【83】公明党は「答えの出ない事態」に耐えられるか?━━帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』を参考に/4-10

 兵庫県の公明党議員OBの会に太田昭宏元代表を招いた会合からほぼ1ヶ月が経った。あの会合で同氏は、「ネガティブ・ケイパビリティ」(負の能力、陰性能力)の大事さをさりげなく口にした。「中道」の塊を作るべく、衆院レベルの公明党と立憲民主党が合流して新党「中道改革連合」を作ったものの、選挙の結果は大惨敗だった。この事態を前にして、今後の新党と公明党の舵取りをどうするかで悩む者にとって「負の能力」は貴重に違いない。ここでは、その辺を作家で精神科医の帚木蓬生氏の同名のタイトルの本(写真)を参考に考えてみた。

⚫︎シェークスピアと紫式部に学ぶ

 帚木さんのこの本最大の読みどころは第八章。シェークスピアと紫式部の2人がいかに「負の能力」を持っていたかを説いている。シェークスピアについては、「リア王」や「マクベス」「ハムレット」、「真夏の夜の夢」「ベニスの商人」などなど代表作で展開される〝悲喜劇の葛藤〟を次々と挙げた上で、それぞれの主人公たちがどう「不確実さの中に、性急な結論を持ち込まず、神秘さと不思議の中で、宙吊り状態を耐えて」いったかを論じている。

 一方、紫式部については25頁ほども費やして、『源氏物語』のあらすじを通覧して、いかに「物語の構成のうまさ、人物群の描き分けとからみ合いの絶妙さに感嘆させられた」かを説明している。その結果「物語を光源氏という主人公によって浮遊させながら、次々と個性豊かな女性たちを登場させ、その情念と運命を書き連ねて、人間を描く力業こそネガティブ・ケイパビリティで」あり、光源氏という存在そのものが「負の能力」の具現者だったと述べている。「この宙吊り状態に耐える主人公の力がなかったら、物語は単純な女漁りの話になったはず」とまでいうほどの入れ込み様に触れて、僕は改めてこの物語の底力を知る思いがした。

 尤も、物語を例にしてネガティブ・ケイパビリティの実例だと言われてもリアル感はイマイチである。具体的な事実や現実の歴史の上での実例を挙げてくれないと迫真性にかけると思ってしまう。

⚫︎子供にも「持ちこたえることの大事さを」

 そこで、次の章「教育とネガティブ・ケイパビリティ」を追ってみた。そこには教育現場で、どうやってもうまくいかない解決困難な事例が山積みだとして、「負の能力」の必要性を説いている。帚木さんが講師を務める「森田療法セミナー」の受講生である臨床心理士から受け取った手紙が〝いい得て妙な実例〟かもしれない。「どうにもならないように見える問題も持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。人間には底知れぬ『知恵』が備わっていますから、持ちこたえていれば、いつかそんな日が来ます」とある。

 その手紙の文末には、「『すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力の一つなんだよ』ということを、子供にも教えてやる必要があるのではないかと思います」との言葉が添えられていた。帚木さんは、これが第九章の骨子を言い尽くした手紙だとまで礼賛してやまない。

  「待てば海路の日和あり」ということわざを思い出す。じっと待っていれば幸運はやってくるというわけだが、果たしてそううまくいくのか。大概の人間はイラついて〝生兵法で怪我〟をしてしまうのがオチではないかと思われる。

⚫︎不寛容さの背後にポジティブ・ケイパビリティ

 そこで最終章に進む。「寛容とネガティブ・ケイパビリティ」では、世界や日本の歴史の事例を通し、寛容さと不寛容さとの関係を鮮やかに示していく。政治の場での分かりやすい実例はドイツのメルケル首相の粘り強さとトランプ米大統領の我儘放題の比較であろう。2人の対比は分かりやすい。

 また戦争に至る軌跡での「為政者のネガティブ・ケイパビリティの欠如」として「どうにもままならない宙ぶらりんの状態を耐えることなく、ええいままよ、とばかり戦争に突入していく、情けない指導者たちの後姿」として満州事変を挙げ、堪え性のない政治家と武力に頼る軍人の無惨な性癖を叩く。「軍人の論理からすれば、どうにもならない難局を打破するには、戦争しかないのが当然です。針の糸を通すようにして、何とか解決の道を探る、ネガティブ・ケイパビリティは、軍人の頭にはありません」し、「軍隊はネガティブ・ケイパビリティとは無縁の存在」だという。

 ここでネガティブの反対としてのポジティブ・ケイパビリティ(正の能力、陽性能力)を振り回すことの非に気がつく。「宙ぶらりんに耐える」能力と、「快刀乱麻を断つ」能力の背後には、寛容の優しさと不寛容の性急さが介在するのだ、と思えてストンと腑に落ちる。

⚫︎「中道」の塊を作ることへの努力やいかに

 さて、そこで新党「中道」がこれからどう進むことが望ましいのかとの課題に戻る。公明党から分離していった仲間たちが立憲民主党と新しい党を作っていこうと苦労を重ねている。前途には様々な難題がうず高く待ち構えており、まさに公明党も「中道」も宙ぶらりん状態である。えーい、面倒だ。元へ戻ったらスッキリするとの「正の能力」を発揮したくなってしまうのは人の世の常かもしれない。それを思い止まり、じっくりと中道の塊を構築する作業に時間をかけて行けるのかどうか。

 2022年に拙著『77年の興亡━━価値観の対立を追って』で、僕は自民党との連立に躍起となるあまり中道主義を放置してしまったかに見える公明党を嗜めた。それから3年、高市早苗首相の奇策に対抗するための〝窮余の一策〟だったかもしれぬとはいえ、立憲民主党との新党「中道」結成の選択には我が意を得る思いがしたものである。筋書きなきドラマの展開に舌なめずりをするだけでは無責任の謗りは免れないというほかない。(2026-4-10)

 

 

 

 

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