバルな連帯は叶うかーユバル・ノア・ハラリの場合❷

◉瞑想にふけることの大事さ

イスラエルの歴史思想家のユヴァル・ノア・ハラリ氏の発言については、1時間にわたるNHKテレビのインタビュー放映(4月7日)分のものを基にします。この番組の最後に、インタビュアーの道傳愛子さんから、目下の厳しいコロナ禍の中で、どう過ごしていますかと訊かれて、同氏は、ほんの一瞬考えたあと、「瞑想にふけっています」と答えていました。アメリカの政治学者のイアン・ブレマー氏が同種の番組において、同じく道傳氏から今の危機にどう過ごせばいいかと訊かれて「犬を飼うことをお勧めします」と答えたのと、似て非なる意外感を多くの視聴者は感じたのではないかと思います。

ハラリ氏の仏教理解がどの程度のものかは存じませんが、恐らくはそう深いものではないだろうと私は勝手に推測しています。これはこちらのハラリ理解が浅いためであって、深い意味はありません。現存する世界の思想家の中で、仏教の中にあって、法華経が最も高い位置を占めるということを理解し、南無妙法蓮華経の題目と南無阿弥陀仏の念仏との違いなどを説明できる人にはあまりお目にかかったことはありません。その上で、瞑想にふけるということに、東洋的なものを感じてしまうというのは、我ながら思想的軽さを感じてしまいますが、これは率直な印象だから仕方ありません。

今回のパンデミックの持つ歴史的意義はなんだと思うか、と最後に訊かれてハラリ氏は、こう答えていました。「自国優先の孤立主義や独裁者を選び、科学者を信じず、陰謀論を信じたら、その結果は歴史的な惨事でしょう。多数の人が亡くなり、経済は危機に瀕し、政治は大混乱に陥ります。一方で、グローバルな連帯や民主的で責任ある態度や科学を信じる道を選択するなら、後になって決して悪くない道だったと思うでしょう」と。

実はハラリ氏は、自国優先の孤立主義や独裁者が出現する危険性について、ハンガリー、イスラエル、そしてアメリカのケースを挙げて説明していました。大半の時間をそれに当てていました。それとは真逆の道を行くのはどういう場合か。彼はそれを「グローバルな連帯や民主的で責任ある態度や科学を信じる道」だとしました。周知のように、民主主義の超大国・アメリカ自身が、トランプ大統領の登場以来「アメリカ・ファースト」という「自国優先」の旗印を掲げて、「分断」の迷走に陥っています。著名なアメリカの地理学者・ジャレド・ダイアモンドが近著作『危機と人類』の中で、アメリカにおける合意形成の道が現実的でなくなったと不信感を募らせ、嘆いたばかりです。

そういう状況を狙いすましたかのように、新型コロナウイルスは人類に襲いかかってきました。そして、当のアメリカが犠牲者を最も数多く出してしまうという皮肉な結果になってしまっています。しかもアメリカの指導者トランプ大統領は、かつての同国のリーダーたちが率先して世界に救済の手を出すスタンスを、全くと言っていいほど放棄してしまい、ひたすらに自国に構うのに精一杯です。それどころか、中国敵視を強め、かの国がグローバルな観点で、救済の手を差し伸べようとすることを口汚く罵っています。

◉注目される中国の浸透とその狙い

この度のコロナ禍が発生したきっかけが中国・武漢にあったと見られることから、その後の推移において、中国が欧州各国をはじめ世界にマスクの供給やら医療機材提供などに手を染めようとしていることを、マッチポンプではないかと勘繰る向きがあります。そのように見られがちなのは、これまでの同国の振る舞いに起因するところが大きく、〝身から出た錆〟と見る向きが一般です。つまり、純粋な利他行為ではなく、この際、恩を売ることで、他日の見返りを期待しようとの魂胆が見え見えだということでしょう。

もちろん、国際政治の現実は、甘いものではなく、どの国も自国の利益優先、国益重視に赴くことは避けられません。しかし、中国の場合は二つの意味で、歴史的に大きな脅威に映ります。一つは、〝一帯一路〟の旗印の元に、意図的に世界の覇権を目指す露骨なまでの世界戦略が窺えます。もう一つは、かつて、アヘン戦争以来、中国が欧米列強および後発の日本にまでいいように植民地戦略の餌食にされたことへの復讐の念に燃えているとの見立てが窺えるからです。

日本を含む資本主義列強諸国が巡り巡って、過去に自らがしでかしたことへの償いを中国から求められていると見ることも、あながち荒唐無稽なこととは言えないのです。さて、中国がどう出るか。世界は固唾を呑んで見守っています。尤も、コロナ禍以前と違って、経済力における中国の相対的下降は否めません。時あたかも、延期されていた中国全人代において、「一帯一路」の強調が少し減り、全体的に慎重で低姿勢に転じたと見られるものの、勿論その方向の修正を明確に表すには至っていません。自国優先を掲げて、世界のリーダーの地位からあたかも後退するかの如くに見えるアメリカに代わって、中国がその地位を窺うのかどうか。中国の世界への浸透の今後とその真意が試されようとしていると思われます。

ハラリ氏は、もちろん、名指しにはしていませんが、非民主国家の台頭を認めてはいず、むしろ警戒する必要性を強調していることに、留意する必要があります。(2020-5-26)

ポスト「コロナ禍」考、読み比べージャック・アタリの場合❶

コロナ禍の後にどんな世界が私たちの前に待ち受けているか。様々な論者の競演で喧しい。ここでは目にするままに取り上げ、思うつくままに感想を書いてみたい。1回目は、フランスの経済学者、ジャック・アタリさんから。あちこちの新聞やテレビで取り上げられているが、ここでは、産経新聞5月10日付けの『コロナ 知は語る』をまずはベースに。

★利他的な『生命を守る産業』への方向

ここでの彼の主張は、「過去1世紀で最悪の事態になるかもしれない」とした上で、「人々の間で『社会を別の形に変えねばならない』という意識が芽生えて」きており、そのためには『生命を守る産業』に経済の方向を変える必要がある」としている。ここでいう『生命を守る産業』とは、「衛生や食糧、エネルギー、教育、医療研究、水資源、デジタルや安全保障、民主主義にかかわる生産部門のこと」だとする。なんだか多すぎて、焦点が定まらぬ感なきにしもあらずだが、要するに、「誰かを守り、他者への共感を重んじる利他的な産業へとシフトせねばならない」という。

ここでは、「民主主義にかかわる生産部門」という条件が重要だ。デジタルや安全保障というと、今話題になっている大型データの使われ方は、他者への共感よりも、他者を抑圧し、管理する方向を向いているし、安全保障についても生命を守るというより、自己を守り、他者を傷つけるものに偏りがちだ。すなわち、アタリ氏の掲げる『生命を守る産業』といっても、産業それ自体は中立であっても、用いる人間の哲学、理念、思想次第で、全く逆の結果を生み出すことに注意が必要である。要するに共産主義・中国などは念頭にない。

このところの世界ーつまりコロナ禍以前での動向は、平和構築に向かっての協調、融和よりも、自国優先志向が強かった。その結果、分断の横行がほしいままとなり、経済格差の拡大である。一番端的に現れているのがアメリカ社会である。オバマ民主党政権の目指したものへの反対姿勢を貫き、移民社会の現状に真っ向から反旗を掲げるトランプ共和党政権は、アメリカ社会から「合意形成」を遠ざける一方だとされる。トランプ政権のコロナ禍対応を見ていると、その方向に一段と加速度をつけて進むかに見えている。

アメリカファーストの自国優先、つまりは自己中心主義から、他者との共存、利他主義への転換が求められているということだろう。「情けは人のためならず」という最もポピュラーな格言が今ほど重要視されねばならぬ時はないのではないか。アタリ氏はここでの発言の最後を「他者を守るために動く社会こそ、我々が目指すべき方向」であり、「生命を守る分野で、自立できる産業力を築かねばならない。道のりは長い。その途中、経済競争を乗り越えねばならないだろう。それでも考え方を新たにして、希望を持って進んでいこう」と結んでいる。具体的に、「生命を守る分野での自立できる産業力」に向けての大競争が始まることになるとの予感がするが、日本はどう動くか、大事な局面である。ついこれまで、AI分野を中心に日本は圧倒的に米欧中に立ち遅れているだけに、気分を入れ替えて、新規参入の息吹で挑みたい。

★池田思想によるSGI提言の価値

実は、これこそ、私たち日蓮仏法の目指す方向であり、池田大作先生が「21世紀は生命の世紀である」との旗印のもと、毎年のSGI提言で国連にあらゆる提言をされてきたものと一致する方向だ。改めて池田思想の正しさに強い共感を覚えるものである。

文明にもたらす疫病の影響という観点からすると、14世紀のペストの流行によって、キリスト教カトリック教会が権威を失った。アタリ氏は「宗教的権威は救いを求める人たちの生命を救えなかったばかりか」、「死の意味すら示すこともできなかった」し、「教会の権威は衰え、聖職者に代わって警察が力を持つようになった」という。そして、18世紀末には、死の恐怖から人々を守る存在として医師が警察にとって代わった」とする。つまり、疫病が「近代国家を生んだ」のであり、「迷信や宗教的権威に対し、科学の精神が優位に立つようになった」という。

ここまでの分析は正確だと思う。ただ、今起きているコロナ禍による欧米社会で「医療崩壊」すら招く惨状は、「科学万能」にも警鐘を鳴らしているかに見える。キリスト教の権威崩壊から、科学万能主義の挫折を経て、今回のコロナ禍以後の世界の精神、理念、思想はどこへ行くか。アタリ氏のいう「利他主義で『生命を守る産業』が確実に勝者となるであろう」との方向付けは正しいと思われるが、完全な表現ではない。私に言わせると、利他主義の寄ってきたる思想的根源こそ仏教にあり、なかんずくその最高峰である法華経、その実践の主体である創価学会SGIの力強さが証明される時だと思う。つまり、利他主義のくだりをより正確に言えば、日蓮仏法のもたらす利他主義と置き換えることが望ましいと思われる。

このことは何も我田引水ではない。イスラエルのユヴァル・ノア・ハラリ氏が著名な著作『ホモサピエンス全史』の結論で、これからの人類にとって、「特に興味深いのが仏教だ」と結論付け、「己が心を自身で操れる方途を説く」ものであることをその理由に挙げている。もちろん、仏教の先、その中身には触れていないが、キリスト教に代わりうる思想としての位置付けを評価したい。次回はこのハラリ氏の主張を追ってみる。(2020-5-15)

 

 

コロナ禍のステイ・ホームでの「放送大学」の魅力

新型コロナウイルスの猛威を前に、これまで全く知らないままできた「放送大学」の存在に気づきました。テレビを見る機会がこれまで以上に増えたといっても、くだらないものが圧倒的に多い民放は見る気がしないという人は少なくないでしょう。NHKには見応えのあるものが時々ありますが、四六時中家にいて見るとなると、とてもその欲求に応えてはくれません。そんな時に私は「放送大学」の講義に、連日はまっています▲当初は20講座ほどに触手を動かしましたが、一講座45分間なので、いささか多すぎ。試行錯誤の結果、半分ほどを淘汰して今は10講座ほどを録画して見ています。率直な感想は、イケルの一言に尽きます。なぜ今までこの存在に気づかなかったのか▲具体的に魅力的だと私が思う講座を挙げますと、国際政治学者の高橋和夫さんのものです。この人は中東問題の専門家とは知っていましたが、実際に講義を聞いてみて、本当に面白く魅力的です。『世界の中の日本』『現代の国際政治』『中東の政治』の3講座を一人で担当していますがいずれも抜群に引きつけられます。北欧、米国、中東など世界各地に足を運び、テーマごとに現地のキーパーソンにインタビューをしたり、縦横無尽に新鮮な画像を提起してくれます。また、『徒然草と方丈記』を担当する国文学者の島内裕子さんの講義も実にためになります。仏像のようなお顔から発せられる落ち着いた語り口はなかなかです。英文学者の宮本陽一郎さんの『英語で読む大統領演説』も単なる英語学習だけでなく、米国政治を中心に幅広い知識習得に役立ちます。そのほか一つひとつ挙げるときりがありません▲今、通常の大学では講義が行われず、このままいくと、大学教員の失業が一気に増えるのではないかということが懸念されているとのこと。確かに、オンライン化による講義の効用がこのまま「ポスト・コロナ禍」も続くと、そういうことも起きかねません。今の大学の講義がどのように勧められているかは詳しく存じませんが、放送大学のような工夫をしている講義はあまりないのではないかと危惧します。ともあれ、70歳台半ばの爺さんが久方ぶりに美味しい食事に出会った時のようにワクワクする思いで、毎日テレビの前に座っています。(2020-5-12  一部再修正)

オンライン飲み会で気付いた新たな効用と人間関係

私は「異業種交流ワインを飲む会」を、友人の素敵なサロン風事務所(三宮・北野坂)を借りて、毎月その友人(以下〝相棒〟と呼ぶ)との共催で行っています。もともと、7年前に議員勇退後の私が無聊をかこっているように見えたのが可哀想だと思って〝相棒〟が企画してくれたのが発端です。毎月一回欠かさずやってきたので、今月で75回目となりました。会費は2000円。ワインなどの飲み物はそのお金をあて、食べ物は各自の持ち寄ったものをシェアします▲この会には我々2人それぞれの友人が多い時で14-5人、少ない時で5-6人ほど集まってきます。老若男女、ありとあらゆる職種の人たちが集まってワイワイがやがやと、基本的には6時から10時くらいまでの楽しい時間を過ごします。私は自分でルールを作り、極力一度誘った人はこちらからは声をかけないようにしてきました。でないと、同じ顔ぶれになりがちだからです。新たに名刺交換をしたり、色んな場面で知り合った人を誘うように心がけてきました。〝相棒〟が、この会専用のサイトを立ち上げてくれているので、私の一度来た友人もそれを見て二度、三度と来てくれても勿論いいということにしています▲一回に平均2-3人の新たな友人を誘ってきたため、お蔭様でこの7年で200人ほどの友人とここでワインを酌み交わしてきたことになります。〝相棒〟の知り合いとの出会いも含めると、やがて500人の友達の輪になろうかとの勢いです。当初は私が会を仕切って、自己紹介をしてもらった後、テーマをあれこれ振って会話を楽しんできました。しかし、当節ワンテーマで会議を取り仕切るのは難しく、どうしても数人ずつのグループに分かれての雑談が主になってきています(勿論それはそれで楽しいのです)▲そんな会ですが、今の「コロナ禍」で一堂に集まっての会食は〝三密〟に該当するため、避けようということになり、その代わりパソコンやアイパッド、スマホをつかっての自宅や事務所発のオンラインでの飲み会をすることにしました。6時開始の時点では6人でしたが、やがて時間差で2人ほどが加わりました。こういう会は勿論初の試みなのですが、要するに勝手な会話を気に入ったもの同士がすることは出来ません。自ずと中心者なりの発するテーマを中軸にして話題が集中します。つまり、勝手なワイワイガヤガヤでなく、話題を絞っての〝ワインワインがやがや〟が展開されました。このため、かえって今まで見過ごされてきた友人の生の姿が見えたり、新たな友人の特徴が浮き彫りになったりしました。これは大きな収穫だと思われます。スキンシップは希薄になるものの、その分、バーチャルシップの良さが見えるのです。「コロナ後の世界」が気になる中、私はテレビでの放送大学の受講(10講座)を始めましたが、もっともっと新しい挑戦を増やしていきたいものだと期しています。(2020-5-3)