昨年の衆院選につづき、7月10日に終わった参院選で、これからの3年間は、国政選挙がない、といった〝甘い見通し〟が専らです。「黄金の3年」とかの触れ込みで、この期間に懸案に取り組めるというのが額面通りの受け止め方でしょう。しかし、一寸先は闇と言われる政治の世界で、そううまくいくかどうか。仮にそうした時間が流れたとしても、国会議員の皆さんが無為に過ごす結果となり、結局は全て〝先送り〟の羽目になったら、もう目も当てられません。ここではそうならぬようにと期待して、この3年に「政治」(自公与党中心)に取り組んで欲しい事柄について、論及してみます。
★国家ビジョンを定め、質量共に充実した「安定改革政権」を
拙著『77年の興亡──価値観の対立をめぐって』で取り上げましたように、今年2022年は、先のアジア太平洋戦争の敗戦から77年、明治維新からはちょうどその倍の154年の歳月が流れました。二つの77年のサイクルの前半で日本は、「西洋」的なるものとの価値観の対立のもと、近代化に奔走し、軍事力の拡大に取り組み、やがて一国滅亡の危機といった辛酸を舐めるに至りました。次いで、後半の77年は、保守と革新・リベラルとの対立のもと、民主主義受容に汗をかき、経済力の向上に躍起となりました。その挙句、バブル絶頂から崩壊と変転し、「失われた30年」の末に、GDPで中国の後塵を拝す一方、コロナ禍とウクライナ戦争による未曾有の混乱を迎えるに至り、今後の国運の行く末が懸念されています。
確かに、この一年の二つの選挙で、自公連立政権は「勝利」しました。ここでいう「勝利」は、衆参両院で安定多数の議席を確保したという意味です。やろうと思えば、「憲法改正」の発議も出来るだけの、議席を得たのです。私が初めて記者として国会を取材し始めた1969年(昭和44年)頃は、佐藤栄作首相時代で、それなりに安定した自民党単独政権でした。いらい50有余年。今は自公連立政権が20年を超えて続いています。
議席において大なる自民党は日本の伝統的保守の源流を受け継ぎ、小なる公明党は、仏教に淵源を持ち、大衆救済を旗印に結党されて60年近い中道主義の政党です。連立政治の強みは、為政者の目線が異種に及んで、複合的だということでしょう。ということは、量的だけでなく、質的にも安定した政権になる可能性を本来持っているはずです。民主党政権の3年を経て、日本の政治は不安定な状態が危惧されていました。この数年、公明党が選挙のたびに、「安定」を強調するのを見聞きするにつけ、その都度、私は「安定」は自民党に任せて、公明党は「改革」を叫ばねば、と思い続けてきたものです。
しかし、ようやく日本の政治は、与党が数量的には「安定」しました。もう憚ることなく「改革」を叫んでいいという風に、皮肉を込めつつ思います。いや、少なくともこの3年は質的にも安定した「政治」になったと、大向こうから評価される闘いがなされねばなりません。恐らくこの期間は、この2回の選挙で気を吐く結果を出してきた、野党・日本維新の会の動きが注目されましょう。「しがらみにとらわれず、身を切る改革」を呼号してきた同党は「是々非々」対応で与党に挑んでくるはず。ならば、「是」部分を取り込めるよう、党派性に傾斜し過ぎぬ大きな見地で、「共闘」すべきだと、私は思います。
「共闘」とは何か。日本が直面する重要課題に向けて合意形成をする闘いです。そのためには、まず与党間で早急に徹底して協議する場を持たねばならないと思うのです。(2022-8-5 つづく)
※これは、私が毎日新聞Web『政治プレミア』欄(8-1付け)に寄稿したもの(『「自公連立は当たり前」か』)を転載しました。