姫路市は今年市政130周年を迎えています。この5月10日から12日までの三日間、例年のごとく「お城まつり」が行われていますが、節目とあってひときわ賑わっているようです。思えば、30年前の市政100周年は、平成元年、西暦1989年でした。私は衆院選に出るということで、故郷・姫路に戻って、西播磨一帯の4市6郡21町を走り回っていました。当時の市長は戸谷松司氏。兵庫県の副知事からの転身で、軽妙洒脱な話しぶりが印象的なうえ、なかなか華のあるお方でした▼以来、堀川和洋、石見利勝両市長と続き、今は先日当選したばかりの清元秀泰氏というわけです。平成のちょうど30年をここで過ごしてきた私としては、南北の駅前の整備が進んできていることには素直に評価をしたいと思います。ただ、姫路城に行っても、他に見るべきところも、滞在して楽しむところも殆どない。お城に登っても見えるのは冴えない街並みだけというのでは、二度と再び観光客は来ないと思います。ぜひ、私がずっと訴えてきた「城下町」を作って欲しいものです。▼それを作るにあたって、城周辺の掘削を文科省が許さぬのなら、少し離れたところにでも伊勢おかげ横丁的なものを、京都太秦の映画村と類似でもいいので、作るべきです。駅の東側に県立病院が出来るとのこと。それもいいのですが、わたし的には、イベントが出来、城情緒が味わえる溜まり場としての城下町を出現させたいものと思います。そうしてこそ、お城が生きてくると云うものです。新しい市長にはそのあたりを是非考えて欲しいと思うのですが、さてどうでしょうか▼お城まつりの初日。三の丸広場で恒例の薪能が催されました。市内北部の安富町に住む友人夫婦二組と、家内と私の6人で夕闇迫る会場に足を運びました。このうちの一人はフランス人男性。同町の山裾に居を構え6年ほど、IT関連企業での仕事をされています。その近くに住む私の60年来の友人(長田高から慶大と一緒)と共に、昨年のこの催しに参加されてから、親しくなりました。薪能の醍醐味を味わえたかどうか。演能者から発せられる言葉の難解さは日本人とて同様。日仏の国の枠を超え、わからなさと同時に伝統芸能の持つ奥深さを共有した不思議な時間と空間でした。二つの能の演目に挟まれた狂言は心和むものがあり、ほっとした次第です。ここでハプニングが起こりました。演能者に体調の不調を訴える方が出たと云うアナウンスがあったのです。間髪おかず救急車がサイレンとともに駆けつけ、更に消防車まで。場内騒然とまではいきませんでしたが、不安げな空気が漂いました。10分くらいで応急手当はすみ、病院に搬送されたとのことで、ほっとしました。火入れ式の直前で、ここから佳境に入るという時に〝水をさされた〟のは否めませんでした。初夏とはいえ冷え冷えとする寒さに、私たち6人は後ろ髪を引かれる思いで腰をあげてしまいました。初めてお目見えされる新市長の挨拶も、大会実行委員長の高石佳和さんの声も聞かずに。御免なさい。(2019-5-11)