【84】戦争の悲惨を体感する━━「舞鶴引揚記念館」を訪ねて/4-15

 地には満開の桜。空はどこまでも青く、群青色の舞鶴湾はふところ奥深く抱き抱えてくれた。軍港から引揚港へ。立ち並ぶ赤れんがと漂う潮風と。街のそこかしこからは、再会の歓びが沸き立ってくるかのようだ。いつまでもこの平和が続いて欲しいとしきりに思った。

 昭和の終わりに東京から生まれ故郷の兵庫・姫路に戻った僕は、京都の北端にある舞鶴市に行ってみたいと思っていました。当時出来たばかりだった「舞鶴引揚記念館」(1988年昭和63年開館)の見学がお目当てでした。大学同期の親友が此の地に住んでおり、尚更その思いが強かったのです。ところが日常の繁忙の中で機会を逃し続け、平成の30年間はおろか令和になっても行かぬまま歳月が経ってしまいました。それがこのたび遂に念願が叶ったのです。

 先の大戦終結時に旧満州、朝鮮半島、旧ソ連から「引き揚げ」てきた人々を受け入れた港は、舞鶴を筆頭に博多、浦賀、佐世保、仙崎など10を数えますが、舞鶴港には昭和21年から33年までの13年の間におよそ66万人が帰ってきたといいます。引揚者は全部で約660万人ですから、ほぼ1割に当たります。

⚫︎身近なところにいたシベリア抑留者

   縁は異なもの味なもので、私が姫路に帰ってきて住んだ地のご近所にあった電器店の経営者が、実はシベリア抑留者の次男でした。当の親父さんとも平成の初めから面識はあったのですが、具体的な体験談などは聞かないまま、今頃になって知るところになりました。きっかけは、その次男氏(69歳)が神戸新聞の読者欄に書いた「シベリア行きは無理か‥」という見出しの一文を読んだことです。終戦時に占守島で旧ソ連の捕虜になった親父さんは、コムソモリスクで4年間の抑留生活を送り、極寒の中での森林伐採をさせられた苦節の日々を過ごしたといいます。

 新聞には親父さんが亡くなった30年前にお袋さんと一緒に記念館に行った時のことも書かれていました。親父さんの亡くなった年齢に今年彼がなったこともあり、シベリアに行きたいとの思いがするもののウクライナ戦争で渡航は無理なのが残念だという風な内容でした。早速メールで、舞鶴記念館に行きたいと思っている僕の思いを送ったところ、「車で一緒に行きましょう」と、実に嬉しい返事が帰ってきました。ということで、共通の友人も誘って3人で僕の舞鶴の友人宅へと向かうことになったのです。姫路から車で2時間。懐かしい友の案内で舞鶴を堪能してきました。

⚫︎悲惨な抑留者収容所生活の再現を前に

 記念館の玄関先の床には旧ソ連、蒙古を始めとする抑留先の地図が収容所名と共に広がっていました。大小合わせると2000箇所もあったようですが描かれていたのはほんの一部です。白樺の木の皮に書き込まれた日記の一部やら「南の空 ふし拝む朝夕の點呼 一入思ひ深かる」「冬木立凍てし夜半に月蝕けし」などの和歌や俳句を始め、スプーンなど食器の製作品も展示されている幾つかの部屋をじっくりと見回りました。当時の収容所内部を再現した人形(写真)が眼を奪い、そっくりそのままという「体験室」もしつらえてありました。

 館内では案内担当の女性が丁寧に説明をしてくれるので随時やりとりが出来ました。その合間に、くだんの友人が親父さん直伝のエピソードを披露してくれたのですが、これが実に興味深かった。空腹に耐えられず猫を煮て食べたために独房入りになった話だとか、伐採作業の結果を誤魔化すために知恵を凝らした事などを語るのです。聞いた方があれこれ口を挟むことから随所で「珍問答」が展開されました。〝戦人の苦労平人知らず〟ともいうべき事態に自省をしつつも常識を逸脱した非業の所産を前に、やりきれなさを払拭したい思いに瞬時囚われてしまったのです。このあと舞鶴湾を一望できる丘に登ったり、赤レンガパークを訪ねたりしました。

⚫︎新たな世界大戦の始まりを予感して

 2022年に製作された映画『ラーゲリより愛を込めて』は多くの人たちに感動を与えたものの、リアルさには欠けるとの辛口の批評も聞きます。あの映画を観た人も見ていない人も共にこの舞鶴の「引揚記念館」に来ることは大事だと思いました。戦争はありとあらゆる「悲惨さ」を伴う残酷極まりないものですが、空襲のたびに防空壕に入ったり、竹槍での訓練をしたといった程度の話しか親から聞いたことがなかった僕にとって、シベリア抑留の実態をつぶさに見ることは大いなる刺激を伴う経験でした。

 人生の最終盤近くになって、戦後抑留者の家族が身近にいることが分かってきました。公明党の斉藤鉄夫前代表の親父さんもそうです。また旧帝国陸軍の幹部だった瀬島龍三氏の部下で抑留された軍人の長男である勝瀬典雄氏も引退後親しく付き合っている友人です。彼とは、戦後日本の課題をめぐる議論を繰り返ししてきました。この夏には、シベリア、蒙古抑留を追い続けるジャーナリストの井手裕彦さんを迎えての講演会を開催しようと企画中です。戦間期が終わり、新たな大戦勃発の空気が強まる中で、誰しもが「戦争体験」を見聞きした上で、発信する重要性を日々痛感しています。(2026-4-15)

 

 

 

 

 

 

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