⚫︎「民主」の仮面かぶった「専制国家」の登場
民主主義が後退期に入ってきた━━その印象が深まる中でのトランプ米大統領の再登場は国際政治に大いなる変化を引き起こしつつある。ウクライナ戦争が始まった3年前に、「民主主義国家対専制体制国家との戦い」に、世界の枠組みが変わったとの認識が広まった。しかし、そう単純に二極化するのは間違いであるとの見方も当時からあった。いわゆるグローバルサウスの国家群の動向が不確定要素だったからである。案の定というべきか、案に相違してといった方がいいか。バイデンの4年間と全く様変わりのトランプ新時代は、「国際協調主義」という着慣れた古い上着を脱ぎ捨てようとしているのだ。
この80年ほどの間、欧米民主主義国家の間では、「国際協調主義」が当然視されてきた。ところがそれがトランプ氏の再登場によって、瞬く間に〝店仕舞いの様相〟を一気に強めそうな勢いなのである。それは第1期の時代と違って先端科学技術を取り込んだ企業群の中からイーロン・マスク氏のような経済人が政治の表舞台でトランプ氏と寄り添う姿勢を示し始めたことに象徴される。一握りの超富裕層の代表が国家の枢軸を占めて自在に国家経営をする━━その風景がいかなるものになるか?予測不可能な人物とされる米大統領の今後の動向に不安が高まっていく。
そんな中で、日本が受ける圧力は如何なるものか。陰に陽に姿を見せている軍事協力の一体化に伴う費用面の負担増である。それは同時に近未来における「軍事的独立」に繋がっていく。有事に日本は自前で賄えとの方向性だ。これは、戦後に歪な形で選択した憲法のもとでの、非対称的な軍事協力としての日米安保体制の終焉を意味する。もちろん、そういった根本的変化は直ちには起こらないであろう。だが、問題はアメリカのご都合主義的自国優先に巻き込まれることに、対応する準備と覚悟が日本にあるかどうかなのだ。
⚫︎「没落」する日本への要求と対応
アメリカの占領下にあった日本は1950年からの朝鮮戦争を経て、一応形の上では独立をしたものの、米軍事基地の一大拠点に衣替えしただけだった。国家存立の首根っこを掴まえられたままの擬似独立国であった。軍事面における盾と矛を日米が分担する一方で、経済的発展に総力を上げる姿勢は1980年代半ばまでの30年ほどの間は成功したかに見えた。しかし、バブル絶頂期から崩壊過程に入った90年代半ばからの30年間ですっかり日本の値打ちは下がったと見るほかない。経済的にはGDP第2位から第5位(2025年見通し)へと後退し、大学教育のレベルの低下と共に先端科学技術分野での落日は著しい。21世紀初めに『日本はなぜ没落するか』で、経済学者の森嶋通夫氏が警告した通りの惨めな状態にほぼなってしまったのである。
異形のパートナーの相手方から突きつけられようとしている問題にどう対応するか。左右を問わず、かねて真面目に日本の将来を憂えてきた人々が議論してきた究極の焦点は憲法9条であり、軍事力の行使をどうするかだった。ほぼ10年前にすったもんだの挙句に安保法制を制定(玉虫色解釈)して、ひとまずやり過ごしてはみたが、事態の本質は何も解決したとは言い難い状態が続いてきた。このことは濃度は別にして、みなそれなりに自覚してはいたのだが、国民的合意を得るに至っていないのである。
⚫︎「戦間期の終わり」から次に来るものへの備え
今年の元旦の新聞で私が強い興味を持った記事の一つが、外交評論家・宮家邦彦氏とフジテレビの反町理キャスターとの対談(産経新聞)だった。トランプ氏の再登場で「国際協調主義」が劣勢となり、ロシア、中国、イランなど力による「現状変更主義」国家との軋轢がやがて軍事的衝突を迎えかねないという情勢認識についてのものだった。宮家氏は現在を「戦間期の終わり」とし、次なる大戦の開始前と位置付ける。その上で、第一次大戦後には「勝ち組」についた日本が第二次大戦では「負け組」になった先例に鑑みて、次に再び「勝ち組」になる戦争のシュミレーションの一端を垣間見せていた。
世界的な軍事衝突をめぐって、日本に戦争をする覚悟があるのかどうか?この反町氏の問いかけに対して、宮家氏は「専守防衛を厳格に解釈し『反撃能力は相手の攻撃がなければできない』とする公明党は危うい」との見解を述べていた。日本が戦争をするには、平和主義の旗を掲げる公明党が与党にいる限りうまくいかないという見立てを示したのである。これからの日本の政権は「21世紀型保守政権』に脱皮する必要があり、それを担う政党としては、公明党はふさわしくなく、立憲民主や国民民主など労組の支持を得ている政党も同様に難しいとの認識の表明だった。
この見方に対して更なる説明を求めた私に対して、彼からは「軍事力の使用にアレルギーのない健全な中道保守の存在がカギになると思います」との返事が返ってきた。(以下つづく 2025-3-31)