米大統領にドナルド・トランプ氏が再選していらい、国家間の「関税」や「買収」などで世界各国が戦々恐々とする場面が相次いでいる。ウクライナをめぐる米ロ交渉を見ていると「新帝国主義」(佐藤優氏)の時代の到来と呼ぶのも無理からぬことかもしれない。日本に対しては既に「日米安保体制の見直し」を示唆する一方、軍事費の増強を迫る姿勢を見せている。先の大戦後80年の間、多少の紆余曲折はあれ、揺るぎなき同盟関係を培ってきた両国関係に転機が訪れようとしているのだ。これをどう捉えるか。いつまでも「政治とカネ」をめぐる問題で右往左往している場合ではない。上中下3回でことの本質に迫ってみたい。
⚫︎トランプ大統領の素朴な問いかけ
トランプ大統領の言動が傍若無人に見えるというのは、通常の「人の世のしきたり」とかけ離れていることに起因していよう。一連の「法外な関税」とは別に、隣国カナダやメキシコを属国扱いにすべく脅かしたり、グリーンランドの買収をデンマークに持ちかけたりするなど、常軌を逸した動きが目に余る。ただ、「日本防衛」について、なぜ「豊かな国・日本」のために、アメリカが守らねばならないのかとのトランプ氏の素朴な問いかけは、ある意味ですごく真っ当な言い分に聞こえる。今では日本の名目GDPは世界第5位(2025年見通し)だが、ついこの間までアメリカと肩を並べていた。そんな豊かな国を守るために米国が汗をかき、血を流すというのはおかしいとは自然な感情といえよう。ロシアのプーチン大統領がことあるごとに、「国家の自立」を口にして、米国の庇護のもとにある国家群について揶揄するのも同じ思考から出てくるものと思われる。
日本は米国に基地を提供する一方、それ相当の財政負担をしている。何も無償で軍事力の提供を受けているわけではない。「アジア太平洋15年戦争」の敗戦の結果として、日本は米国の占領下7年の末に、その軍事戦略体系の中に組み込まれてきた。どう言い繕おうとも、独立国家、自立した国家とは言い難い国柄になってしまった。日米軍事同盟関係そのものを拒否するのではないが、同盟の形態がいかにもいびつだというのは認めざるを得ないのだ。
トランプ氏が第一期から第二期に至るまで、「応分の負担増」をあれこれ口にするのは無理難題ではない。深読みせずとも当たり前のことかもしれない。つい先日も米NBCテレビなどが民主党政権下で在日米軍が計画していた態勢強化の中止を検討していると報道した。国防費が1750億円ほどの節約につながるからとの理由である。今後の在日米軍の有り様の劇的変化の前触れと見る向きも少なくない。
⚫︎「日本の自立」をいつまでごまかし続けるのか
日米関係の戦後80年には様々な紆余曲折があったが、基本的に米国の側より「日本防衛」から後退するとの雰囲気を漂わせることはなかった。占領下から解き放たれ、在日米軍の駐在による平穏が自然になり、いつの間にか日米軍事体制の一体化が当たり前になり、こと荒立てて独立の態様を気にしなくなってしまった。2016年〜2020年の第1期トランプ政権の時代にも、日本防衛の根本的見直しは俎上に乗ろうとしたが、結局は手つかずのままできてしまった。それが再び浮上してきたのである。
私は2022年に日本が三度めの「77年の興亡」のサイクル(①1868〜1945〜2022〜)を迎えることを期に、自公政権が日本の「国家ビジョン」の提起を示す必要性を主張してきた。その最大の問題が憲法9条の取り扱いであることは言うまでもない。10年ほど前に日本政府は「平和安保法制」を制定して、「憲法改正」を待たずに国家の危急存亡の折に対処する限度ギリギリの方策を講じたが、所詮それは付け焼き刃的なものに過ぎない。「専守防衛」の国の構え方の合意さえ国民の間で共有されているとは言い難い。いわゆる保守とリベラルの価値観の違いによる防衛意識の混乱は戦後80年一貫して変わっていないといっても過言ではないのだ。だからこそ、そのテーマを含めて「国民的大論争を起こそう」と呼びかけてきた。残念ながら全くその兆しが表れぬまま、「防衛」をめぐって日本の自立が問われる〝トランプという名の黒船〟の再登場となったのだ。
さる2月7日の日米トップ会談では事なきを得たようだが、相手の出方に一々身構え続けるのではなく、日本の基本的対応をそれこそ平時から考えて、国民的合意を確立しておかねばならない。国家経営の基本ともいうべき防衛対応に答えを出さないまま、棚上げし続けて誤魔化す状態を持続させることは大いなる禍根を残す。
過去に防衛担当の大臣職を最も長きにわたって経験してきた石破茂氏が首相の座に就くことに、国民の間である種の期待感があったのは言い過ぎではない。ところが、現実には、得意のはずの防衛問題で手腕を発揮するどころか、カネと政治の問題でもたついた挙句、自身の不手際といもいうべき「10万円商品券バラマキ」騒動で墓穴を掘りそうな現実には惨めというほかない。(以下続く 2025-3-23)