安倍晋三元首相の「49日忌」も過ぎ、様々な媒体でその業績への評価が展開されている。その中で、私が興味深く思うのは、「安倍晋三とは『保守的政治家』であったのか?」との視点で論じられている論考が散見されることである。まず、京都大名誉教授の佐伯啓思氏は『中央公論』9月号の論考で、「安倍氏は、考えられる最大限の仕事をし」、「ゆるぎない決意を持っていた」が、「ただそれを『保守』と呼ぶのは難しい」し、「最上の意味で現実的(リアリスティック)で実践的(プラグマティック)な政治家だった」(「保守の矛盾を体現した政治家」)と述べている▼他方、政治学者の御厨貴氏は、「改憲を巡って発言が紆余曲折した」り、「戦後70年談話のように、イデオロギーより現実を重視する姿勢も明らかだ」ったとして、「本当に保守なのか」と疑問を投げかけている(毎日新聞8-16付夕刊特集ワイド)。これらは、安倍氏の思想そのものは、「保守」だが、行動として現れたものは違うとする点で共通する。そして更に、安倍氏の再登板以降の政権のパートナーであった公明党の役割を、何故か見逃していることでも酷似している。「中道」にこだわる私は、そこに強い不満と疑念を抱く▼この議論を進める上で、極めて示唆に富むのが、太田昭宏公明党前代表の「社会保障大きく前進」との見出しでの『安倍政治を考える」(毎日新聞8-23付)である。太田氏は、政権運営の中で安倍氏が「我々の声を聞いて、社会保障を従来の目線とは違う『全世代型社会保障』にする決断」をしたり、「高齢者中心だった社会保障を、子育てや、学生の支援、認知症やがん対策、さらには就職氷河期世代支援にまで拡大した」と高い評価をくだす。その上で、「(安倍氏は)右寄りと言われたが、実際にやってきたことを見れば、現実を直視して解を見いだすリアリストだった」とする▼公明党の立ち位置に依拠しつつ、抑制を効かせた太田氏の主張は味わい深い。これを私風に言い換えると、保守と中道の連立政権(〝ハイブリッド政権〟)のなせるわざということになる。佐伯、御厨両氏は、この安倍自公政権の本質的な部分を知ってか知らずか見落とした結果が、先に見たような安倍=保守的政治家への疑問につながる見立てなのである。「安倍保守的政治の変質」というように見えるものは、実は「中道的政治の転換」とでもいうべきものと、裏表の関係である。保守とは何か、中道とは何なのかとの「そもそも論」を棚上げすると分かりづらい。〝自公混合政治〟のしわざにまで立ち至って解説する論者は、残念ながらあまり見られない。公明党の存在感が薄いことを私が嘆く由縁でもある。(2022-8-29)