【61】「山の日(8-11)」に寄せて、を書いた波紋/8-21

 さる8月11日は「山の日」。その日に、私は朝日新聞Webサイト『論座』欄に寄稿した。過去2回、同欄には、自公連立政権への注文などを書いてきた。一転、日本の森林行政について、あれこれと論及した。私自身、この20年余り、一般財団法人『日本熊森協会』と公益財団法人『奥山保全トラスト』に関わってきた経緯もあり、仲間達の顔を思い浮かべながら書いた。とりわけ9日には岡山県と兵庫、鳥取県の県境にある若林原生林(天然林)を視察してきた。多くの友人たちも読んでくれてコメントをくれた。ここではそれに触れてみたい◆日本の森林については、建設資材としての木材が商業ベースに見合うかどうかが最大のポイントであった。戦後の自民党政治がそこを見誤ったがゆえに、放置人工林の山を生み出すに至った。こう確信して疑わない私は、この論考でも殆ど木材資源の活用に意を注がなかった。しかし、赤穂に住むO氏はウクライナ、円安による経済情勢の変化で、林業活性化が仄見えているという。放置された針葉樹林のエネルギー源への転用と合わせ、知恵を出すべきだ、と。環境譲与税の活用に腐心する地方自治体もそこが関心事。肝心要が手薄だったこと自省する◆この論考では、熊を代表とする大型野生動物が、森林が荒廃するのと比例して、人里に出没して市民生活をも脅かしていることにも、あまり触れなかった。いい過ぎることはかえってことの本質を見間違わせると思ったからだが、もっと触れるべきとの声があった。実は、先日、NHK総合テレビで、野生動物と人間の共存について示唆に富んだ特集をしていた。山あいの現場では、人間の無知ゆえの、もぐらたたき的対処で、被害が防げていない。これについては、書きそびれた。残念だった◆野生動物と森の問題を持ち出すたびに、「人間と動物のどっちが大事なのか」と、反論されてきた。公明党の人間でさえ、人間が大事だと言って憚らない人が多い。私はその都度、どっちも大事だといい、過ちの根源は、「人間主義」と「人間中心主義」の混同だと思ってきた。真の「人間主義」とは、生きとし生けるもの全てを慈しむものだ。それに比し、「人間中心主義」は、動物や生物といった自然を人間と対置させ、自然の搾取はやむを得ないとする。ここが最大の問題であろう。いっそ、「人間主義」といわずに、「生物主義」とした方がいいかもしれないと、今は考えている。(2022-8-21)

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