先に述べた兼原の議論展開で、見落とされてはならないのは、「こういう抑止の議論が世論との関係で難しいことはよく分かります。そこは有能な政治家に捌いてもらわないといけないですね」と、しっかりフォローする発言を付け加え、「残念ですが、こういう抑止の具体的な方法については、考えなかったのが日本なんです」と結論づけている。ここにこの本の言いたいことも出ていて、遅ればせながらも、「核抑止の議論を同一テーブルで始めよう」というものである。一方、これに対抗する立場の側には乗るつもりはないかに見える。総合雑誌『世界』が最新号で「核軍縮」特集を組んでいるが、ものの見事に「核抑止」論など無視している。中満泉国連事務次長は、結論部分で「抑止論を超えて、人間を中心とした安全保障のあり方を、新しい視点で作り上げられる多様な人材が、核廃絶へのプロセスを再構築すべき現在、必要とされている」と強調。川崎哲氏(核兵器廃絶国際キャンペーン国際運営委員)も「国家間の議論を通じた外交的解決の余地は高まる。条約など無力だと、刹那的になって武力依存に突き進めば、その先には破滅しかない。この正念場で、私たちの理性と倫理が問われている」と力説し、兼原提案などどこ吹く風である★リアルな問題提起で苦しめられた、かの太田昌克氏はどうかというと、「この戦争の終わり方次第では、核をめぐる国際秩序はいっそうの混沌状態へと陥るだろう。とにかく現下の情勢では、ウクライナとその周辺での核使用をあらゆる手段を講じて食い止め、『核のタブー』を永続させなくてはならない」と、悲鳴をあげてるに近い。これではことの進展は到底望めない。では、政治の分野ではどうか。「ウクライナ戦争」勃発以降、喧しい様相になってきてるのは「核シェア」構想の議論である。「核の傘」と「核のシェア」のどちらが抑止力の発揮にとって有効なものかどうか➖精密な議論など全く関係なしに、イメージの新しさと、NATO における先例から、日本も、との空気が一部勢力から出てきている。NPT(核拡散防止条約)体制の下で、米国が日本との間で「核のシェア」をするというのは、相合い傘を捨てて雨ガッパに変えるようなものではない。これまでの核をめぐる軍縮への枠組みの根底を覆すような大きな変化を伴う。これには到底「核軍縮・廃絶」論者は乗れようはずもない★ではどうするか。ロシアの挑発を前に、日本の対応を議論するのは、「泥縄」の域を出ないと言えるが、何もせずに傍観したり、慌てて極端な行動に走るよりはましだろう。ここで最も大事だと思われるのは、異論のぶつけ合いである。同じ論調の慰め合いよりも、違う立場の議論のせめぎ合いを聞きたい。それには一番手っ取り早いのは、与党内自公間協議である。簡単に言うと、保守の旗手・自民党は、リアルな政治選択を基本にしてきた。一方公明党は「平和」を党是としてきた理想追求の政党である。「安保・防衛」には慎重なスタンスできた。「ウクライナ」事態をどうするかで、両党間の徹底討論が待望される。「安定」のために、真摯な議論を棚上げすることは許されないはずだ★あの「安保法制」論議で、自公間での密室協議がなされて、結果として「集団的自衛権」の部分的行使が陽の目を見た。私はそれは大いなる知恵の発揮だったと、論議の非公開には反発を抱きながらも、認める立場である。「ウクライナ」を前に、核兵器を始めとする日本の対応を政権与党同士で、真っ当な議論を開始すること。全てはそこから始まると私は確信する。(2022-5-17 この項終わり)