《10》衆院選挙事務所での〝心うたれた出会い〟の数々/10-31

第49回衆議院選挙の選挙活動が30日の午後8時で終わりました。ただし、候補者は夜中の12時、つまり投票日の31日の時報が鳴るまで、選挙区内の街道沿いに立ち、走りゆく車に手を振るという初出馬いらいの恒例の「行事」に取り組んでいました。19日の公示いらい12日間、私は大学の13年後輩にあたる代議士の選挙事務所の事務長を務めました。5年前と2年前にそれぞれ参議院の新人候補者の事務長を務めましたが、衆議院は初めての経験です。開票結果が分かるまでの束の間、この間の得難い経験談を披露します▲第一日目に、近所に住むという老婦人が事務所に顔を出し、玄関先での言葉が今に至るまで印象深く残っています。「政治家は僅かの年金で暮らすものの身になってほしい。亡夫の遺族年金があるからなんとか暮らせているが、通常の国民年金だけだったら到底生きていけない」ー生活保護を受給している人たちより少ない生活費に喘ぐ苦しさを訴えられた。また、選挙中盤でやってきた高齢の女性が、今の政治家の質の低さーとりわけ世襲議員の劣化を嘆いていたのはとても印象深かったです。爺さん世代は日本政治史にその名が残るものの、孫たちは酷すぎる、と。今例にあげたお二人は、共に公明党員ではありません。友人に熱心な学会員がいることから公明党に興味持ち、頼りにするに至ったと言っておられました▲事務所にいると、当然ながら候補者の人となりがよく分かるエピソードにでくわしました。初出馬から28年、落選した3年余りの空白期を除いても25年も衆議院議員をやっているだけあって、心底から世話になったという人たちが次々訪れてきてくれたのです。中でも〝陣中見舞い〟に来てくれたある企業のトップが、寄付金額を備え付けの用紙に書いた際に、「あっ、間違えた」とひと声呟いたのが聞こえました。一桁書き間違え六個もゼロを書いたといわれるのです。私が、「ああそれは、大変」というと、その社長曰く「いや、本当は一桁多く出してもいいぐらいなんです。それくらいお世話になったから」と。また、最終日の午後6時過ぎにある大企業の中堅幹部が、最終打ち上げ演説に間に合うようにと、わざわざ東京から来てくれました。残念ながら、今回は現場にひとときでも長く回りたいとのことから、事務所前演説はしないことを伝えました。すると、遠く離れた最終演説場所までタクシーを飛ばして行くと言われるのです。一眼見て帰りたい、と。その熱情に心打たれた次第です▲事務長の私としても、心和む個人的出会いがいくつもありました。長く会えなかった仲間の町議の息子さん、所在が不明の高校同期の弟さん、その昔世話になった先輩のご子息や、昔親しくした国交省のOB官僚たちなどという風に枚挙にいとまがありません。航空会社の最高幹部を務めた友人の元部下やら、JR東西の幹部や電力会社の幹部の皆さんとは、ついつい観光政策の展開、都市の発展と駅舎の佇まいや、原発の是非論を口にしてしまうなど、私の悪い癖が出ました。選挙支援の挨拶に行って、事務長に議論をふっかけられたことは恐らく初めてでしょう。ちょっと余計だったかなと反省もしました。それでも、ある訪問客が「勉強になりました。今日のことは生涯忘れません」と口にしてくれた事は、お世辞半分にしても、嬉しいことではありました。(2021-10-31)

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