「産経」インタビューでの私の提言の虚しさ

産経新聞8月9日付けに掲載された私のインタビュー記事(『改憲再出発』)をめぐって、世の中の反応は残念なことに殆どない。私のことをよく知ってくれている友人、知人(各紙記者を含む)30人ほどには予め掲載を知らせ、読んでくださるように伝えた。ほぼ9割ほどの人は絶賛してくれた。反対とか文句を言ってきた人はゼロ。1割くらいは、音無しの構え。ようやく22日になって、同じ産経紙の「阿比留瑠比の極言御免」欄で、「改憲消極論  山口代表にうんざり」との見出しの論考の末尾に、私の発言が二箇所引用され、「山口氏にはこの言葉を拳々服膺してもらいたい」と結んであった。予想されたこととはいえ、いささかの筋違い感は否めず、敢えて蛇足を付け加えたい▼先のインタビューで、確かに私は山口代表の憲法論議への姿勢に疑問を投げかけた。しかし、それは阿比留氏のように「改憲消極論」との認識からではなく、「加憲消極論」に対するものであった。阿比留氏は、加憲も改憲の範囲内と言うのだろうが、それでは厳密さを欠き、公明党への誤解を招く。改憲は全部変えようというもの。加憲は足らざるを補おうというもの。家でいえば、新築と増改築の違いか。改憲の自民党が加憲に擦り寄ってきたかに見えるのだから、つれなくするのは連立のマナーに反するのではないかということだった。連れ添って20年ー9条3項に自衛隊を明記するとの加憲については、改憲に絡めとられるから危険だとか、公明党は環境権、プライバシー権の加憲ならいいので、それ以外は話が違うなどと言うのは、結局は身勝手な我儘に見える▼ただ、その前に私が指摘したかったのは国会での憲法論議のいい加減さであった。山口代表が議論が足りない、もっと議論をと言われるのは、ちょっと違うのではないかという思いがある。国会での憲法論議のあり方、仕組みをそのままにしていて、議論が足りないと言うのでは百年河清を待つに等しいのではないかとの危惧を持つからだ。そこで、私は三つの具体的な提案をしたのである。阿比留氏にはこの点についても触れて欲しかった。この提案に耳を傾けてくれる政治家、政党、メディアはいないのか、との思いが私には極めて強くある。なぜ、私があの提案をしたか。今のままでは強引に憲法改正への発議を迫る動きと、それを拒否する反動的動きがぶつかるだけで、不毛の再継続になるとの恐れを抱くからに他ならない▼憲法を全面的に改正するのか。全く変えずに今のままでいいとするのか。それとも部分的に変えるのか。こうした点を国民は果たしてどう思ってるのかを予め察知することこそ大事ではないか。そのために事前に予備的に国民投票をする必要があるのではないか。また、今の政治家に本当に任せきれるのか。助けを外の世界に求めずともいけるのか、どうか。こうした観点に立った私の提案への賛否の反応が未だどこからもないのである。公明党内の路線の違いなどといった小さい問題ではない。お盆も明けて、国会も動き出す。近く関係者とも会って意見を聞くつもりではある。みんなだんまりを決め込まれるのでは、憲法論議に一石を投じたのではなく、外野席から紙飛行機を飛ばしたみたいだ。結局は大勢になんの影響ももたらすことが叶わず、虚しさだけが募っていく。

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