【82】現代葬祭・埋葬事情を考える━━親の「看取り」を終えて/4-5

 僕は32歳の年の暮れに実母と別れた。あれからほぼ50年。桜の花が咲き始めた先頃、妻の母を失った。この間に父親2人もこの世を去っているので、遂にというか、やっとと言うべきか、4人の親たちがみんないなくなった。今回は親との別れから現代埋葬事情について考えてみたい。

 ⚫︎天寿を全うした義母と早くに逝った実母と

  義母は享年101歳。20歳過ぎで中野区鷺宮に嫁いできて、63歳で兵庫・姫路に娘夫婦と共に転居するまで東京暮らしだった。気丈な江戸っ子で、夫の家業の失敗で家を無くし、どん底生活を味わいながらも弱音を吐かずに乗り切った。30歳代半ばに日蓮仏法に帰依し、どんなに辛くても題目をひたすらあげた。借金取りを折伏して追い返したり、近所で新築の家があれば大工さんたちに日照権の話を持ち出して聖教新聞購読拡大を図ったりするなど、真偽疑わしい「武勇伝」が昔からある人だった。

 姫路に来てからは俳句の会に入って30数年間句作を重ね、90歳代で句集『十三夜』に百句をまとめて橡青啄木鳥集(とち青ゲラ集)同人に推挙されるまでになった。私ども夫婦はせいぜい人気テレビ番組「プレバト」での夏井先生と梅沢富美男のバトルを楽しむ程度。俳句を嗜む域にさえ到達できずにいる。「屋根の上 猫かしこまる 十三夜」という俳句の値打ちもあまりわからぬ親不孝ものだった。

 夫と死に別れたのちの義母の後半生は近畿各地への句会仲間との吟行や句作に励む日々で充実していた。だが90歳半ば以降の晩年は老人介護施設でお世話にならざるを得ず、寂しかったと思う。そうせざるを得なかった義息としては申し訳ない思いで一杯だった。60歳直前に胃がんで逝った僕自身の母は、最期まで夫の献身的な看護を受けた。病院のベッド脇に布団を持ち込み、お風呂に入れてやったと聞く。2人の母親のどっちが幸せだったか。答えは難しい。

 ⚫︎明るく楽しい葬儀を目指して

 義母の葬儀に際しては家族葬ということで出来る限り質素に済ませることにした。しかし、葬儀場の都合がつかず息を引き取ってから6日間も式典までの時間を要した。朝10時45分から1時間の葬儀には20人ほどのご近所の方々と俳句の仲間に来ていただいた。お陰様でこの地域に縁の薄かった義母にしては暖かい見送りが出来た。有り難かった。斎場での火葬を経て骨上げを済ませたのが3時過ぎ。あっという間だった。

 義父と実父母の通夜、葬儀はいずれも自宅で行なった。昭和の世のことである。実父母の場合は悲しさが先立ちあまり覚えていない。義父の場合は僕の新築したばかりの家の部屋数が多く、各部屋ごとに関係者を分け、実に盛り上がったことを覚えている。その葬儀一切を義母が取り仕切った。以後、通夜は明るく楽しくやるものと決めた。知人の通夜に行って唄をうたい、盛り上げすぎて顰蹙を買ったこともある。今は昔のことである。暗いのは嫌いな性格だからだが、「永遠の生命」との観点からも、旅立ちは明るく陽気にしたいものと思う。

⚫︎「土葬か火葬か」の論争の背後にあるもの

  斎場からの帰路、火葬と土葬を巡って昨今起きている「埋葬論争」に思いがよぎった。昨年10月の宮城県知事選で、現職の村井嘉浩氏が苦戦の結果辛勝した背景に、「イスラム人と土葬」の問題があったのである。ひとたび「土葬」を認める発言を同氏はしたものの、後に撤回したことを対立陣営の参政党側から突かれた。この問題は、外国人労働者の拡大問題が根底にあり、従来は争点化することのなかったものが浮上することになった。

 参政党という新興政党の躍進がここ数年目立つ。だが僕はこの党に課題提起力はあっても、永続性には懐疑的である。同党を題材に雑誌に長編ルポを掲載したある作家は、同党の主張の特徴を①大衆が感応する怒りや不安、恐怖で有権者の共感や不安を呼び覚ますアジテーションに長けている②問題の解決策に関心が薄い③組織の成長とともにその主張を変化させてきた━━の3点だとする。現代日本社会を騒がせ揺るがせることに主眼を置いた奇怪な存在だ。

 弔いのあり様をめぐる外国人との差異に目をつけ「日本人ファースト」との主張に絡める戦術は、選挙戦において一定の効力を発揮している。問題の本質は、人間の最終末期の尊厳に関わり、人類的課題として取り扱われるものだろう。個人的には日本人の大多数が認める火葬でいいと考えるが、早急な決断は不必要かもしれない。

⚫︎火葬費、葬儀代高騰のリアル

 葬儀を終えた翌日、ビデオに撮り溜めていた映画『最高の人生の見つけ方』(原題The Bucket List)を偶々観た。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンによる「生死」という重いテーマを明るく楽しく面白く見せる優れものの映画だった。中盤あたりで2人が「火葬か土葬か」の議論をするのだが、火葬派が、遺骨を珈琲の缶に入れると香りがいいからとの場面には大いに笑い、共感した。

 東京では現在「火葬費の高騰」が問題化している。公益性が極めて高い課題に行政が不作為ではないかとの指摘には首肯出来る。地方に住む者からすると、葬祭にまつわる費用も大いに高い。「小さなお葬式」=安いは葬祭業者の描くイメージ戦略である。基本的価格に次々と付加価値めいたものが提示され、結局は倍増以上の価格になってしまう。親孝行と葬儀のリアルの狭間で残された者はただ漂うしかない。(2026-4-5)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

Comments are closed.